12.残酷と幻想
煙るような濃霧の中に、その廃城は鎮座する。其処にはかつて、豊かな実りを得る領地と忠実な領民の居る、地方領主の城があった。
その城を取り仕切る者は、黒い髪と墨色の瞳を持った、ガブリエルと言う名の貴婦人である。
彼女の夫は誰かは知られていない。しかし、その間には子供達が五人ほど居た。その当時の当たり前として、ガブリエルは子供達の教育と世話を、乳母やメイドに任せていた。
しかし、彼女が子供に対して興味がないわけではない。
いずれはこの城を継いで、新しい領主となるために相応しい子供として、彼等が育てられているのを、常に目の端で確認していた。
最初の子供は、肺の病で死亡した。喪に服す間、城の中に住む者達は黒い服を身に付けていた。黒い服が用意できない者は、靴や髪を結う紐を黒く染めていた。
二番目の子供は、土の上で転んで、石で膝を擦りむいた。
怪我をした事を知られると怒られると思ったその子供は、手当てを申し出なかった。傷口から感染した黴菌により、痙攣の症状を起こした。彼の膝が膿を持っているのは、死後に確認された。
三番目の子共は、生れて間もなく、授乳中に何かのショック状態に成り、看病する間もなく息絶えた。乳母が赤子の体に何かをしたのではないかと疑われ、罪を問われ解雇された。
四番目の子供は、新しく雇われた乳母が気に入らなかった。躾に厳しく、時には子供達に鞭を振るったからだ。彼は家出をして、ついぞ帰って来る事が無かった。
五番目の子供は大切にされたが、酷く我儘で、気に入らない事があると食器を床に叩きつけた。そしてメイド達に、「料理がまずい。作り直せ」と命じた。
五人目の子供は、そのような我儘を振りかざしている所を、ガブリエルに見つかった。五番目の子供は、目を大きく開いてから、ガブリエルの足元を見た。怒られると、とっさに思ったようだ。
だが、ガブリエルは何も言わずに子供の食卓を一瞥し、その部屋を去った。
五番目の子供は、呆然としていた。
そして、彼女は次第に無口になって行った。
ガブリエルは、五番目の子供が喋らなくなったと聞いて、本人に訳を尋ねた。
「母様達が、私の言う事を何でも聞いてくれるのは、私が可愛いからじゃないんでしょ?」
彼女は主張した。
「私がこの城の後継ぎで、将来面倒な仕事を任せなきゃならないから、今だけ我儘を許してるんだ。大人になったら、私は知らない男の人と結婚させられて、豚みたいに子供を作らされるんだ。
そんな事を、私が喜ばなくても、そう言う予定なんでしょ?」
「何故、そんな事を思った?」と、ガブリエルは聞いた。
「母様の顔に書いてあるわ」と、五番目の子供は言い切った。
ガブリエルは手は上げなかった。言い返しもしなければ、表情を変える事も無い。
その代わりに、こう命じた。
「後を継がせてもらえるだけ、ありがたいと思え。しかし、お前には頭を使うと言う仕事は向いていなそうだな。お望み通り、夫を番えて子供を産ませよう。豚のようにな」
その言葉を聞いて、五番目の子供の表情は凍り付いた。彼女は、自分の持っている疑惑を否定してくれる言葉を待っていたからだ。
だが、それを見抜いているガブリエルは、子供を甘やかす事は無かった。
やがて、五番目の娘は、別の土地の地方領主の息子を番えさせられた。血統的に容姿は良いが、頭は軽く、他所から病気をもらって居ない事だけが価値の男だった。しかし彼は、妻に隠れて複数の妾を囲っていた。夫と、その妾達が、何時まで「清潔」で居てくれるかは分からない。
子作りを急がされた五番目の娘は、毎年一回は妊娠する事になった。
その結果、十人の子を産んだ。そのうち半分は、彼女のきょうだいのように、重度の病や些細な怪我で、呆気なく死んで行った。
その頃には、先の五番目の子供である娘は、気が触れてしまっていた。実際の子供達には興味を持たず、齢二十五を超えても、人形を相手にままごとをして居る。誰かが、その人形を取り上げようとすると、気の触れた娘は相手の手に嚙みついた。
ガブリエルの孫である、生き残った五名の子供達に、両親の頭の軽さは遺伝しなかったらしい。
教養として求められる様々な勉学に励む者、兵士達を相手に剣術に励む者、馬に乗り狩りに行くのを楽しむ者、古の偉人の遺した数学を説くことに夢中になる者。
様相は様々だが、知力を使い体を鍛える事を怠る子供達では無かった。
ガブリエルは、孫達を見て、ようやく城を継がせるに相応しい子供が揃ったようだと、安心していた。
ある日、まだ幼い孫の一人が、寝椅子でくつろいでいたガブリエルに甘えて抱き着いてきた。そして言ったのだ。
「おばあ様、首の後ろに傷がある」
その言葉を聞いた途端、ガブリエルは「目を覚まして」しまった。
分岐した別の軸に居る事を、認識してしまったのだ。
錯誤が起こり、ガブリエルが夢を見ていた「やり直した過去」と言う時間軸は崩壊した。
無数の墓がある裏庭の前で、彼女は立ち尽くしている。さっきまで落ち着いた様子を見せて居た城は、崩れかかった廃城になった。
ガブリエルの瞳は、朱く光っていた。自分の五番目の子供に愛情を注いでいた過去すらも失い、気を触れさせた記憶が新しく上書きされた。
やり直せると言う選択肢を与えられても、結局、ガブリエルは、自らの望んだ「子供達との安らかな時間」を得られなかったのだ。
廃城の中から、黒い煙のような物が湧きだしてくる。
こんな事になる予感はあった。従僕達を従えていた頃の残忍さを持ったまま、過去に戻ればどうなるか。
「首に傷がある」
それに気づかなければ、利発な孫達とは仲良く暮らせたかもしれない。そんな幻想を思ってみた。
「そうだな……」と、ガブリエルは呟いた。
何もなかったかのように過去をやり直すなど、幻想なのだ。
その過去に魅入られてしまったために、朱い瞳を手に入れてから使役し、自分の娘のように育てて来た「等級一」の従僕すらも始末した。
私が縋れるものは何だ?
ガブリエルは邪気の中で咆えた。朱緋色の瞳から、滝のように涙が溢れた。
人目の無い林の中で、アイラは口に銜えていた腕輪を地面に置いた。
その腕輪は、誰かの腕に収まるように宙に浮き、他のアクセサリーと靴と衣服が転送されてきた。衣服を着た状態のレーネの姿が、その場に浮かび上がる。
「アイラ。ありがとう」と、レーネはレーネ語で話しかけた。
彼女は、自分を創っている魔力の大半を、アイラの中に転写してあったのだ。もしもの事態が起こったら、ガブリエルから逃れる方法として。
ガブリエルの前に姿を現して居た方の、「レーネ」の魔力は消滅してしまったが、再生した姿の持つ魔力でも、多少の術は使えるはずだ。
地面に散らばっていた残りのアクセサリーを拾い集めて、手腕と首に飾り付ける。
「アルアの所に行こう」と、レーネはアイラに呼びかけ、林の中を出た。




