18.別れと訪れ
来るのが分かっていたように、ジル・ヘルダーはガルムを迎えた。
「頬が削げているな。体重は戻ったか?」と、ジルはまず、本題と関係ない事を聞いてくる。ガルムは答える。「まだ。食べれば戻ります」
「その案に一票入れよう」と言って、ジルはクリームを練り込んであるチョコレート菓子を、引き出しから取り出した。「食っておけ。倒れられても困る」
ガルムは甘い物の登場に眉を寄せたが、梱包されている袋の表記が「苦め」だったので、騙されたと思って食べる事にした。
「それで、お前が聞きたいのは、レーネの所在だろ?」と、ジルは言う。ガルムは「苦め」にしては甘ったるいチョコレート菓子を咀嚼しながら頷く。
ジルは話し始めた。
「お前達の神気体が、『現在軸』から消えるより少し前に、レーネの装身具からの魔力波が一度途絶えた。こちらから調べる前に信号は回復したが、まるで『魔力を一部削り取られた』ような波動の減退があった。
その後、レーネは数回の『転送』と、『変化』を使っている。この基地に来ようとしていたようだな。そして誰にも知らせずに、軍病院に侵入し、お前の病室で消滅した」
喉に引っかかる甘い物を何とか飲み干し、ガルムは尋ねる。
「なんで、彼女は俺達の病室で消滅する事にしたんでしょう?」
「単純に考えるなら、お前を『異空間』から引き戻す為だろうな。気づいてるか?」と、問われて、ガルムは目を瞬いた。
ジルは言う。
「レーネが消滅する時に放った魔力が、お前の霊体に吸収されてるんだ。どう言う原理かは分からんが、分解できないくらいに馴染んでいる」
ガルムは、思わず手元のチョコレートを落としそうになって、空中に浮いたものを素手でキャッチした。手の平がうっすら汚れたが、構わずそれを口の中に放る。
口の中の唾液を全部奪って行きそうな、濃厚なチョコレートを根性で飲み込み、フーッと息を吐いてから、ガルムは聞き方を変えた。
「レーネの魔力が馴染んでるって事は、分かりましたけど……彼女の人格は?」
「何か、自分以外の存在でも感じるか?」と、ジルは当たり前の疑問を問う。
「いや、唯の勘です。そう言う風に、俺の霊体が誰かの力を吸収した時、人格は残るのかなって……」
「残る場合もあるし、残らない場合もある」
そう言って、ジルは腕を組む。
「怖いのか? 昔の姉と同じ状態に成るのが」
そう聞かれて、ガルムはチョコレートで汚れている唇を、舌を噛むように舐めた。
「まぁ……。姉ほどの自制心と包容力はありませんから」
その答えを受け、ジルは考えるように自分の髪を撫でた。
「相手を恐れるほど、それは恐ろしい者になる。兵士の心得だろ?」
揶揄われて、ガルムは目を閉じ、「それもそうですね」と、困ったような表情で苦笑いをした。
理愁洛のメリュジーヌの屋敷では、「鎮静」の術をかけられた状態のアンが、客間のベッドが心地好さそうに寝息を立てている。
そして、ジークの部屋では、複雑な術式が組まれていた。
ジークは、空中に浮かぶ各種のウィンドウを観察し、本当は術師が長い長い時間をかけて詠唱すべきスペルを、光の映像として浮かんでいる操作キーを操って、手指の動きだけで入力して行く。
ポッド型のマシンの内側にある各種のペタルを踏むと、一番手前に浮かんでくるウィンドウが切り替えられる。足踏みの動作の勢いに反応して、ウィンドウの切り替えも早くなったり遅くなったり、上下が組み変わったり、進んだり戻ったりする。
その時のジークは、ゴーグルの片側のレンズを全部どかして、片目の裸眼で「パワーフィールド」を目視していた。配線を浮きがらせている床に設置されている、木製の円いローテーブルの上にそれは呼び出されていた。
スペルを打ち終わり、魔技力を込めた印の描かれている、三方向のスピーカーから、「ものすごく活舌の良い人間が、早口で唱えているくらい」のスピードで再生する。慣れたもので、スペルの打ち間違いはないようだ。
ローテーブルの上に陣が浮かび、魔力波を放ち始める。ジークは操作を続ける。疑似形態の変形で作られた、先端に可動域があり何かをつまめるようになっているアームが、空中に現れた。
「んじゃ、行くぞー」と、ジークは通信先に声をかける。
「おっけぃ」と、向こうからアンの声が聞こえて来た。
ローテーブルの上の魔法陣が光り出し、その中に無骨な「アーム」が侵入する。
ギチギチギチ……ブツブツブツ……と言う、硬い繊維質の物に力がかかり、それが引きちぎれるような音を立てながら、アームは何かを取り出そうとする。
パワーフィールドが一時的に拡張し、水と風が混じりあって唸るような音がした。光の中から、胴体をアームに捕まれている獣人の少年と、彼と手をつないでいる黒服の女が二人現れる。
アームはクレーンのように動いて、引きずり出した者達を、配線の浮かび上がりで凸凹している、決して居心地の好く無い床に降ろした。
「ぷはぁ」と、獣人の少年は息を吐き、連れ達の手を離した。それから、目をぎゅっと閉じて頭の上の耳を押さえ、「ううぅ……」と呻き始める。
獣人の鋭敏な三半規管にとっては、此度の特殊な空間移動は、相当負荷がかかったようだ。
彼の他の、連れて来られた二人のうち、黒髪のほうは意識を失っており、白髪頭のほうは短距離走でもした後のように喉で息をしている。
その三人の後から、毒々しい魔力が追って来そうになったが、それはたちまち「浄化エネルギー」に変換され、ジークの部屋を汚染する事は無かった。
ジークは、退けていた方のゴーグルのレンズを戻して、機器の状態をチェックする。「ん。異常個所はないな」
その言葉を聞いて、「僕達の異常個所を、治してくれることは出来る?」と、獣人が聞いてきた。
「今、『浄化』が通った後だから、休めばそのうち治る」と、ジークはさっくり受け流す。「でもって、お前等、どうやってアンの夢の中に入り込んだんだ?」
其処から、延々とジークの質問攻めが始まった。
獣人の少年は眩暈と吐き気を我慢しながら応じた。
彼は、まず自分達の名を名乗った。少年の名はラビッジ、黒い髪の女の名はガブリエル、白髪頭の女の名はアウレリア。
ラビッジは元々空間干渉能力を持っており、異なる空間や他人の意識の中に「肉体を持ったまま入り込む」と言う芸当が出来た。
その術を応用して、ガブリエルとアウレリアを、アンの「意識の町」に匿い、双神への反撃の策を練り、アンと接触する機会をうかがっていた。
其処が確実に、双神の感覚網から逃れられる場所であると知っていたため。
「なるほど。経緯は分かった」と、ジークは頷く。「そして其処にいるメイド!」と、突然、部屋の一方を見て声をかける。「鍵は開けるな! 飯を大量に作れ! 客が来たぞ!」
ドアの向こうで、針金を鍵穴に通してガチャガチャしていたシャニィが、「はい!」と大声で返事をして、キッチンへと走って行った。




