4.お掃除屋さんの企業秘密
ゴンッと言う重い音と共に、青白い光が箒から迸り、黒い粘液が掻き消えた。
アンは箒の房をマンホールの縁に沿って円く滑らせる。房の先から青い光の帯が描かれ、結界が発動した。
「この出口は封じました。あ。あっちの方も……」と言って、アンは、別のマンホールからも溢れ出て来ようとする死霊を封じに走る。
ランスロット達は、先走るな、と言いたかったが、アンの手際は良好で、町の道路のあちこちにあるマンホールの蓋を次々に封じて行く。
出口を限定された死霊が、ある蓋を吹っ飛ばして、邪気を噴き出した。
大型と呼ばれる邪霊も小さく見える程の、巨大な黒い泥の山ようなものが地上に姿を現わす。
意思を持っているかどうかは分からないが、その身の内の一部になっている霊体達の呻き声が聞こえた。
アンは、ビルディングより巨大な死霊を見上げると、柄の先端にランタンを引っかけて箒にまたがり、空中に舞い上がった。
霊の身の丈より高い位置まで素早く飛翔して、手元にあるランタンに片手をかざす。不純物を含まない明かり。それを基軸に、結界を展開する。
死霊の周りに、内側に炎を燈す殻が現れた。
火炎の殻に包まれた死霊は、苦痛の声を上げた。霊体がボロボロと焼け崩れて行く。存在が困難であると察したのか、自らが出てきた穴の中に、ねばつきながら引っ込んだ。
吹き飛ばされていたマンホールの蓋が、空中に浮いて戻ってくる。人工的な円い穴の上に蓋が収まった。蓋を運んで来た霊体は、ランスロットと同じ魔力の気配がする。
アンは、空中に上昇した時と同じくらいの速さで下降し、箒の柄からランタンを取り外すと、マンホールを箒で叩いてから、その周りに房で円を描いた。其処にも結界が発生した。
「蓋運びありがとう、ランス」アンは青白い輪郭を持った霊体に言う。
霊体は、「苗字を略すな」と言い返した。
月曜日二十四時
閉ざされた家々からの阿鼻叫喚が聞こえる、やかましい町の中には、掃除をしながら探してみると役に立ちそうなものがたくさんあった。
解熱剤、小さな錠前と鍵、汚れていない包帯、蜂蜜飴、手回しラジオ。
探した場所は、荒らされた商店や薬局だが、今の所は店を頼っても何も売ってもらえそうにないので、勝手に持ち出させてもらった。
それ等を持ってフィン・マーヴェルの所に戻り、幾つかの食べ物や道具と交換した。
ついでにマーヴェルから「仕事をしながらだと大変かもしれないけど、ケーブルや壊れてる機械なんかがあったら持って来てもらえると助かる。部品を再利用して、ちょっとした物を作ろうと思ってね」と言われた。
その日は誰とも仮眠時間が被らなかったので、早速ベッドで眠らせてもらった。
こう言う時に、眠りは浅くても、素早く睡眠を取る方法には慣れている。体を安定させて脱力し、呼吸を整える。
息を吸って吐いているうちに、頭はまどろみ始め、臨戦態勢のまま眠りに就いた。
火曜日深夜二時
朝と呼ぶにはだいぶ早い時刻だが、マーヴェルが言っていたようにすっきりと起きられた。ベッドに備えられている術の効果が良いのだろう。
仮眠室にある洗面台で顔を洗い、指で歯を磨いて口と手を濯ぐ。
紙タオルも備え付けてあった。一枚だけ取り出し、顔と口を拭いた。
手は髪を整えるついでに髪の毛で拭く。町ひとつを掃除する仕事が何日で済むかは分からないが、もっとしっかり旅支度をして来ればよかったと思った。
ワンピースのポケットに手を突っ込めば、大体の物は取り出せるのだが、物理的にポケットから取り出せるサイズの物でないとならない。それに、一度取り出した物は元の場所に戻せない。
ポケットがパンパンの状態で空を飛ぶわけにもいかない。そんな事をしたら、箒にまたがってる間に大事な小物達が落っこちそうだ。
「アン。起きたか?」と、隣の部屋との扉からマーヴェルの声がした。
「はい!」と、元気よく答えると、「声から魔力消して」と注意される。ドアレバーが倒れて、金糸の髪の女性が姿を現わす。その片手に、分厚い本のような物が握られていた。
「貴女用の」と言って、マーヴェルは持っていた本を渡してくる。
「私達が共有してる情報を纏めた本だ。ニュースブックって呼んでる。夫々が持ってる本に情報を書きこむと、自動的に全員の本に転写される。情報共有のために使ってるんだ」
「ああ。はい……。だけど、これを片手に持って空を飛べる自信が……」とアンが困っていると、マーヴェルは「これ、荷物入れに使って良いよ」と、もう片手に持っていた郵便鞄を差し出す。
「でも、交換する物が……」と、アンがやはりおどおどと述べると、「これからたくさん持って来てもらえば良いから、まずはニュースブックを携帯するように」と指示された。
火曜日深夜三時三十分時
わっしわっしと箒を操り、邪気を掃除しながら町を進む。ランタン明かりが届かない場所の目印に使っていた蝋燭は、何回か点灯させるうちに、あえなく溶け切ってしまった。
アンはひょいと箒にまたがると、綺麗になった場の屋根の上に移動し、ニュースブックを見た。
ランタンを近づけて、薄暗い中で文字を追う。
昨日の晩から活動している他の清掃員達のやり取りが書かれている。不思議だったのは、「企業秘密」とだけ書かれた欄がある事だ。
火曜日深夜一時と書かれている欄の、「シェル・ガーランド。発電所侵入」の後にも、「企業秘密」と綴られていた。
ガーランド。まだ聞いた事のない名前だ。発電所に侵入して何をする気なんだろう。
アンは一度ニュースブックを閉じて鞄に入れると、箒にまたがり、ふわりと地面に降りた。
次のポイントに向かおうとした途中で、道の先に鮮やかな明かりを見つけた。
居るよねぇ……と思いながら、気配を殺して物陰に隠れ、電光の照らす下を覗き見る。
体の何処かが千切れている霊体達が、無気力に電光を見つめていた。
居たー! と心の中で叫んで、皮膚に浮いた鳥肌を手でさする。まずは電灯を壊して、それから霊体を掃除して……と、聞かされた手順を思い浮かべてみたが、電灯を壊したら狂暴化しそうな予感がする。
複数人居ないと、電灯を破壊して即攻撃……とは行かないだろう。
それを一人でこなすには? と考えてから、房を下にして箒を構え、魔力を込めながら地面に房を引きずって、霊体達が電灯を拝んでいる区画を軽い結界で隔離した。
物音を立てないように、地面に落ちていた小石をそっと拾う。
結界の外から、箒を弓の様に構えると、魔力で作った弦を引き、拝まれている電灯に向けて狙いを定め、撃つ。
パリンと言う音と共に電球が砕け、明りが消えた。その途端、霊体達は人型を失い、煙を放つ粘液のような姿になって、暴れ始めた。
石の飛んできた方向を認識している数体が、アンの居る場所を瞬く間に見つけて襲い掛かってくる。用意してあった結界により、それ等はアンの身に触れる事は出来ずに撥ね返った。