忘れてきたこと~ノックスの場合~
昼食の食堂の中で、パンの固いサンドウィッチを齧っているノックスの所に、手紙が来た。
ガルムからかと、差出人を確認してから、封を開ける。内容を読んだ時、硬くてパサパサのパンが喉に引っかかりかけ、カフェオレで飲み干した。
ノックスは、自分の手元の飯を全部かっ込んでから、他のテーブルに集まって飯を食っていた同僚に声をかける。
「コナーズ、聞いて。アンさんが組合に登録して、医者になったって」
「ふーん。それで、ガルムの方の様子は?」と、コナーズが聞いても、「何か分からんが、働いているらしい。だけど、今はその事じゃなく。お前、アンさんが女医になったんだぜ?」と、ノックスは浮かれる。
「ガルムさんのお姉さんって、ガルムさんに似てます?」と、コナーズの隣に居たガッズが尋ねる。
「すっごい似てるよ、あの二人」と、コナーズが返す。
ガッズは、頭の中で何か妄想してから、「美人そうですね」と言い出す。
「まぁ、美人って言うか……」と、コナーズが言いなおそうとすると、「可愛らしさの廃らぬ健気な美!」と、ノックスは言い出した。
ノックスは、何かの影響で心拍数が上がっているらしく、吐息を溢してゼエゼエ言い出す。
「白衣のアンさんに『痛くないですからね~』って言われながら、お注射をされたい!」
そう叫んで、その場で悶えているノックスのこめかみを、コナーズは正確に掌底でどつく。
「変な事言うと、ジャンキー共に狙われるぞ」
痛い目を見ても浮かれているノックスは、先輩の注意を聞いていない。
「だってよぉ。白い髪に黒い服も良いけど、絶対白衣が似合うと思うんだよ。やべぇ。ガルムにアンさんの仕事中の写真撮って来てって、頼まなきゃ」
それを聞いて、流石にガッズも変な顔をした。
「仕事中に写真ですか?」
それを横に聞いて、コナーズは後輩の後輩に囁いた。
「まともに聞くな。今は何言ってもハイになる」
鼻歌混じりに居室へ戻ろうとするノックスは、不意に肩を掴まれた。五名ほどの、顔の良く知れた「ジャンキー」達が集まっている。
「よぉ。ノックス・フレイム」
その中の鉄砲玉に声をかけられて、「あ。わいせつホモ集団だ」と、思った。そしてそれは声に出ていた。
「ほう。言うじゃねぇか」と、わいせつホモ集団の鉄砲玉は言う。「なんでも、女医さんにお注射をしてほしいって?」
「ああ」と、ノックスは余裕で答えた。「すっげぇ美人の、白衣の女医さん。あんた達じゃ、足元にも近づかせてもらえないくらいのな」
「じゃぁ、お前も、その足元に近づけなく……」
近づけなくしてやろうと言いかけた鉄砲玉の下顎に、ノックスの肘が決まる。それから、こめかみを強打して、意識を失わせた。
鉄砲玉その二が、拳を握ってノックスのみぞおちを狙ってくる。
その拳をするりとかわし、伸ばされた腕を、肘と肩の折れない方向に掴んで、頭から着地するように肩ごしの後ろに放り投げる。
鉄砲玉その三が、ノックスの髪を掴んだが、引っ張ろうとする前に人中に強打を食らう。唇が切れたのか、前歯が折れたのか、その口から赤い飛沫が飛ぶ。
その様子を、手を出さずに見ていたホモ集団の二人のほうを見て、ノックスは言う。
「で、主犯格は、お二人のうちのどちらかしら?」
「さぁな」と言って、然程期待もしていなかったと言う風に、主犯格達は鉄砲玉を床に転がしたまま、廊下を去って行った。
「早速、貞操の危機に遭ったぜ。男子寮の世界って、どうしてこう不衛生なんだろうな」
そう、ノックスはガルムへの手紙の返事を書く。
「アンさんが無事に就職できたのは分かったけど、お前の方ってどうなの? 言いにくいが、賃金とかどうなってる? 非営利って事は、ほとんどボランティアみたいなもんなのか?
アンさんだけの収入に頼らなくて良いように、将来の身の振り方って言うのも考えたほうが良いぞ。貯金が無くなる前にな。何だったら、投資とか、金の買い付けとかしてみたらどうだ?
もし軍に帰って来たくなっても、俺の部屋のベッドはもう埋まってるぞ。
コナーズとガッズも相変わらずだ。セリスティア大尉が教えてくれたパンケーキの焼き方を、俺等も時々実践している。
それから、マダムが度々、隠れて泣いている。俺等に『あの子は、幸せになったのよね?』って、涙拭きながら聞いてくるんだけど、なんて答えれば良いか教えてくれ。実際、お前は幸せなの?
追伸:アンさんが白衣を着ている写真を撮って送ってくれやしないか」
そう書いてからインクが乾くのを待ち、封筒に宛名を書く。理由は分からないが、住所は郵便局の私書箱行きになっていた。
便箋を畳んで封筒に仕舞い、次の休みの時に切手を貼って出しておこうと予定した。
追伸の前の問いかけは冗談半分だったのだが、なんかくさい事を言ったみたいで、ちょっと気恥ずかしい気もする。
色々小難しいことの多かった姉弟だから、これからは幸せに生きて行ってほしいよな。
ノックスはそんな事を考えながら、午後からの仕事のために、居室を後にした。




