4.予ての願い
ベッドに横たわったローズマリーは、「近くの景色」と言って、このような内容の言葉を唱えました。
「何処の国の誰でもない人達が、何処かの国の町を闊歩する。足並みをそろえて進む先に、一人の龍と一人の知者が居る。眠る者は誘引し、怒る者は操るだろう。
花が一輪咲いている。白い花びらを掲げて、修道女は岬へ向かう。かつて、彼の命を分けた場所で、また再び矢は射られる」
そして穏やかに息を吸ってから、「遠くの景色」と言って、次の言葉を続けます。
「花は盛大に開花して。一つの光を地に呼び込む。蜜を得た蜂達は、居るべき場所へと帰って行く。龍の通る道に清らかな流れが生まれ、再果てまでも続いて行く」
ローズマリーはうっすらと瞼を開け、まだ夢を見ているような目を、ベッドの横に居た魔女の方に向けました。
魔女は、黙って言葉を待っています。
ローズマリーは寂し気に目を瞬き、首を横に振りました。
「アン。貴女は、彼等に付いてをどれだけ聞いている?」
「えっと……」と、思い出すための前置きを呟いてから、魔女は「敵は今の所七人居て、夫々の能力の特徴で通り名がついてる。私を追って来たのは、確か『祈り人』って言う輩だね」と答えました。
ローズマリーは小さく頷きます。
「ええ、確かに、祈り人には違わない。だけど、叶えようとしている祈りは、とても残酷なもののようだわ」
アンと言う魔女は目を瞬いて、小さく頷きました。
ローズマリーが、見えるものしか知ってはならない事を、言葉を選んで伝えようとしてくれているのが分かったのです。
アンは口元を笑ませ、「ありがとう」と応えました。「幸せな未来が待っていますよ、は、まだ先だね」と、冗談を溢します。
ローズマリーは、ゆっくりとベッドの上に体を起こして、「悲観する必要はないわ」と、ようやくはっきりした声で言いました。
「ねぇ、アン?」と、ローズマリーは声をかけます。「私にとっては、『見えるもの』から身を守る方法は一つなの。全てを夢だと思う事。それは、以前アンバーにも言われた」
「そう……」と、アンは呟きました。
「告げてしまう事で、変わってしまう事もあるの。でも、あなた達は、きっと『良き未来』を描けるはずだと、私は思ってるの。アン、私がずっと前に言ったこと、覚えてる?」
「覚えてるけど……」と言って、アンは視線を彷徨わせます。
その様子を観て、ローズマリーは優し気に口元を笑ませました。それからこう告げます。
「貴女は天使でも悪魔でもない。信じることができる、人間で居て良いの」
「あ」と、アンは思いついたと言う風を見せます。「それ、ちょっと前にも思い出してた」
「どのくらい前?」と、ローズマリーは意地悪を言います。
アンも、うろ覚えな年月を指を折って数えました。
「たぶん三年くらい前。なんで思い出したのかは分かんないけど、その言葉が身に染みる事があったんだろうね」
それを聞いて、ローズマリーは子供のようにクスクスと笑いました。
数ヶ所の地点で「半径千メートル以内」に居る生存者を回収する作業を行ない、その日の仕事を終えたガルムとユーリは、アンナイトが「就寝」モードになった途端、夫々の操縦席でぐったりしていた。
「おつかれー」と、整備主任がガルムに声をかけてくる。副主任は、ユーリの様子を見るために設置室の梯子を下りて行く。
「いや、本当に……。一体、何なんですか、あの現場?」と、ガルムはヘッドセットを外しながら、数日分のイライラを整備主任にぶちまけた。「災害派遣って言うより、戦場派遣だと思うんですけど?」
整備主任は、操縦席に座ったままのガルムの近くに屈みこみ、小声で言う。
「うん。それがね……。なんと言うか、言いにくいんだけど、あの町って、何処の国からも攻められてないんだ」
「はぁ?」と、ガルムは語尾を上げた。
「敵対国は無いのに、何処からともなく戦闘機が飛んできて、毎日爆撃を行なっている……って言う状態なんだ。
戦闘機のデザインとしては、敵国……と考えられてた国もあったけど、ジーク氏がテラを丸ごと観察しても、機体と兵士の出所が分からない。
それで、正確に戦場とは呼べないって事で、災害派遣って言う形を取ったんだ」
ガルムは少し考えるような間をおいて、尋ねる。
「逸歳洛の軍部は、あの町の状況を知ってるんですか?」
「知ってるけど、まだあの国も戦闘機はそんなに持ってないからね。爆撃機の数に対応できないって言って、こっちに人命救助の仕事を頼んで来たんだ」
そう言って、整備主任はようやく背を伸ばした。
「そんなわけで、逸歳洛の政府が何等かの処置をとるまで、この仕事は続くよ」
ガルムは苦い顔をしてから、「りょーかい」と答えた。
少年は、ある日、少し違う夢を見ていた。真っ暗な空間に大きな月がかかっている。その月光の下に、白い服を着た黒い髪の男と、赤毛の女が現れる。
彼等は、少年に礼を言った。
「交換条件も提示しないうちに、見事な働きを見せてくれているね」
そう言って、黒い髪の男は、少年の手を取って握手をする。
「君のような優秀な人材が欲しかったんだ。彼一人では、苦戦するだけだったのでね。実に上手くタッグを組んでくれている」
少年は、何の事だろうと思って首をかしげた。
男は聞いてくる。
「君は、怖い夢を見るかい?」
少年は、夢と言うのは何だろうと考えた。常日頃、眠った状態にあるためか、覚醒状態と睡眠状態の意識の境界が曖昧になっているのだ。
「例えば」と、男は少年の手を離して、小さな肩に手をかけながら続ける。「お化けに追いかけられたり、高い所から落っこちたり、蛇に絡まれたり」
時々そう言う現象は起こるなぁと、少年は考えた。
「やっぱり、見るんだね?」と、男は言う。「その『怖い夢』から逃げ出す方法があるとしたら、それを望むかい?」
少年は、そんな事が出来るなら出来たほうが良いなと思った。
男は頷き、「それを叶えてあげよう。そのためには……君は今まで通り、サスペンスと悲劇を作るストーリーテラーでなきゃならない」と述べる。
そうなの、と、少年は考えた。特に疑問を挟む気もない。
男は満足したような表情で、もう一度はっきりと頷き、「あの町の事は任せたよ」と言って少年の方から手を離した。
白い衣を着た二人の姿は、暗闇の中に霧散した。
そして、少年の目の前に、明るい月が見えている荒廃した町が広がった。




