お仕事しましょう~アンの場合~
ある日の月曜日も、所属している地方の組合に、その姿があった。並べられている長椅子に座り、名前を呼ばれるのを待っている。
名を呼ばれて窓口に行くと、患者の名前と性別、その人物が何処に住んでいて、どんな症状を持っているかが用紙に、ざっと書かれて居る。
「ベルカ・レイループ。憑依現象……」と、アンは窓口で呟いた。それから、その症状が書かれている欄を指差し、「これ、何の種類の『憑依』ですか?」と、担当者に訊ねる。
「よくあるものです」と、窓口の担当者は答えてから、小さな用紙にペンで文字に綴った。「『魔女』になるんです」
「そうですか……」と、返事を返し、アンも、メモ帳を取り出すとペンを走らせた。「『薬品』の種類は?」
担当者は沈黙したままペンを走らせる。
「ヒヨス、ベラドンナ、曼荼羅華。どれも違います」
アンも倣った。
「では、新しい『薬品』が?」
担当者はきっぱりと頷き、こう綴る。「その可能性は大きいかと」
アンは情報不足のまま、明識洛の西側にある土地まで飛ぶ事になった。
「魔女になる薬」の中でも、一番肝心なヒヨスとベラドンナが使われていない。曼荼羅華も、輸入物と言ってもそうそう手に入らないと言うわけではない。
植物は種や苗があり土と気候が良ければ、地面に植えて増やす事が出来る。
「さぁて、それ等ではないと決定づけられているのなら……」と、ブツブツ言いながら、アンは目指す住所が目前に来たことに気づいた。「本当に新しい『薬品』なのかな」
その家は、確かに理想的な事に、硝子で覆われた温室があり、庭には観賞用の花やサボテンに紛れて、薬草として使える幾つかの植物が生えていた。
ヒヨスとベラドンナもあったが、其処に在るのに「使われていない」と断言できる要素があるはずなのだ。
そして何より、邪気の浄化能力医師に、この仕事を任せるだけの理由が。
床に括りつけられた鎖の中央に、十五歳くらいの女の子が鉄枷をはめられている。枷は床の鎖とつながっていて、女の子が一定の場所から動かないようにしてある。
「貴女が、お医者様?」と、ベルカと言う名の女の子は落ち着いた様子で声をかけてきた。「お若いのね」
アンも余計な事は言わないように返した。
「はい。医者として働き始めたのは去年からです。でも、邪気に関する事は詳しいほうなので、安心して下さい。それで、薬品を投与しないのに『魔女』になってしまうと伺っているのですが」
「ええ」と、ブルネットの少女は大人びた様子で答える。
アンは質問を続けた。
「今までは、『魔女』になる薬を使わなかった時に、その症状は出なかったんですか?」
「ええ」と、ベルカはもう一度答える。
「それまで使っていた薬の種類は? 塗り薬ですか? それとも、飲み薬?」と、アンは続ける。
「両方」と、女の子は言う。「貴女も魔女なら、その効果は知っているでしょ?」
「知識はあります。ですが、業界が違ったので、薬学にはあまり詳しくありません」
そう断ってから、アンは訊ねる。
「『魔女になる薬』を使っていた時は、お庭の植物達を使用していたんですか?」
一瞬、息を吸うような間を置いてから、少女は三度短く答えた。
「ええ」
それと同時に、部屋の中の奥の間に通じるドアのレバーが倒れた。
「実際、見てみると良い」と言う、老婆の声が聞こえて、女の子は身体をすくませた。
奥の間から、白髪の老婆が、湯気の上がるゴブレットを、銀のトレーに乗せて運んでくる所だった。
「お医者様。何か予言の欲しい事は?」
老婆にそう尋ねられ、アンは「今の所、間に合っています」と答えた。
「間に合ってるわけがない。此処にこうして来ている。そして、何もわかっていない。診るのが一番よかろう」
そう言って、老婆はベルカの前に、真鍮製のゴブレットを置いた。
恐る恐ると言う風にベルカが薬を服用すると、彼女は「驚いたような表情」をして、アンのほうに、遠くを見つめるような視線を向けた。
「花が咲いている。天の庭に花が咲いている。青と白の花が枯れてしまう。その時、あなたは其処に居ない。
赤い炎が彼方から呼びかけ、其処に居た影を消し去るだろう。そして許され……」
そこまで言ってから急に体を折り、口を押えると、ベルカはさっき飲んだ薬を嘔吐した。
「またか」と、老婆は嫌な顔をし、部屋を去った。モップを取りに行くつもりなのだろう。
「ごめんなさい」と、ベルカはアンに詫びる。
「ううん。大丈夫」と、アンは言って、人差し指をついと上に向けた。「こう言う『邪気』は、祓いやすいんだ」
アンに保護されて組合に連れて来られた女の子は、「近年飲むようになった新しい薬」の事を話してくれた。
それは、サボテンを乾燥させたもので、西の大陸から輸入されて来たそうだ。
「調子の良かった頃は、自分でも信じられないくらい正確で、遠くを見通してるような予言が出来たの。でも、薬を飲まなくても『幻視』が起こるようになって、それで……お前が、術を拒絶してるからだって」
そう話しながら、ベルカは寒そうに身をすくませる。
「おばあは、私の中にある、術を拒絶する『邪気』を消そうとして、いつでも『新しい薬』を飲ませるようになった。その度に、短時間だけ予言が出来た。
だけど、いつでも薬を吐いちゃって、それは『薬を吐こうと言う意識があるせいだ』って言って……。もう、私も、訳が分からなかった」
「貴女は、薬を吐こうとはしてなかったんだね?」
そうアンは言葉を添えてあげた。
「それなら、あの薬が『致死量』に近かったことも考えられる。悪いのは、薬に頼り過ぎたおばあさん。それに、あなたの体はもう、新しい薬の起こす『幻視』に耐えられなくなってる。
私が此処に連れて来たことで分かってると思うけど、私は、貴女はもう『予言』をすべきではないと思うの。それで、あなた達の心に巣くってた邪気を浄化したわけ」
それを聞いて、ベルカは目を見張ってアンを見た。
「やっぱり、私の中にも、邪気があったの?」
その肩に優しく手を置き、アンは言う。
「うん。『従わなきゃ成らない』って思いこんでる、子供の貴女の邪気がね」
そんなわけで、ベルカと言う名の少女の「症例」は、ギルドの内部情報として記録されて、彼女は家族から離れた医療施設に保護される事になった。
毎日「薬品」を投与される生活からは逃れられたが、今後も彼女が「フラッシュバック」を起こさないとは限らない。そしてその時に見える物は、見目美しい幻覚だけではないのだ。
アンは、時折、ベルカが保護されている施設に、見舞いに行く。たっぷりの蜂蜜と檸檬に、輸入物の飛び切りの紅茶と言う、魔法をかけた特別なお茶を持って。
そのお茶を差し出され、その香りに微笑む時、ベルカは年相応の笑顔を見せるようになった。
家族と言うものの「意向」に従わない彼女を、責める者はいないのだ。
何時か、ベルカに就職の話をしてみよう。掃除やご飯の作り方を覚えるのが苦手じゃ無かったら、良い就職口がある。
アンは仕事の傍らに、そんな事を思って居る。




