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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第十章~取り返した未来~
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26.異なる行き先

 大きく二手に分かれた時間軸を辿りながら、「エリス・ヴィノ」は、「(りゅう)」の流れのひとひらに立ち寄った。

 其処は、「人間達が『悟り人』の空間まで辿り着けなかった軸」である。

 閉ざされたままのユリアンが、妖精の少年リポラと一緒に、新しい世界を作っている途中だった。

 花畑の中にブランコがあるだけだった空間は、何時の間にか公園が出来、リポラと同じくらいの体躯の妖精達が、目は開けないまま、何も不自由はない様子で遊んでいた。

 エリスはその公園の地面に着地すると、霊力転写を重ねて新しい遊具を作っていたユリアンを見つけた。

 ユリアンが操っている技は、丁度、その時点より未来の世界で作られる事になる「スリーディメンション・スキャナー」と言う機械の機能に似ていた。

 彼も、エリスが歩いてくる気配に気づき、作業の手を止めて顔を明るくする。

「ガ……」と口走りかけ、咳で誤魔化した。そして声をかけなおす。「エリスさん。お元気でしたか」

 エリスも、とても懐かしい人に出会ったように顔を緩め、「ああ」と答えた。

 公園の中には、素朴な形のベンチがある。

 エリスとユリアンは其処に腰掛け、遊んでいる妖精達を眺めていた。

「大分、人数が増えたね」と、エリスは言う。「どんな風に増えたんだ?」

「リポラから分裂した子達が数名と、他の軸から集まって来た子達が十数名」と、ユリアンは敢えて細かい人数は、ぼかして答えた。

 何故なら、一歳児程の体躯の肉を纏った妖精の他に、霊的な存在も混じっているからだ。霊的な彼等は、この軸では曖昧で、何時の間にか増えていると思ったら、何時の間にか減っている。

