6.腹が減ったぞ飯はまだか
蜂蜘蛛の住処に、今日も朝七時が来た。水晶版に設定していたアラームが鳴り、ノリスは干し草のベッドからのそりと体を起こす。
なんだか、すごく変な夢を見ていた。
青い炎に包まれた小さな黒い悪魔が、「腹が減った! 飯はまだか!」と、キーキー声で喚くのだ。
水瓶の水をカップに組み、ミントの葉で歯を磨いてうがいをし、カップに残った水で顔を洗ういつもの朝の儀式の後で、ノリスが岩山の住処の中に戻ると、古い知り合いが来ていた。
その人物は、さっきまで子供達が眠っていた干し草のベッドに、知らない女性を寝かせている。
ノリスは意識を失っている女性の面倒を看ている、白い髪の人物に、「アン?」と声をかけた。
振り返ったのは、確かにアン・セリスティアであった。青く透明な澄んだ空のような目をしている。
「ノリス。さっき、カオンにも説明したんだけど、ちょっと、この人を此処で預かっててくれないかな?」
「預かる……って事は、貴女は、すぐ何処かに行くの?」と、ノリスは訊ねる。
「うん。ちょっと、一ヶ所に居るには分の悪い事があってね」と、アン。
「このお姉ちゃん達、誰?」と、ゆりかごの部屋から出て来た、新参者の蜂蜘蛛の子が言う。
「ええっと……。私達の恩人」と、ノリスは蜂蜘蛛の子に説明した。それからアンのほうを見て、「近頃、連絡がなかったけど、何かあったの?」と聞いてくる。
アンはその言葉を聞いて、深々と息を吐いた。
「やはり、不通状態になってたのか」と言ってから、アンはノリスにも「ここ暫く関わる事になっている『七人の敵』」についてを説明しなおした。
アンが蜂蜘蛛の住処を去ってから、寝かせられていた女性は昼まで起きなかった。
しかし、昼が近づいて、子供達が食事の準備をし始めると、匂いにつられたように目を覚ました。
「あのお姉ちゃん、起きた!」と、ニナが言う。彼は蜂蜘蛛の住処に居る子供にしては、珍しく体付きに見合った服を着ているが、その服は何年も着続けたように布地が古びている。
ノリスは「ありがと」と、ニナに声をかけて、まだ目がはっきり開いていない女性の前に屈みこんだ。
「初めまして。私は、ノリス」と声をかけ、片手を差し出す。
女性は最初、戸惑っているようだったが、辺りを見回してから握手に応じ、「ミノン・フォーカスです……。あの……何故、私は此処……いや、此処は……どこですか?」と、定まらない事を聞いてくる。
「その説明の前に、貴女が知っておかなきゃならない事を教えて、私達が聞きたい事を聞いて良い?」と、ノリスは念を押して言う。
「はい……」と、ミノンは小さくなって頷いた。
ノリスは、ミノンが何者かの神気による「意識感化」を受けており、アン・セリスティアの命を狙う「祈り人」として操られていた事を話した。
「その何者かへのヒントを、貴女が握っているはずなの」と、ノリスは前置きを言って、「何か、『意識感化』を受けるような出来事があった覚えは、ある?」と聞く。
ミノンはしばらく考えこんだ。片手の指を軽く握るように丸め、唇の下に第二関節をあてた。典型的な考えている時の姿勢をとっている。
「誰かの力を得ようとするなら……」と、ミノンは呟く。「それは原始的な欲求として、食欲として表れる……。そう、誰かから聞いたのを覚えています」
その答えを聞いてから、ノリスは重ねて尋ねる。
「その誰かが、誰かは分かる?」
考え込んだ表情のまま、ミノンは目を瞬いた。
「赤毛の……女の人です。白い神官の衣装を着ていた。それから、その人達が、何か教えてくれて、私、すごくお腹が減って来て……」
そう言う合間にも、ミノンの胃袋からは「ぐぅ」と内臓の鳴る音がする。
ミノンは赤面して腹を押え、「すいません」と謝った。
ガルムとユーリが、その日の「災害派遣」の仕事を行なっている間に、アンナイトの設置室にジークの疑似形態が現れた。
「ジークさん」と、ガルムの本体の様子を見ていた整備主任が、声をかけた。「何か、進展がありましたか?」
「まぁにゃ」と、ジークは相変わらずふざけている。手を片方上げて、さっきまでは持っていなかったファイルを、整備主任に差し出す。
「逸歳洛の町を襲ってる術師達の、魔力形態の資料」
そう言ってジークは、ファイルを受け取った整備主任が、其処に描かれている図と文章を読む間に、説明する。
「一人は、以前アン・セリスティアと接触した、『怒り人』と同じ魔力波を持ってる。恐らく同一人物だ。その『怒り人』の力を増幅しているものが二つある。一つは『眠り人』、もう一つは『嘆き人』。
『眠り人』に関しては、強い契約を結んでいるわけでないらしい。だが、そいつの魔力波が作るフィールドに、『怒り人』の作る傀儡達が侵入した事で、悪い夢が実際の事として起こってるんだろうにゃ。
『嘆き人』は、先の二人の魔力が尽きないように、定期的に魔力増幅の力を送ってる。あの町の惨劇を止めるなら、その三人のうちのどれか一人でも始末する必要がある……と言うのが俺の意見だけどぅ?」
「大変助かります」と、整備主任は答えた。「鼬ごっこも、そろそろ限界だったので」
「ありゃ。青年達は疲労困憊かにゃ?」
「いや、それが……。銃器を持った歩兵が現れたんです」
「歩兵?」と、ジークは聞き返す。
「はい。ヘルメットとゴーグルで、髪と瞳の色は分からないんですけど、全員、鉛色の皮膚をしていて……」
そこまで言って、整備主任は気味悪そうに背筋を震わせた。
「攻撃を受けても、出血もしなければ、体組織の崩壊も起こさないんです。アンナイトによる『浄化エネルギー砲』も、充分には効きません」
「充分にって事は、どのくらいかは効いてるのかにゃ?」
「歩兵達を、前線から吹き飛ばす事は出来ます。ですが、存在の削除と言う効果は得られません」
「ん……。まぁ、相手が邪気で出来てるものじゃ無けりゃ、『削除エネルギー』の効果は無いだろうにゃ。と、なると……」
そこまで言ってから、ジークは、整備主任の持っているファイルを、人差し指でトントンッと叩いて見せる。
「あんた達も『頑張らなきゃ』ならないようだにゃ。『眠り人』『怒り人』『嘆き人』の三名の所在を探してみにゃ」
「それはジークさんにお願いできないんですか?」と、整備主任は言い出す。
ジークは、グッと伸びをするような姿勢を取ってから、「俺のご主人様がね、近々、また出かけるにょよ。三日かけてその見送りをしなきゃ成らん。その間は俺はこの件から抜けるから」と、述べる。
整備主任は青ざめた。
「その三日間で、ガルム達が戦闘不能に成ったら?」
ジークは気軽に答える。
「その時は、運が悪かったんだろうにゃ」




