お仕事しましょう~イヴァンの場合~
ベルカと言う少女の継続治療のための助手、に駆り出されたイヴァンは、自分の他に五人ほど居る組合仲間の中で、結構ボケーッとしていた。
助手として駆り出されると言う事は、まだその患者を治療するには術が未発達であると言う事である。つまり、浄化能力が劣る者達の勉強のために、より術に優れた人から教えを乞う機会なのだ。
イヴァンとしては、自分が隠している能力をギルドの職員達が知らないために、無駄な時間を使わされている気がしていた。
その気に成れば、一度身体から失われた眼球や内臓だって作れる自信はある。ただし、その術は「浄化能力」からはかけ離れているので、大っぴらに使う事をやめていた。
ブルネットの少女をベンチに座らせた前で、先生役のお姉さんは、少女の状態と内在する邪気の話をしている。
「……と言うわけで、ベルカには『誰かの意志に従わなくても良い』って言う考え方が根付くまで、継続的に内発してしまう邪気を消してあげる必要があるの」
先生役は、白い髪に空色の瞳を持つのに肌がオレンジがかっていて、口元は犬歯が飛び出た武骨な歯並びをしている、随分と目立つ特徴を持った女性だ。
見目美しいと言うより、どちらかと言うと目が大きくて愛らしい感じの、痩せっぽちな人だった。
年の頃で言ったら、二十代後半と言った所だろう。十四歳になったばかりのイヴァンにとっては、大分お姉さんに見えた。
そのお姉さんは、患者の状態を説明をしながら、まず、自分の手の平に「浄化エネルギー」を集めて、ベルカの肩に触れた。
ふんわりとした柔らかい力が、少女の肩から全身に広がる。
ふーん。やっぱり、上級者は「なでなで」くらいの力の使い方をするのか、と、イヴァンは納得していた。
「それじゃぁ、みなさん」
その細身のお姉さんが指示を出してくる。
「今から、実際にベルカに術をかけてもらます。夫々、ごく弱い邪気を消すくらいの力を放ってみて」
そう言われて、ある者は手の平をかざし、ある者は印を結び、ある者は口の中でスペルを唱え始める。
イヴァンは、一番最後にしようと思って、黙ってその様子を見ていた。
それに気づいたお姉さんは、「ねぇ、君」と、イヴァンに声をかけた。「君は、どんな風に術を使うの? 他の人がいると、集中できないかな?」と言う、とても優しい言葉を。
「いや……僕は、一番後にしようと思って。邪気も、『消し過ぎ』は良くないなぁって思ってるんですよ」と、イヴァンは言い訳を述べた。
「うん。普通の体だったら、良くないかもね。だけど、『薬品』で揺らいでしまって居る心は、幾らでも邪気に侵食されてしまうんだ。さっき説明したけど、聞き逃しちゃった?」
至って優しいお姉さんの言葉に、イヴァンは気まずさを覚えた。
そこで、誰かが聞いたかもしれない質問をしてみた。
「それじゃぁ、弱い力なら、幾ら力をかけても……消し過ぎには成らないんですか?」
すると、お姉さんの返答はこうだ。
「そうだなぁ……。今回は、患者が、『背中が痛いから叩いてほしい』時に、どのくらいの力の強さが良いか、って言う力加減の練習をしてほしいのね。
それで、今回は『すごく繊細な浄化の力が必要』だけど、邪気は際限なく湧いてきてしまう……って言う症例を紹介してるわけ。
さぁ、説明はそんな所だ。君も、怖がらずに挑戦してみて。危険な事がありそうだったら、私が止めるから」
そう言われてしまい、イヴァンは内心渋々と、片手の中で魔力を練り始めた。
指先から魔力を放ち、手の上に浮かぶように力を集中する。
出力は極弱くて良い。一滴の水のような形に力を固め、変換エネルギーを込める。
それを放とうとした途端、「はい。ちょっと待ってー。ちゅうもーく」と、お姉さんがみんなを止めた。
「ああ、君は術をキープして。えーっと、君の名前は?」と、お姉さんは聞いてくる。
「イ……イヴァン・ブリューゲル」と、イヴァンは、手の上に水滴を発生させたまま、しどろもどろする。
「イヴァン君が、とても良い術の使い方をしています。彼の手元に注目して下さい。この水滴。とても綺麗な『浄化エネルギー』を放っています」
お姉さんはそう褒めてから、イヴァンに囁いた。
「その調子で、ベルカに術をかけてあげて」
イヴァンは、言われた通りに、水滴状に集めたエネルギーを、そっと押し出すようにベルカの方に飛ばした。
額で水滴を受け取ったベルカは、「夏の朝に、心地好いシャワーで体を洗ったような顔」をした。さっぱりしたと言う風だ。
両手を持ち上げ、「全然重たくない。羽が生えたみたい」と、感想を述べる。
「じゃぁ、ベルカに関しては、今日はこのくらいにしよう。次の患者の居る場所に、移動しまーす」と言って、お姉さんは先に歩き始めた。
全員が夫々の患者に術を施す方法を学んでから、解散となった。
その時、先生役だったお姉さんが、イヴァンを呼び止めた。「君とは、ちょっと、話がしたい」と。
何か注意を受けるのか? と思い、イヴァンはそわそわしていたが、お姉さんは「君の目の事、聞いても良い?」と言ってくる。
イヴァンは、以前サブターナから聞いた「朱緋眼の呪い」の事を思い出した。反射的に表情が暗くなった様子を、気取られた。
お姉さんは、「その瞳が、どう言う事かは、知ってるんだね?」と、問い質す。
「少しだけ、知ってます。でも、子供を作ったりしなければ大丈夫だって……」と、うろ覚えな事を言うと、お姉さんは首を横に振った。
「問題は、それだけじゃないんだ」
そう言ってから、辺りをよく見回し、誰も聞いていない事を確認する。
「君は凄く上手な『変換エネルギー』を使えてる。その事も含めて、国から目を付けられるかもしれない。その目を持つ人はね、国や政府の管理下に置かれる事が多いの。
君がもし、国に飼われる事を良しとしないなら、その瞳の色は隠したほうが良い」
「瞳の色を隠すって、どうやって?」と、イヴァンが聞くと、お姉さんは「カラーコンタクトレンズをするのが一般的だけど、術でも色を変えられる。覚えてみる?」と聞き返してきた。
二秒も考えず、イヴァンは「お願いします」と答えた。
その日から、イヴァンは自分の瞳の色を、ダークブラウンにするようになった。
妻と子供達にはビックリされてしまったが、「あの瞳の色は、内緒にしたほうが良いらしい。あんまり見ない特徴だったしな」と伝えておいた。
もし、イヴァンの髪が長くなくて、瞳を灰色に変えていたら、先生役のお姉さんは彼の素性に気づいたかもしれない。
イヴァンが、「エム・カルバン」の遺伝子をコピーして作られた複製体であり、「エムツー」と言う名を隠している事に。
しかし、この出会いの幸運な所は、お互いがお互いを「良い先生」と「良い生徒」と思っただけに留まった事だ。
その日の授業を終えて家に帰る途中、お姉さんは気づいた。
そう言えば、私の名前を名乗っていなかった、と。
アン・セリスティアとイヴァン・ブリューゲルの奇妙な出会いは、そんな様子で過ぎ去って行った。




