忘れてきたこと~リポラの場合~
花畑の中には公園がある。公園の周りには五つのロッジがある。ロッジの中には子供達が住んでいる。夫々、気の合う者同士でグループを作り、生活を助け合っている。
そこに住んでいる子供達と言うのは、人間で言えば一歳ほどの子供のような体躯を持つ妖精達だ。
彼らの共通する特徴としては、常に瞼を閉じている。
その細く小さな首の横にはサメの鰓のように切れ目が入っており、左右に三カ所、合計六か所あるその切れ目で、周りで何が起こったかを知っている。
彼等の長である、この空間を作っている者の名はリポラと呼ばれている。
リポラは、他の妖精達に外のベンチまで運んでもらいながら、三番のロッジが騒がしいことに気付いた。
――ユーリ。三番のロッジに。
力なく、リポラは一番のロッジの中にいる相棒に、念話を送る。
――シルビアとカザスの意見が分かれてる。
――分かった。
返事が返ってきた事に安心し、リポラは寝かせられたベンチの上で、妖精達の身づくろいのための術を使い始めた。
シルビアとカザスと呼ばれている二人の妖精は、どっちが「ホラム」と言う名の妖精の相棒にふさわしいかで揉めていた。
「私はホラムのために、毎日エクアをしてあげてるわ」と、シルビアが棒切れをフリフリ言うと、「僕はホラムのために、毎日イドゥルをしてあげてるよ」とカザスが両手を広げて言い返す。
口調としては穏やかで、人間風の喧嘩をしているという様子ではない。であるが、エクアとイドゥルの意味を知っていると、中々過激な言い争いであるとユリアンは察した。
ホラムと言う妖精は、シルビアとカザスが言い合っている内容を聞きながら、何か考え込んでいる。
「ホラム。ここでは、君の意見が重要になってくると思うんだけど」と、ユリアンがホラムに声をかけると、ホラムは頷いて、言う。
「二人とも、どっちが僕を所有するかってことを話してるんだよね?」
「そうだよ」と、言い合っていた二人は返す。
「じゃぁ、もう二人とも、僕に何もしないで」と、ホラムは拒絶した。「君達が善意で助けてくれてるんだと思ってたけど、僕を所有するための主張だったんなら、エクアもイドゥルもいらない」
その言葉を聞いて、シルビアとカザスは暫く黙った。
シルビアは、持っていた棒切れで、無表情にホラムの鰓を突いた。体の脆い部分を突かれたホラムは、「痛い!」と言って、棒切れの届く範囲から身をそらす。
「ほら、私からのエクアが必要でしょう?」と、シルビアは表情も変えずにホラムに近づき、言い放つ。「ようく見えるように、綺麗にしてあげるから」
その言葉を聞いて、カザスはパッとホラムを抱きかかえると、ロッジの外に逃げた。
「あ。勝手にイドゥルした!」と、シルビアは、彼等にしては大声を出した。
「そう言う事じゃないだろ、シルビア」と、ユリアンは幼い妖精に言い聞かせる。「自分を必要とさせるために、相手を傷つけちゃいけない」
「だって、私はホラムをエクアしたいの」と、シルビアは主張する。
「そう言う風に、自分の欲求ばかり優先するから、ホラムに嫌われちゃったんだろ?」と、ユリアン。
シルビアは一度口をつぐんだ。それから、首をかしげて、こう述べる。
「私、嫌われたの?」
ユリアンは呆れたように目を閉じてから、シルビアの手にしていた細い棒切れを取り上げた。
外では、数名の妖精達が、ベンチに横たわっているリポラから水を作ってもらい、自分の手で自分の鰓を洗浄していた。
リポラは、他の妖精達と同じ、一歳時くらいの体躯しかない。しかし、その身は遥か長い年月を過ごした疲労で、一定の場所から自力で起き上がることができなかった。
リポラから水をもらって鰓を清めた妖精達は、リポラの体を抱擁して力を分け与え、彼を再びロッジに運ぼうとした。
「リポラ」と、ユリアンは移動中の妖精達に声をかけた。「ホラムとカザスは何処にいる?」
リポラは顔を少しだけユリアンのほうに向けて、「他の空間まで跳んで行ったよ」と答えた。「二人とも、すごく怯えてる風だった」
「うん。少し、話を良いかな?」と、ユリアンが声をかけると、リポラの体を支えていた四人の妖精達は、元のベンチの所にリポラの体を置きなおした。
ホラムとカザスが消えてしまった理由を聞いて、リポラは「シルビアを削除しようか?」と、提案した。
「学びの機会を与えることができないかな?」
ユリアンが慈悲深い言葉を発すると、「うん……」と、リポラは相槌を打ってから、「僕達の意識が『成長』できるんだったら、そうしたほうが良いかもね」と述べた。
つまり、リポラ達のタイプの妖精は「成長」と言う概念を持たないのだ。
「無理かな?」と、ユリアンは少しだけ粘った。
「うん」と、短くリポラは答える。「仕方ないものだよ。ユーリも、よく言ってたでしょ?」
その言葉を聞いて、ユリアンはだいぶ前の事を思い出した。
元の軸に戻れなかったのも、リポラを見捨てることができなかったのも、みんな「仕方のないこと」だと、自分は常々口に出していたと。
その軸で、妖精達の生存のための活動が一巡終わってから、シルビアは空間から削除された。
その仕事をしてから、リポラは少し考えた。
「ユーリを引き留めた僕も、何時かは『削除』の対象になるのかな。もし、ユーリが僕を非難するようになったら」
人間の心と言うものは、複雑だと言うから……。
リポラはその複雑さを思い浮かべてみようとしては、何も思い浮かばなくなってしまう。
全部、仕方のない事さ。
そう念じる事は、諦めと言う、リポラがずっと忘れていた心だった。
元に居た世界に混じった「邪気」と言う毒が完全に清められて、いつかあの世界に帰ること。
それだけを望んで、ずっと待っていた。世界を思い通りに操ろうとする者に協力することまでした。そして、ようやく見えてきた希望に縋ってしまった。
もう、ユリアンが来た時間軸では、彼の肉体はとうに滅んでいるだろう。
霊体に似た存在であるユリアンは、その事を知っている。でも、一度だってリポラを非難したことはない。
せめて、あのエリスと言う人が、僕に敵意を向けてくれたら良いのに。そうすれば、僕は僕を「削除対象」だと思えるのに。
なんでみんな、「優しい」んだろうね。
そんな事を思う時は、リポラはどうにも眠りにつけなくなる。
僕は、罰が欲しいのだろうか。
決して開かない瞼の中で、そんなことを思い描くのだった。




