27.言えなかった事
メリューは、メリュジーヌが次に帰って来た時に、今度こそちゃんと「アンから言伝られた言葉」を告げようと、頭の中で何度も考えました。
ジークが「双神」のモンタージュを見せた時から、アンは気分が悪そうにしていました。
それが、自分で封印した記憶を取り戻しかけている時の「反射作用」である事は、ジークが教えてくれました。
アンはシャニィに連れられて、キッチンの方に行ってしまいました。メリューはジークの部屋に残ったので、キッチンで何があったかは分かりません。
でも、アンが「封印しなければならない重要な記憶」を抱えていて、それが今後の自分に何かの影響を及ぼす事を、メリューからメリュジーヌに伝えさせようとしていたのだと分かりました。
「もしかしたら、私は私じゃなくなるかもしれない」と、アンはメリュジーヌが旅立つ前に、メリューに告げていました。「だからって、メリュー達の事を放り出して、何処かに消えたりはしない」とも。
確かに、何時ものアンであったら、絶対にメリュー達を見捨てて何処かに消えたりはしないでしょう。
だけど、外から見た姿はアンでも、内側がアンじゃない誰かに成ってしまったらと考えると、メリューは寂しい気持ちでいっぱいでした。
メリューが勇気を出してキッチンに行ってみると、アンはコップの水で口を漱いでいる所でした。
「喉が痛い……」と呻きながら、手近の椅子にドサッと座ります。
「アン」と、メリューは呼びかけました。
「ん? なぁに?」と、何時もの調子で、アンは答えてくれました。その様子が「嘘」ではない事は、メリューの幼い目にも分かりました。
「アンは、アンだよね?」と、メリューは呟くように聞き、アンは幼子の不安を察して、「そうだよ?」と、わざとふざけた様子で答えました。
それから、色々と騒がしい事がありました。
メリュー達が、落ち着いて朝ご飯と昼ご飯と夜ご飯を食べれるようになってから、アウレリアと言う名前のボロボロの黒い服の女性が、ジークを尋ねて来ました。
確か、悪い人達に操られて、メリュー達の町を死霊と邪気で汚した事のある人です。
アンから「意識感化」と言う術を解いてもらってから、町の人達を集めて、アウレリアが操られていたのを説明した事もありました。
その人は、片手に、大人の手の平ほどのガラス玉のような物を握っていました。その中には、体に布を巻きつけただけの、ほとんど裸のような小さな少年が蹲っています。
「ルークスが見つかった」と、アウレリアは硬い表情で報告しました。
アウレリアの弟子であるルークスは、「双神」に操られて、大量の精霊を作っていました。その精霊達は、「渇き人」と呼ばれる魔獣に理性を持たせるために使われていたそうです。
でも、ルークスにとっては、自分の魅入られた精霊を双神達に悉く奪われ、心が引きちぎられていました。
精霊にも意思や心がある事を忘れて、それを捕らえる事にだけ熱中するようになっていたのです。
一度は双神から逃げたアウレリアでしたが、ルークスの所在を探す事は諦めていませんでした。双神が「あの軸」から消滅してから、アウレリアはようやくルークスを見つけたのです。
すっかり気が触れて、虫をつかまえる事に熱中する子供のように、精霊を狩っているかつての弟子を。
ルークスの住処には、本来「憑き物」として人間の体から切り離す、一種の邪気を保存しておくための瓶が並び、その中に精霊に成り立ての魂達が詰め込まれていました。
ルークスは、精霊を浴びて身を清め、精霊を食べて腹を満たし、精霊を着て温もりを得ていました。
かつての師を見つけた時、彼の顔に、一瞬恐怖が浮かびました。でも、ルークスは表情を凍らせただけで、すぐさま手に印を結び、師へ向けて「矢」を射ろうとしました。
其処から、アウレリアはルークスを鎮めるために戦う事になり、辛くも勝利を得て、弟子を魔力の氷に漬け込んだ状態で運んで来たのだと言いました。
アウレリアが片手に握っていたのは、ガラス玉ではなく、その時に作った「魔力の氷」なのです。
理由を聞いたジークは、ルークスに継続的な「心の治療」が必要だと判断しました。
そして、何時も通りの大仕掛けを操って、アウレリアが氷漬けにするしかなかったルークスの体から、彼が「死霊使い」としての力を得るまでの情報を抜き取りました。
「魔術は使え無くしておくが、だいぶ強力な『意識感化』が残ってるからな。無意識に、無意味な行動をとるかも知れない。それで、アウレリア。弟子を治療してやる気はあるか?」
アウレリアは、白髪頭をバリバリと掻き、「私の弟子だ。面倒は看るよ」と答えました。
魔力の氷から出されて、元の大きさに戻ったルークスは、衣服を着せられ、アウレリアから「憑き物」を払う時に使う印を腕に描かれました。
その印は、タトゥーのようにルークスの腕に染みつき、水を浴びても光を浴びても消えないような処置が施されました。
それから、アウレリアとルークスは、数日だけメリュー達の居る海沿いの町に滞在しました。
意識を取り戻したルークスは、酷くお腹を減らして居ました。
シャニィがミルク粥を作ってあげると、皿とスプーンを鳴らして口に掻き込み、ほとんど噛まずに飲み干してから、お代わりを要求しました。
シチュー鍋一つ分のミルク粥を食べつくしてから、ルークスは床にごろりを寝転がり、目をしかめるようにして眠りにつきました。
「大分、辛い思いをして来たんでしょうね……」と、シャニィはその様子を見て溢しました。
「なんとかなるさ」と、アウレリアはその言葉に返します。「飯が食えるなら、生きて行ける」
「確かに」と、シャニィは応じ、「毛布を取ってきます」と言って、屋敷の奥に引っ込みました。
「やれやれ」と、アウレリアは囁き、床に寝転がっている弟子の横に座り込みました。「少しだけ、夢を覗かせてもらうよ」
ぐるぐると渦を巻く光の中で、ルークスは跪き、呆然と手元を観ています。その両手の中に傷のような物が現れ、そこからドロドロと黒い液体が溢れて来ていました。
ルークスは、その液体の放出を止めようと、手を握り合わせたり、地面だと思ってる場所に押し付けたりしました。
ですが、ルークスの両手から溢れる液体は、手を握り合わせても滴り落ち、地面だと思って居る場所にどんどん染み込んで行きます。
黒い液体はルークスの周りを取り囲み、覆いつくしました。そこに、一陣の風が吹いてきます。
途端に、周りは森の中に成りました。アウレリアと一緒に住んでいた、崖の近い森の中です。
ほんの遠くに、黒衣を纏ったアウレリアらしき影がありました。そのアウレリアは、精霊達を友人のように扱っています。
手を触れ、挨拶を交わし、精霊達が立ち去ったら、自分も家に帰る…そんな間際のようでした。
その、穏やかな表情のアウレリアが、両手から黒い液体を放出し続けるルークスを見つけます。
ルークスは、汚れた両手で頭を抱えました。
「嫌だぁあああああああ!」と、彼の口が叫ぶ形を作りました。




