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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第十章~取り返した未来~
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28.姫君と僕

 今日も、アンは箒で飛び回っている。地方の組合(ギルド)に所属して、浄化能力医師として働くようになってから、毎日は好調である。

 一定時間魔力を練らなければならない、複雑な術を必要とされる時もあれば、力を込めた手で背中をトンッと叩いただけで治せる症状もある。

 清掃員時代のように、「全力でぶっ飛ばす」と言う力の使い方をしないので、最初の内は「これは楽かもしれない」と思って居た。受け持つ患者の数が増えて、分単位でスケジュールを組むようになる前は。

 人間の体を壊さないように、内部に巣くった邪気だけを取り除くと言う術の使い方は、これまでも経験があったが、それだけを何度も繰り返すのは、細かい疲労が付きまとう。

 一日に受け持てる人数の治療をサクサクとこなし、ギルドに提出する書類にサインをもらい、書類の束が治まっている四角いリュックサックを担いで、登録してあるギルドに帰る。

 ギルドでの仕事の記録と給与の換金を頼み、大粒の宝石通貨を持って、自宅であるマンションに帰る。

 マンションの窓の鍵の前で、アンがくるっと指を回すと、内鍵が自動で外れる。後は、手で窓を開けて箒ごと入室する。

 この帰り方が普段使いに成ってから、とんと「マンションの玄関」から帰って来たことがない。もしかしたら、マンションを探して地面から帰れと言われたら、道順を忘れているかも知れない。

 まぁ、そんな事態にはならないだろう……と思いながら、アンは床の上で箒から降り、革袋の財布にいっぱいの宝石通貨を、手持ちで動かせる金庫に仕舞う。

 この金銭は、ガルムに頼んで銀行に持って行ってもらう予定である。なんでも、世の中では「紙幣」と言うものが普及しており、宝石通貨や金属通貨の価値は、年々下がって行っているらしい。

 であるが、「金」の値段だけは安定していて、資産運用を考える者達の中では、今のうちに「金貨」や「金塊」を集めて、「金」の値段が上がったら売り払おうと言う作戦を立てている者達もいる。

 私も、金剛石を金に買えておこうかな……。もしくは、ギルドで報酬を預かってもらって、金貨が手に入る値段に成ってから払い戻すとか……と、アンも作戦を考えていた。


 その年のアンの誕生日に、ガルムはわざわざ仕事を休んで、家でクリームチーズケーキを作ってくれた。

 同居しているガブリエルは、「ちょっとした用事がある」とだけ言って、きょうだい水入らずの場を提供してくれた。

 アンは、ブルーベリーのピューレがかかっているチーズケーキを食べながら、「私も二十九歳に成ってしまったか」と呟いた。

「何? 三十歳になるのが怖い?」と、ガルムが冗談を言うと、「三十歳に成ったら、結婚を考えないかって、神殿の方からせっつかれてるから、相手を探さないとなーって思って」と返ってきた。

 その言葉を聞いて、ガルムは視線を下げた。

「結婚したら、その人の扶養に入るの?」

「え? なんで?」と、アン。

「ねーちゃんは、確かに大したお医者さんだけど、今の世の中でも、妻が夫より稼いでるって言うのを嫌う人もいるしさ……」と、ガルムは、どちらかと言うと悩んでいると言う風だ。

「えー。夫が仕事で稼げないんだったら、妻が働くしかないでしょ? 何を訳の分かんない事を言ってるのさ」と、十歳の頃から働いている人物は言う。

「そもそも、相手を探すって言うのは……どうするの?」と、ガルムは不服気に聞き返す。

 アンは、考え込むようにケーキフォークでお菓子をザクザク刺している。

「うーん……何人か候補は要るんだけど、その人達が私を気に入ってくれるかが分かんないんだよね」

「そう……」と呟いて、ガルムは黙った。

 アンは、弟の様子には、とんと無頓着だ。

「ガルム君は、誰を『お義兄さん』って呼びたい?」

「誰って言われても……候補って誰なの?」

「例えば、ノックス君と、ジークと、ラムだったら?」

「その三択だったら、ランスロットさんかな」

「なんでノックス君とジークは駄目なの?」

 アンがそう聞くと、ガルムは急に席を立って、シンクに水を流し、ケーキ作りに使った道具を洗い始めた。

「彼等を『お義兄さん』と呼んでる自分が、想像できない」

「はぁ、そんなもんかぁ……」とか何とかぼやきながら、アンは粉々にしたケーキをフォークの腹で寄せ集め、皿から掻き込んだ。


 旅の支度を整えたアウレリアは、弟子を連れて行くために準備をさせました。小さな小屋を借りて、木の箱に座らせた弟子の身支度をします。

 長旅に相応しい、生地の仕立てが良い丈夫な衣服を着せ、頑丈な靴を履かせました。それ等の処置を、ルークスはぼんやりとした様子で受け入れています。

 傍目からは大人しいようでしたが、ルークスは時々、思い出したように片手に(いん)を結び、魔力を放とうとしました。でも、魔力流が通らなくなっている手では、何の現象も起こせませんでした。

「まだ、術を使うには早い」と、アウレリアは言い聞かせました。「まずは、心を整えるんだ」

 すっかり旅の様相になった二人の所に、メリューが現れました。

「これ」と言って、木っ端を花の形に削った物を、ルークスに渡します。「お守り。持って行って」

「メリュー」と、アウレリアのほうが答えました。「気を使ってくれて、ありがとう。だけど、これは受け取れない」と言って、弟子の手から木っ端をそっと取り上げると、メリューに返します。

「なんで?」と、幼子は聞きました。

「龍族との(あかし)なんて受け取ったら、その後の責任が重くなるからね。今のこの子には、まだ受け取る資格がない。

 でも、何時か……そうだな、ルークスが、自分の意思でメリューに会いに来たら、その時に渡してあげてくれ。今は、この子は、まだ準備が出来ていないんだ」

 メリューは自分の手に返された、小さな木っ端を握りしめて、「分かった」と答えました。そして、駆け足で帰って行く途中に振り返って、「ルークス!」と、声をかけました。「またね!」

 その声の中に籠っている言霊に、死霊使いアウレリアは気づきました。

「再会は確実なようだ」

 そう独り言ちてから、弟子の背を押して地面に立たせ、肩を守るようにして歩き出しました。

「さぁ、家に帰ろう」

 そう言って旅立った二人の背は、海沿いから高く上がって行く坂の上を越えて、見えなくなって行きました。

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