「出来れば、大きな家が作りたいんです」と、ユリアンは言う。「物質的にも彼等を守れるし、建物に霊術をかければ、これ以上はない結界にもなりますから」

「壁紙は何にする?」と、エリスは冗談を言う。「床上から天井まで、絵物語でも描くか?」

「良いですね。北ユーリアの創世神話の話でも?」と、ユリアンも冗談で返す。

 エリスは息を吐くように細やかに笑って言う。

「そのくらいが、子供部屋には、丁度良い」

 エリスの柔和な笑顔を横に見ながら、ユリアンは思った。これが、彼の本来の瞳の色なのかと。カラーコンタクトレンズで隠してしまうには勿体ない、美しい雪影色だ。

 リポラからの分裂体である、大人の片手に乗るほどの肉体を持った妖精が、ユリアンとエリスが会話をしているのを見て、トコトコと近づいてきた。

「ユーリ。この人は?」

「ああ。君はまだ知らなかったね」と、ユリアンは応じた。「エリスさんだよ。えーっと……僕のカウンセラーみたいな人かな」

「かうん……?」と呟いて、妖精は口ごもった。

「話し相手の事」と、エリスの方から小さな妖精に声をかけた。「君の名前は?」

「イベル・オー・ルトゥール・ゴーア……」と、妖精がフルネームを名乗ろうとしたので、ユリアンが「ニックネームを教えてあげて」と述べた。

 その言葉を聞いて、妖精は少し考え、「ゼータ」と答えた。

「ん。覚えた。ゼータか」と言って、エリスは妖精に問いかける。「君達の挨拶の方法は?」

 小さな妖精は、エリスの目の前で、地面に足をついたまま横にくるりと一回転し、両手を広げてみせた。そして言う。「武器を持ってないって言う挨拶」

「そうか」と言って、エリスもベンチから立ち上がり、革靴の踵をついたまま、くるりと一回転し、スーツの胸を開けて見せた。其処には、銃をしまったホルダーが付いている。

「生憎、武器は持ってるって言う挨拶」

 エリスがそう言うと、ゼータはおかしそうに子供の笑顔でクスクス笑った。


 ユリアンとゼータ達に見送られ、エリスは「悟り人」の作った空間を後にした。

 エリスとして彼等に触れあっている記憶は、きっと「現在軸」に戻ったら忘れてしまうだろう。だが、夢の中で見た事のように、またこの空間に来れば思い出す事が出来る。

 次に会う時は、どれだけ大きな家が出来上がっているだろうか。

 エリスはそんな事を考えて、分かれた時間軸のある点へ向かった。


 まだガルムが軍に所属していた頃。ほんの一年前の出来事だ。式典を済ませ、一回しか着る事の無かった大尉のための軍服をハンガーに戻す。

 もう、緊急の出動要請に焦る事も無い。引っ越しまでの時間は、二十四時間あった。なので、まずは部屋着に着替えて、コートを着込み、自販機まで飲み物を買いに行こうとした。

 ドアに近づくと、ゴンゴンゴンと言う、無作法に、廊下側から扉を叩く音が響いた。

「はい?」と、返事をして、扉を薄く開ける。その隙間によく見知った顔が集まった。ノックスとコナーズとガッズだ。

「何? 勢ぞろいで」と、ガルムが薄い反応でそう言うと、ノックスが敬礼をして、「ガルム・セリスティア大尉。ご退職前の挨拶に参りました」と言い出す。

「はぁ……。そうですか」とか何とかぶつぶつ言いながら、ガルムは廊下に出た。

 そこでようやく気付いたが、コナーズが、何か重いものが入っているらしい紙袋を持っている。

「大尉。ちょっと話がある。貸し出し厨房に行くぞ」

 そう言って、コナーズはサクサクと廊下を歩いて行き、ガッズはセリスティア大尉の両肩を、背の方から押す。

「マダムの許可は?」と、聞いてみると、「取ってありますとも」と、ノックスが言い、ガルムの片腕を掴んで、ほとんど連行するように貸し出し厨房に向かった。

 

 先に来ていたコナーズが、卵の箱と牛乳のボトルとバターの箱を、見慣れたキッチン台に置く。それから、小麦粉の袋と砂糖の袋と膨らし粉の缶も置いた。

「ガルム・セリスティア大尉」と、コナーズは明らかにふざけた様子で、ガルムに声をかけてくる。「この材料で作れる物と言うと?」

「いや……色々作れるだろうけど」と、ガルムは答えた。「俺に何か作れって事?」

「いやいやいや、そう言う事じゃなくてだな」と、コナーズ。「この材料で、俺等に『美味い菓子』の作り方を教えてくれよ」

「ガッズの奴も覚えられる、簡単なメニューをお頼みします」と、ノックスはふざけ続けるつもりだ。

 ガルムは数秒も考えず、ボウルと測りとふるいを用意すると、「まず、粉の量を測って、ふるいにかける」と説明し始めた。


 エリスは遠くからその様子を見ながら、この軸のガルムの瞳が、まだカラーコンタクトレンズを付けている事を確認した。

 これは、「朱緋眼を失わなかった軸」なのだろう。恐らく、ガブリエルに力を渡した後で、返してもらったのかも知れない。

 あの時見た「幻視」の中の予知は、この軸の事だったのだろうか。

 だが、ガルムが軍を辞めるのは変わりないようだ。

 朱緋眼を持ったままのガルム・セリスティア大尉は、偵察隊の三人に「とても美味しいパンケーキの作り方」を直伝していた。


 「就寝」モードのアンナイトの脳波が、静かに何かの波形を描いている。

 人間であればα波に近い波形が弱まり、モニターにも感知できない、ごく弱い思念波がもやもやと湧き立っている。

 パッキンを開けて、内部構造をチェックしていた整備主任は、整備用のゴーグル越しに思念波を察して、「お前も、寂しいか?」と聞いてみた。

 ――私は……。

 アンナイトの思念波が、誰にも聞かれていないつもりの独り言を呟く。

 ――一つの夜ではなく、一人の騎士でありたかった。

 整備主任は、「騎士に成れるさ」と言いながら、これからも長い付き合いになる()()の、絶縁してある武骨な配線を、愛おしそうに指の背で撫でた。

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