25.許された者
夜、宿で眠る前に、ラビッジは読みかけの手紙をランタン明かりの中で広げなおした。
ガルムからの手紙は、こう続いている。
「そう言えば、ユリアンも元気だよ。軍の上層部が彼を発見する前に、『悟り人』本人が、空間の外に逃がしてくれたんだ。
その時、『悟り人』は印象的な言葉をくれたってさ。『貴方が切り拓く未来に、期待してるよ』って。
こっちのユリアンは、今、アンナイトの専属操縦士として働いてる。
彼は魔力を持ってないから、疑似形態は使えないみたいだけど、その辺りの研究は、ジークさんのシャドウを使ってるって。
アンナイトの仕事も、ユリアンの能力に合わせてる。主に、過剰な邪気の削除をして、エネルギー変換の出来る邪気を『資源』として扱う方法を、洗練させてる。
邪気を『資源』にって言ったら、ラム・ランスロットさん達の計画してた、『魔力塔』の建設が始まったらしい。詳しくは言えないけど、小さな田舎町を試験場にして、塔の建設を急いでいる。
その町の町長さんは、『魔力塔』の建設と一緒に町の整備が行き届く事を望んでて、そのリクエストに出来るだけ応える事にしてるって。
僕達の様子は、今の所そんな具合だ。ラビッジは、旅先でショーを開いてるんだろ? こっちに来ることがあったら、是非教えてほしい。君の人形劇を、一度目の前で見てみたいから。
それじゃあ、またね。ガルム・セリスティアより」
ラビッジは追伸の書かれた次の便箋が無い事を確認してから、紙を元通りに折りたたみ、封をすると自分の鞄の一番奥にしまった。
真新しい内装を得たマンションの一室で、ガルムは寝ぼけ眼を開けた。天井を観ると、姉が選んだ「ユグドラシルの枝の絵の壁紙」が見える。
うん、確かに、飽きは来ない天井だね。と、ガルムは納得していた。決して、今の彼が五歳の子供でないとしても。
そして、何となくベッドの左側が生温かいような感じがして、そっちに目を向けると、パジャマ姿のアヤメが居た。
あ。そうだ。昨日、終電逃したから泊めてくれって言って……だけど、何故、俺のベッドで眠ってるの?
よく部屋を見てみれば、ベッドの近くのソファーに、何枚か重ねたブランケットが、半分ずり落ちた状態でかかっている。
多分、ソファーで眠っていて、落っこちてから寝ぼけてベッドの方に眠りなおしに来たのだろう。
いや……そもそも、なんで俺の部屋で眠るんだよ。ねーちゃんの部屋でも良いでしょ?
そう思って思い出してみると、アヤメの台詞としては。
「アンの部屋に泊まるとさー、絶対眠る前にポーカーしちゃうんだよね。勝負が決まるまで眠れ無いと、明日ヤバイから」
と言う事であるが。
二十八歳の成人女性が、二十三歳の成人男性と同じ部屋で、何事もなく眠れ……ているから良いのか、と、ガルムは何となく肩を落としてしまった。
「アヤメさん。起きて下さい。今日、早いんでしょ?」と、ガルムはアヤメの肩を揺する。
「んー? 今何時ー?」と、アヤメは寝ぼけてぶつぶつう言う。
ガルムが時計を見ながら、「八時十五分です」と言うと、アヤメは冷たい水でも浴びたかのようにカッと目を覚まし、起こしてくれた人に礼も言わず、洗面所の方に走って行った。
バタンっと音を立ててドアが閉まった先で、アンが「アヤメ。おはよー」と言ってる声と、「うん。私のサンドウィッチ、一番最初に出来たのにして!」とアヤメが注文している声が聞こえた。
恐らく、アンはせっせとパンにバターを塗りつけ、溶けるチーズを挟んでフライパンで焼いているのだろう。
「ガルムくーん! 起きてるー?!」と、大声で、キッチンの方からアンが呼んでくる。
ガルムは大声で返事をする事はなく、パジャマ姿のままリビングに顔を出した。キッチンカウンターには、四つの皿が並んでいる。
「今起きた」と答える彼の瞳は、雪影のような青だ。
ずっと前に、一瞬だけ見た「未来予知」の中では、ガルムは朱緋眼を持ったままだった。
新しい「未来」に来て、予め分かっていた事と違うのは、ガルムが元の瞳の色を取り戻したことだけだ。強大な力は失ったが、国に飼われる事を恐れる必要もなくなった。
新品の大尉の軍服を着たのは、除隊する前の式典が最初で最後だった。
「良い香りだな」と言って、同居人の女性が、頬をタオルで拭きながらリビングに来た。
彼女は灰色のカラーコンタクトレンズをしているが、その瞳の奥には真紅に近い朱緋眼が隠されている。
今、アンからガルムに受け継がれ、ガルムが手放した強大な魔力を担っているのは、ガブリエルだ。
ガブリエルは、ラビッジと一緒にその力を使って、あの時間軸の双神達を仕留めた。真っ向からぶつかったら勝ち目はない。何か、意識や集中力を撹乱するための技を使ったようだ。
あの時間軸の未来がどうなったかは、折々にラビッジが連絡をくれる。
「何処とも同じさ。完全に平和でも無ければ、完全な戦闘状態でもない」
ガルムはそう聞かされ、確かに世界は分岐しているのだと察した。
ジークが、メリューの魔力を使って探し出した、過去軸の中の「カスパーとカリス」を、「エリス・ヴィノ」が引き取り、そこから遥か未来に居るはずの、イヴァンとペチュニアの夫婦に預けた時点から。
現在居るのが、元の時間軸とは別の分岐であると知っているのは、事件の当事者の中では、ジークとアンとガルムを含む、数名だけだ。
別の分岐軸と言っても、特に元の軸と生活条件が大きく変わっているわけではない。
過去軸が分岐しても、数多の魂が存在している「流」は残る。
ラビッジ達が「双神」となった双子を始末する事も、新しい軸の中に居る「カスパーとカリス」が残忍な神に成ろうとしないように教育する事も、どちらも必要な事なのだ。
「複数の時間軸が、互いに影響し合いながら存在している。草花が、一つの株の中に、枝分かれした複数の花を持つように、『流』は分岐し続け、存在しようとしている」
サクヤ・センドは、ジークからの情報をそのように纏めた。サクヤは、以前の時間軸で「双神が決定した十二人目の代りに、人間達の作った『船』が選ばれた」のだと知っていた。
しかし、ある時点から、その記憶が、思い出せなくなった。何か大切な事が起こったような気がする、と言う記憶の名残以外は、彼女が「世界の隙間」で得た情報は削除されてしまった。
不思議な事はまだ続いた。
ある日の夢の中で、サクヤは七歳に戻り、同じく七歳だった姉のササヤと一緒に、センド家の子供部屋でお喋りをしていた。
「サクヤ。『世界の隙間』って、なんで存在するのか知ってる?」と、ササヤは説明したい事をクイズにする。
「分かんない。教えて」と、サクヤは返す。
ササヤは自慢そうに話し始めた。
「この世界にはね、幾つかの『流』があるの。それを、私達は時間軸って呼んでる。ある時間軸の『流』の中から、近しい世界に行くとき、ほんの少し隙間がある。
それが、『世界の隙間』って言うんだ。その隙間を行き来できる人は、私達みたいな『双子の影』の他に、『神気を纏う者』と、『エリス』だけ」
「エリスって誰?」と、サクヤ。
ササヤは仄かに顔を笑ませ、小さな声でサクヤの耳に囁いた。「許された者、だよ」




