1.ローズマリーの家に
雲集林と言う名前の、山の中の小さな村に、ローズマリーは住んでいます。柵で囲った庭は、丁寧に植えられた球根達が春と夏に花を咲かせ、蜂や蝶やもっと別のものも出入りします。
その「もっと別のもの」として、今の所、ローズマリーのお家には、一人の魔女が匿われていました。
昨日の晩にローズマリーの家の扉を叩き、家主を呼び出してから、玄関の前に頽れてしまったのです。そして彼女はこう言いました。
「お腹減った……。それに、眠い……」と。
ローズマリーは慌てて家の中にその魔女を連れて行き、パンをミルクに浸したものを食べさせて、蜂蜜を溶かしたお茶を飲ませてあげました。
人心地付いた様子を見せた魔女は、ベッドに運ぶ前に、食卓の椅子に寄り掛かったまま、眠り込んでしまいました。
ローズマリーは、浮遊の術でその人をソファまで運んで、肩まで毛布を掛けてあげました。
それから、かれこれ十八時間が経過します。外は日が暮れてしまいました。疲れているようだから、そう簡単には起きないかも知れないと、ローズマリーも考えていました。
毛布を掛ける時に気づいたのですが、魔女はスカートの中にたくし込んでいるシャツのお腹に、何か不思議なものを隠し持っていました。
失礼は承知で服のお腹をめくって、それを取り出してみると、透明な樹脂のケースに入った、紫水晶の標本のようでした。
そのものから発されているエネルギーは心地好いのに、そのものが含有しているエネルギーは恐ろしさを引き起こす……と言う、特殊な「感触」のする魔力を放っています。
持ってきた本人が起きたら聞いてみようと思いながら、ローズマリーは一日中ビーフシチューを煮込んでいました。
やがて、昏々と眠っていた魔女が目を覚ましました。
「うおぅ?!」と言う、変な声を出して、がばっと跳ね起きます。そして周りを見回して、安心したように溜息を吐きました。どうやら、身の危険のない場所に来れていた事を忘れていたようです。
水色のロングスカートを履いて、白いシャツの上に黒のセーターを着ている魔女は、自分が服の腹に隠して居たものが無くなっているのに気付いて、少し慌てた様子を見せました。
お腹を何度も撫で、あちこちを見回しています。部屋の中を探そうかと、ソファから足を下ろしました。
「おはよう」と、キッチンを隠すカーテンの向こうから、ローズマリーは声をかけました。「とは言っても、今は夜の二十時だけど」
「あ……。あの、ローズマリー……」と、魔女は弱弱しく声をかけます。「すごく良い匂いがする事と、今とても心配な事が同時に発生してるけど、どっちを優先したら……」と言って、生唾を飲み込んでいます。
「まず、貴女は食事を食べなさい。あの水晶については、その後で話を聞くわ」と、ローズマリーは優しく答えました。
固いスジ肉までトロトロになるほど煮込まれたビーフシチューが、部屋の一角にあるテーブルにサーブされます。
席についていた魔女は、既に片手にスプーンを構えていました。
「お行儀については、今は気にしない」と、ローズマリーは言いました。「さぁ、温かいうちに召し上がれ」
そう言われて、魔女は盛大に食器の音を立てながら、ドミグラスソースで煮込まれた肉と野菜を貪りました。
ソースの中には玉ねぎの甘い香りが広がり、大きめに切られた野菜達の存在感も、主役のサイコロ肉に負けていません。
普通の牛の肉の他に、幾種類かの内臓の肉も入っているようです。クセが嫌いな人だったら顔をしかめる所ですが、空腹の極みに居る魔女は、口の周りを赤茶色に染めながら、構いもしませんでした。
皿の表面に残ったソースを、スプーンで何度も掻き落そうとするので、ローズマリーはパンを用意してあげました。
「ありがと」と短くお礼を言って、魔女はパンの消しゴムでドミグラスソースの線を消していきます。そしてそのパンを口に放り込みました。
「お代わりする?」と、ローズマリーは魔女を誘惑します。
つゆだくのパンを咀嚼しながら、魔女は両手で空っぽになったシチュー皿を捧げ持ちました。家主はそれを受け取ってキッチンに移動し、大鍋から二杯目をよそってあげました。
一頻り空腹を癒してから、魔女はようやく「原因と理由と過程と結果」を話し始めました。
まず、雲集林まで飛んで来なければならなくなったのは、魔女が持って来た水晶を守るためでした。
「その石には、私達じゃ使えない、すっごく強い『エネルギー変換』の術がかけられているの。簡単に言うと、邪気を『増幅』のエネルギーに完全変換する術だね。
そう言う術が存在する事を知った邦零大洛の軍部が、その水晶を引き渡すようにファルコン清掃局に脅しをかけて来たの。
それで、その……ファルコン清掃局の人から、その水晶を『安全な場所まで運んでくれ』って頼まれたのね。その時、私の思いついた安全な場所って言うのが、此処しか無かったって事なんだ」
「頼りにしてもらえたのは嬉しいけど、追手は居なかったの?」と、ローズマリーは当たり前の事を聞きます。
「居たけど、途中で撒いた。邪気を針状に固形化して、敵に向けて撃ってくる……って言う術を使う、ちょっと変わった術師」と、魔女は答えます。
「死霊使いの類かしら?」と、家主が聞くと、魔女は「その線は濃いんだけど、なんか変な感じがしたんだよね」と言って、顎に手を当てて考え込みます。
魔女の持った推察としてはこうです。
「巫女や神官の使う、神気って言う力があるでしょ? あれに近い気配がしたんだ。だけど、術師の飛ばしてくる針に射られた者は、邪気が起こす反応と同じ変形を起こしていた。
其れだと、相手も変換エネルギーを使う術師なのかもしれない。神気を邪気に変換って言うのも、中々無茶な使い方だと思うけど」
「神気を邪気に……」と、ローズマリーは呟いて、ふと、こんな事を言いました。「エネルギーの質が同じでも、法則性を無くせば良いだけなんじゃないかしら」
魔女はまだ思いついていない顔をしています。
ローズマリーは、こう説明しました。
「神気って言う力は、良かれ悪かれ『法則性を持った今純度のエネルギー』でしょ? その法則性を無くせば、神気を操る者でも邪気と似た力を発せるんじゃない?」
魔女は、ポンッと手を叩きました。
「そうか。それなら納得した」
そう言ってから、魔女はまた考えます。
「だとしたら、誰が術師なんだろう……」
「情報が少ない事を考えてても仕方ないわ」と、ローズマリーは言い、寝室であるロフトへの梯子を上り始めました。
「眠るの?」と、魔女が聞くと、ローズマリーは言います。「いいえ。占うの」と。




