ラムの仮宿暮らし1
分厚い灰色の雨雲から、だくだくと雨粒の滴る日。車輪は泥水を跳ね上げ、河川は濁った流れを通す。
ファルコン清掃局に、変わった客……いや、変わった姿になってしまった局員が戻ってきた。
ドラグーン清掃局のアン・アセリスティアから、「ランスロットは生きている」と聞いていなかったら、その生き物を不衛生だと言って追い払っていただろう。
打ち付ける雨水と世間の荒波で、バシャバシャになってファルコン清掃局に辿り着いたのは、泥まみれの黒猫だった。
五時間ごとに襲ってくる強烈な眠気をうたた寝で克服しながら、道中、猫の好む色んな食べ物を食べて生き延び、仮宿である猫の意識が戻った時は、毛づくろいとそれに伴う嘔吐を済ませ、そして帰巣本能を我慢して、一ヶ月。
猫の本来居るべきテリトリーからはかなり離れたが、ランスロットは何とか職場まで戻って来れたのだ。
彼の、仮宿の猫との長い旅路の話は、局員達からの大爆笑で持て成された。
猫が雨蛙を食ったりミミズを食ったりした話を聞いたのだが、その中身が人間としての人格を持って居るとなると、ランスロット本人がゲテモノを摂取した事になるなーと、何となく皆感じ取ったのだ。
笑いを抑える局員達を、ランスロットはむっつりした表情で見つめていた。猫の体に宿ったまま。
一定時間我慢しても笑い声がやまないので、「笑い過ぎだ。肺が痙攣でも起こしてるのか?」と、冷たい声で罵った。
「いやいや、すまない」と、ファルコン清掃局のユニフォームである迷彩服を着た男性が、まだ口元を笑ませながら、ランスロット入りの猫の肩をぽんと叩く。
「よく生き延びたもんだ。所で、その仮宿を洗ってやりたいんだが、お前の霊体は回復しているのか?」
「生憎、栄養状態が良くなかったんでね。霊符や人形は、まだ作れない。何か、宿れるだけの生命力か魔力を持った物があったら用意してくれ」
そうランスロットが提案すると、オフィスにいた職員達は、手持ちの「魔力の在りそうな物」を用意した。
六連射式の大振りの銃。通信のために使う水晶版。アミュレットとしての効果がある宝石。清掃現場の邪気を測るために飼っているインコ。
その選択肢の中から、ランスロットはインコを選んだ。一番生命力と魔力を回復できそうだったからだが、この選択は後々に再び「笑い」を買うことになる。
猫がシャワー室で洗われている間の事だ。
「ティッキー」と、事情を知らない女性局員が呼び掛けて、インコの世話をし始めた。「ご飯を取り換えましょうね。お部屋の掃除も」と言って、手乗りインコの止まり木の前に指を差し出す。
「どーも」と、ランスロットは低い声で言って、女性局員の指に移動した。
「ティッキー?」と、世話係の女性局員は目を瞬く。
「ああ、そいつ、今、ラム入りだから」と、事情を知っている男性局員が、通りすがりに言う。
意味が分からないと言う風に、女性局員は首をひねった。
「ラム・ランスロットが憑依してるんだ」と、別の局員が丁寧に説明する。「病人のお世話だと思って、我慢してくれ」
「飯を食って排泄をしてるのはティッキーだぞ」と、ランスロットはティッキーの中から苦々し気な声を出す。「俺はエネルギーを分けてもらってるだけだ」
「ああ……。そう……」と言って、女性局員は曖昧な笑みを浮かべ、文句を言う。「そうなんだったら、貴方、喋らないほうが良いわ。ティッキーはティッキーの声で喋ってたほうが扱いやすい」
「それもそうか」とラムの声で言ってからティッキーは黙り込み、いつも通りのハイトーンで「ティッキー。ティッキー」と鳴き出した。
そうなると、事情を知っている奴等がニヤニヤし始める。
「ラム。本当にしゃべって無いのか? それとも、裏声使ってるのか?」と、誰かが言い出すと、オフィスの中の連中が、笑いを吹き出す。
普段のラムだったら速攻で言い返すのだが、インコは世話係に甘えるのが忙しく、「ティッキー。ピョロロロロ。ティッキー。ピョロロロロ」と、鳴くだけだ。
インコが普通に鳴いているだけで、意地の悪い連中は咳き込むように笑い続ける。
インコの体に憑依したまま、ランスロットは「霊体が回復したら覚えておけよ」と念じていた。
それを察したティッキーが、「オボエテオケヨ!」とハイトーンで鳴いたので、局員達の疑惑はさらに深まり、世話係がティッキーを肩に乗せている間、暇な局員達がティッキーをからかうのに熱心になっていた。
濡れ鼠のようだった猫が、シャワーで温められてタオルドライされた状態で戻ってきた。機嫌は悪そうだが、用意されていたキャットフードのにおいを嗅いで、無言で食べ始めた。
人に慣れているようだ。もしかしたら、飼い猫なのかもしれない。だとしたら、後であの鉱山の町に送り返さなければならないだろう。
「結構暴れられたよ」と、猫を洗っていた局員が、爪で引っかかれた腕を自分の手の平で三回くらい撫でる。傷は瞬く間に癒えた。「それで、ラム」と、局員は籠に戻されたインコに声をかける。
「猫に戻るのか? それとも、そのままティッキーの中に入ってるか?」
「一刻も早く別の仮宿を探したい」と、ランスロットは言う。道中酷使し続けた猫の体力もそろそろ限界だろうと察したのだ。そして、自由に鳴けないティッキーも、癇癪を起しそうだと。
ランスロットは宝石の中に憑依して移動させてもらい、独房に連れて行かれた。
其処には、白目を血走らせ、苦痛を訴える事も忘れた、ある病の患者がいる。
おどろおどろしく伸びた髪は床を這い、皮膚は油汗で光り、口元はカチカチと歯を鳴らしている。清掃局員達が着替えさせた「寝間着」の姿で、床に座り込んでいた。
「まさか……これに宿れって言うのか?」
宝石の中に居るランスロットは、大袈裟に聞こえる程、嫌そうな声で言う。表情が見えないので、声に表情を付けないと「嫌がっている」事が伝わらないのだ。
「今の所、意識を失ってて、強い魔力を持ってて、人間の言葉を話しても不思議じゃないって言う『魔性』は、こいつしかいない」と、同僚は言う。
「清掃局員として言うと、こんな不衛生な奴に宿るのは嫌だ」と、ランスロット。
「仕方ないだろう? ある程度は小奇麗にしてあるから安心しろ。あー、お前が宿ってる間だけ、そいつをまともな人間として扱う事になるけど」
「まともな人間として扱ってほしいね」と、ランスロットは承諾の返事し、宝石から独房を覆っている結界の中に侵入した。




