15.禁忌に触れる時の事
メリュジーヌが、以前の凱旋の時に町中の女性から着せかけてもらった白布を着て、祭りの会場に現れた。
海の女主人の行く手を阻まないように、人々は彼女が通れる道を開けたまま、両脇から声をかけ、抱擁や接吻をする。
「来年までお元気で」
「ご無事を願っています」
「また祭りを行ないましょう」
「ご武運を」
「何時でも星は共に」
「女神の恩恵あれ」
そのように、皆口々に別れの言葉を唱えた。
その中に、小さな少女が居た。年の頃としては八歳くらいだろうか。メリュジーヌによく似た、金糸の髪と水色の瞳をして居る。
その少女を連れていた、灰色の髪の、女性か男性か分からない人物は、黙ったまま片手を胸にあて、会釈をした。
水色の目の少女は、下唇を噛んだまま、一生懸命にメリュジーヌと視線を合わせようとする。
「メリュー?」と、メリュジーヌは小さな子供が歩み寄って来やすいように、屈みこんで視線を合わせた。
メリューと呼ばれた少女は、人垣から飛び出すと、自分に良く似ている、とても年の離れた姉妹にハグをして、顔をくしゃくしゃにして涙を流した。
「メ、メリュ、メリュジーヌ……。ちゃん、ちゃんと、か、かえっ……帰って、来てね」と、しゃっくりの合間に何とか言葉を伝えた。
「大袈裟だな。帰って来るとも」と、メリュジーヌは小さな姉妹に言い聞かせて頭を撫でると、幼子の肩を押さえて視線を合わせ、「何時もの負けん気はどうした?」と言い聞かせる。
「だって、だって……」と、メリューは言いかけたが、その先の言葉は言わずに、涙を飲みこんだ。「絶対、絶対よ? 帰って来るって、約束よ?」
「大丈夫だ」と言ってから、海の女主人は、少女を見下ろし、「お前の『約束』は、呪いだからな。絶対に帰って来なくてはならなくなった。どうしてくれる?」と、笑顔で意地悪を言う。
メリューは顔を真っ赤にして、何と言い返そうか考えているようだったが、他の大人達が行く先で女主人を待っているのを見て、「行って。みんな待ってるから」と、道の先を指差した。
随分と、周りの事に気が付くようになった。
メリュジーヌはそんな事を考えてから、「ああ。待たせてはならないな」と言うと、人々の祝福が待っている「先」へと歩み出した。
人垣の一番最後には、いつでも二人の同じ人物がいる。
花輪を持ったメイドのシャニィ・ルーンと、側近として働いているジークフリートである。が、その晩には、シャニィの後ろに隠れるようにして、もう一人の人物がこっそり列に紛れていた。
メリュジーヌは両脇の二人と視線を合わせ、頷き合い、海の浅瀬に踏み込む。
泳げるほどの深みを得てから、メリュジーヌは海の中に姿を隠した。
シャ二ィが海に花輪を投げる。
その花輪が着水すると同時に、海の深みから真っ白な鱗に覆われた巨体のドラゴンが姿を現し、皮膜の羽を広げて、星空の綺麗な夜の中へ飛び立った。
街中から歓声と拍手が上がる。色取り取りの花火が打ち上げられ、真っ白なドラゴンの姿が一層美しく見えた。
白いドラゴンは、町の上空を一周すると、一声鳴いて空中に小さな炎の息を吐き、北へ向かって去って行った。
こうして、メリュジーヌを送り出す全ての祭りの儀式が終了した。
シャニィの後ろでコソコソしていた人が、コソコソしたまま去ろうとしていたので、シャニィは「アンさん!」と呼び止めた。「メリューちゃんに話があるでしょ?」
「おお」と、然程悪びれていない様子で、白い髪の女性は今気づいたふりをする。「メリューちゃんは何処だっけ?」
「坂の上の方です。あ。あっちから歩いて来てる」と、夜目の利くメイドは、消され始めた祭り明かりの中、町を見上げる。
さっきもだいぶ泣いていたメリューであるが、我慢しなくても良いと成ったら、声を上げて大泣きをしていた。まるで、この世の絶望が、全部その身を乗っ取っているかのように。
泣き過ぎて訳が分からなくなっている様子だが、灰色の髪の人物に手を引かれて、メリューはアンの居る場所まで辿り着こうとしている。
アンも、幼子の体力を考えて、坂の途中まで歩いて行った。
解散して行く町の人々は、なんで子供が咆えるように泣いているのか分からず、不思議そうな顔をしている。
少女は、目の前に白い髪のお姉さんが来たのに気付いて、その膝に抱き着いた。
「アン~。言えなっ……いっ……言えなっ、かっ、たよぉぉおおおお~」と、スカートに涙を拭いつける。
「うん。大丈夫。ちゃんと呪いをかけてくれたから」と言って、アンはニカッと笑い、親指を立ててみせる。
メリューは自分の「約束」を、二回も「呪い」と言われて、「ふぃじふぁる~」と言いながら、もう涙が出てこない目を、ごしごしとアンのスカートに拭う。
「メリュー。そのままだと、アンさんが屈みこめないで困ってるぞ」と、メリューに付き添っていた人物が、風邪を引いたようなガラガラ声で言う。
遠回しに「落ち着け」と言われて、メリューはようやくアンの膝をホールドしていた両手を離した。
メリュジーヌの屋敷の、ジークの部屋に場所を移し、大人達三名と子供一名は、作戦会議に入った。
全身に装具を着けるための、黒い肌着のような衣服姿になって、ジークは愛機に乗り込む。まず左手の装具とゴーグルだけ装備して、マシンと外部情報の確認をしながら呟く。
「例の物は安全なようだな。さぁて、晴れ間が見えるまでには進んでるかな?」
「そんなに簡単に晴れるものか?」と、灰色の髪の人物が言い返す。
「希望的な事は言っておかないと、不幸になるぞ」と、ジークは言いつつ、鎧のような装具を身に付け、両脚と右腕にも装具を着けてから、配線を引っ張って来てプラグを埋め込む。
「それもそうだね」と、アンが同意する。「三ヶ月後に、マンションの内装が出来上がる予定なんだよね」
「へぇ。おめでとー」と、ジークは抑揚もなく言う。「弟君とイチャコラする家か」と、皮肉まで抑揚が無い。
「意味不明」と、アンは返した。
「親族が同じ家に住むのは、普通の事ですよ」と、代わりにシャニィが言い返してくれた。
「ハウンドエッジに記録されてる通りでは、『祈り人』から情報が得られたらしい」
皮肉屋はメイドの返事を無視して、淡々と話しを進める。
「奴をそそのかしたのは、神官の衣を纏った赤毛の女。その女と一緒に、同じ服装の黒い髪の男もいたそうだ。顔写真をモンタージュで作った所、女の方も男の方も、ほとんど似た顔つきになった。
それでもって、その二名の顔ってのが……。見せても良いんだけど……。君はどうする?」
ジークの口調が急に砕けたので、その場にいた全員が「ぎょっとした顔」でジークを見つめ、見つめられている人はアンのほうに顔を向けている。
「何か、私が知るとあかんことがあるんですか?」と、アンは口調が尖らないように、方言を混ぜて聞いてみた。
「いや、これ以上、神殿で調べられる事もないだろから、多分見ても大丈夫だと思うけど」と、ジークは渋る。
「最終検査はもう受けてあるよ。あの神殿は今の所、無料の宿泊施設だね」と、アンが言うと、ジークは深く息を吸って吐き、肩を緩めた。
「じゃぁ、見せるけど。……吐くなよ?」と忠告しながら。




