お仕事しましょう~ノリスの場合~
岩屋の入り口を塞いでいる布を少しずらし、ノリスは辺りの様子を一瞬観察する。外が曇っていて、雪が残っているのを確認してから、サッと布を元通りにした。
「だいぶ気温は高くなってきてる。雪が残ってるけど」と、ノリスは背後に居た子供達に声をかけた。「昼間の気温が上がって来たら、また狩りに行こう」
「今日のご飯、どうする? 干し肉がだいぶ無くなって来てるけど」と、ノーラと言う女の子が声をかけてきた。彼女の手には、擦り傷のような、小さな繊維が何度も刺さった痕がある。
「しばらくは、私達の分だけで大丈夫」と、ゆりかごの部屋から出てきたカオンが言う。「今、最後の子が蛹になった」
「マリアーナ母さんも、眠ってる?」と、ジュノと言う男の子が聞いてくる。彼は紅色の瞳の方の聴力が弱く、片耳に補聴器を付けている。
「眠ってる。他の蜂蜘蛛の子供達も」と、カオンは説明し、ゆりかごの部屋の入口の布を退ける。光魔球の明かりが届く範囲の蜂蜘蛛達は、静かに動かずにいる。
「ヴァン達はどうしてるかな?」と、ジュノは続けて聞いた。「もう、出かけてから二日経つけど……」
「道を選んで歩いてるのかも知れない」と、カオンは答える。「後一日待って帰って来なかったら、探しに行かなきゃ」
そう言ってから、カオンはノリスのほうを見る。
「水晶版に、通信は来てる?」
ノリスは「来てるかもしれない」と応じて、洞窟の奥にある自分の部屋に向かった。
ノリスの部屋は、ノリス本人が居ない時に、子供達が入らないように言いつけてある。ノリスにしか操れない、難しい術がかけてあるからだと説明してあった。
その部屋で、鞄の中から水晶版を取り出す。子供達の声が入らないように、部屋の中に限定結界を作り、通信を始めた。
「デニアスへ。新しい女王の子供は、冬になると女王と同じく冬眠をする。身体の作りは、前の世代より小型化してきている。
だが、知能の劣化や身体能力の劣化は見られない。洞窟の中の生活に適応できるように、ある意味の『進化』を遂げているように見える」
そう綴って送信すると、返事は数十秒後に返って来た。
「ソミーへ。こちらデニアス。以前の情報では、子等の体から霊力波が見られたとあるが、これはビルティの霊力の影響を受けた結果だろうか」
それをさっと読んでから、ソミーこと、ノリスは返事を書く。
「影響を受けないわけはない。前の世代の子等は、ビルティの作った『夫達』から霊的な力を受け継いでいた。健康な状態の巣穴は、私達の居住地の他に二つある。
山岳地帯をさらに北に進んだ場所にあるものと、西の森の中にあるものだ。この二つの巣からは、霊的な力を持った『雄蜂』が互いに行きかっている。私達の居住する巣穴にも、いずれ彼等は訪れるだろう」
と言う内容のやり取りであるが、実際に彼等が打っている文面は、暗号化してあり、「事情を知らない者が読んでもよく分からない」ように書いている。
蜂蜘蛛の情報について、セラ・リルケが情報操作を行ない、失脚した事件から、今の中枢システムへの侵入権を持っているのは、デニアスこと、タイガになっている。
調べた者が直接中枢システムに「入力をしろ」と言う、お達しが来たのだ。
蜂蜘蛛が強力な邪気を発していると言う誤った情報のせいで、中枢システムが、人間風に言うなら「勘違い」を起こしたからだ。
明識洛の全土で蜂蜘蛛が活動している、と言う誤った情報は、国内の強邪気地点の認識にミスを起こさせた。強邪気の発生地点には、必ず蜂蜘蛛に類似した魔獣が居るはずだと。
必ず魔獣が居ると言われて居た地点を調べてみると、法則性のない邪気が起こす黒煙の出現や霧の発生と、その邪気によって凶悪化した霊体しかいなかった。
しかし、居る物は悪者とされるようで、中枢システムが言う魔獣に当たるものは、邪霊となった霊体達の事であると、人間の方もすっかり勘違いしていた。
かつて千人規模の人員を送っても浄化できなかった地点として、マグマの吹き出すカスケードロードの事例が挙げられる。
邪気の他に、有毒なガスも辺りに立ち込めていて、生きた人間は酸素ボンベを担いで現地に集まり、交代しながら調査を重ね、邪気の封印を試みていた。
後の、清掃局の協力で、邪気の濃度を抑える事には成功した。今では火孔になっている地面の周りを結界で覆って、安全を維持している状態である。
ノリスとタイガは暗号文のやり取りをしながら、カスケードロードの事例についてもお互いの考察を話し合っている。
「エネルギー変換」が出来る余地があれば、カスケードロードの邪気は、またとない資源になる。問題は、噴出している邪気の分析が進んでいない事だ。
マグマが噴き出す危険もあるため、中々人間が近づけないのである。
「ソミー。現時点での、物資の不足は?」と、タイガが聞いてきた。
ノリスは少し考え、「人間の子供達の食料が足りていない」と綴った。「日照時間の不足により、狩りや採取に行ける時間が制限されている。蛋白質とビタミンが必要だ」と答えた。
その内容を読んでから、タイガは「ならば食糧を用意する。微々たる物になるかも知れないが。子供達も、成長期だろう?」と応じてきた。
「ありがとう。頼むよ」と綴り、ノリスはその日のやり取りを終わらせた。
翌日。ヴァンを含む数人の少年達が、岩山の中に帰ってきた。げっそりと痩せて、疲労に息を上げている状態で。
「途中で食事は摂らなかったの?」と、カオンは言いながら、ヴァンの額に手を当てて、生命力を回復させる術を使う。
「だって、食べたら数が少なくなっちゃうと思って」と言って、ヴァンは太いバンブーの筒を使った水筒を持ち上げてみせる。「重湯も、まだ残ってたしね」
別の少年達も、カオンから治癒を受けながら、「本当は、何時つまみ食いしてやろうかって、作戦を練るくらいだったんだよ?」と、苦労を語る。
「ヴァンが隊長なら、次のお使いには行きたくない」と述べる彼等だが、少年達が「買い付けた食糧を一切食べずに」戻って来れたのは、何よりヴァン隊長のお手柄である。
「我慢した分、罪の意識もないだろ?」と、ヴァンは文句を言う少年達に言い聞かせる。「僕達が『お使い』に行けるくらいに、稼いでくれたのは誰だっけ?」
それを言われてしまうと、男の子達は女の子達に頭が上がらない。
女の子達は、綿花を栽培して、それから糸を紡ぎ出し、機を折って、布を作る仕事をしてくれたのだ。お使いの資金は、その布を売って作られた。
おまけに、お使いに行く男の子達がみすぼらしく見えないように、植物の染料で染めた糸で、新しい服まで作ってくれたのだ。
そこまで「万端に」準備を整えて、自分達を信用して資金を任せてくれた子達を、裏切りたくは無かっただろう。
「男が自分の仕事を誇って良いのはね、自分達が誠実であるって言える時だけだよ?」と、ノリスは少年達に言い聞かせる。「その誠実さを守らせた隊長としての、ヴァンの仕事は信用できる」
その意見を聞いて、少年達は「次は俺が隊長になる」と挙手を始めた。
お前は無理だ、つまみ食いしようとしたじゃないか、だったら僕が、等々と、色んな所から挙手と反対意見が発生し、岩屋の中は一頻り賑やかになった。




