時間軸旅行をしよう 4
ボストンバッグ一個分から、トランクケース一個分に増えていた私物を持って、ガルムは新しい部屋へと移動した。
個室と言うが、それまでと変わらない内装を予想していた。
そして、その予想は綺麗に裏切られた。
シングルサイズのベッドが一つ。兵士としての腕力があれば、好みによって移動できる重さの机が一つ。その机とセットの椅子が一つ。窓には分厚いカーテン。
机の足元に隠してある、木造りのシンプルな箱は、どうやらゴミ箱らしい。そして天井には埋め込み式の、魔技力の照明。
物としては元居た部屋と変わらないのだが、夫々の調度品の品質レベルが違うのだ。
ベッドのスプリングはしなやかで柔らかいが、しっかりとしていて、背や腰を歪まないように支えてくれそうだ。触れてみた上掛けの中身は、どうやらダウンらしい。
枕はダウンとフェザーを混ぜたような質感で、やはり首の過度な沈みを抑えてくれる作りに成っている。
それ等を覆うカバーはシミ一つなく、むしろ涎なんかをつけてはいけない気がする。もっと言えば、此処で人間が眠って良いのかと、疑ってしまうほど肌触りが良い。
机は木材であるが、恐らくゴムの木の合成板は使って居ない。
ゴムの木の合成板の机も、馴染みがあるので嫌いではないのだが、ピカピカに磨き上げられているそれは、少なくとも樫の木か何かの、密度の高い木材を使っている。
何より驚いたのは、椅子だ。椅子に、クッションがついている。背もたれと座る部分に付けられたクッションは、これも肌触りが良い布で包まれており、やはり人間が座って良いのかと思ってしまう。
背もたれもストレートな作りではなく、腕を伸ばした時、少し背をそらせられるように、緩く傾斜がついている。その傾斜の先は、アールヌーヴォー調の細工まで施されている。
窓のカーテンは、何も疑う事がないほど、完璧に外の明かりを遮断している。道理で、昼の十二時前なのに、部屋の明かりが点いているはずである。
軍隊のカーテンは模様が無い物だと思って居たが、その部屋のカーテンは、「アラベスク文様」と言うものが描かれている。それにも触れてみたが、これは新しい布ではない。
長年大切に使われてきたことが分かる、ヴィンテージ品だ。
「俺って、軍隊に居るんだよね?」と、ガルムは頭の中で思った。今まで、シンプルが適切であると叩きこまれていた意識には、どうにも受け入れがたい。
部屋を移る前に、「セリスティア大尉が軍を辞めたくならないように、特別仕様にしてあるから」と、かつての上官であり、現在の同僚から聞かされていたが、確かに特別仕様であると言う事は分かった。
以前の部屋では、縦長のロッカーと小さなキャビネットに、あらゆる私物を詰め込んであったものだが、部屋の一方に目をやると、コート掛けに並んで、何かの扉がある。
取っ手を掴んで横にスライドさせるタイプの扉を開けると、段で仕切られた棚があった。半分はハンガーラックがあり、下段には引き出し。此処に衣服や小物をしまうらしい。
壁の中に埋まっている収納を久しぶりに見たガルムは、もう一度考えた。「俺って軍隊に居るんだよね?」と。
大容量の収納を得たわけだが、しまうものはそんなに持って来ていない。
個人的な趣味で買い集めていた「月刊鉱物辞典」と言う雑誌も、内容を覚えた物からスクラップを作って捨てていたので、手元にあるのはハードカバーのスクラップブックだけだ。
持ってきた分厚いスクラップブックを三冊……立てるのも恰好がつかないので、棚の目の高さ辺りに、ぽんと置いてみた。
それから、長年着古した支給品の下着と、肌に馴染んだ数種類の軍服をしまおうとして、既に、ハンガー掛けに、何かがかかっているのに気付いた。
ハンガー掛けからその物体を取り出してみると、式典用の軍服だった。今までの軍服とは形が違い、分厚い肩パッドが入っていて、恐らく大尉の称号を表す、金色の勲章が付いている。
ガルムはそれを見て、ドン引きした。それから、じわじわと、ああ、大尉って肩書を持ってると、そう言う扱いになるんだ……と言う事が脳内に浸透して行った。
えらい事になった気がしたが、肩書自体は元々あったものなので、まぁ良いかと思い直して、式典用の軍服を元に戻した。
今後のガルムの仕事は「アンナイトの操縦」だけなので、普段着る軍服は、今まで通りのもので良いだろう。
そう思いながら、数少ない着替えを引き出しにしまっていると、鞄の底から変なものが出てきた。
赤地に黄色い星マークが散っているタンクトップとトランクスだ。大尉になる前の昇進の時、ノックスが祝いだと言ってくれたものだ。
捨てたはずなのに……と、肩を落としつつ、それを引っ張り出してみると、その下に封筒が入っていた。黄緑色の、見たことのない封筒だ。
何だこれと、それを手に取り、中身を確かめる。
「ご神体は持っていけ」と言う、意味不明のメッセージ書かれて居るカードが出てきた。ノックスの字だ。
そしてそのカードと一緒に、写真が出てきた。珍しく天然色で彩られたポラロイドには、たくさんの人物が写し出されている。兵士達の集合写真らしい。
黒い軍服の中に、一人だけワンピースを着ている人物がいる。白い長い髪と朱緋色の瞳をした、ガルムの姉だ。その横には、今よりずっと若く幼いアヤメもいる。
どうやら、十年前の写真らしい。蜂蜘蛛と言う魔獣を退治した後の、酒盛りの場での写真のようだ。
何処の誰から巻き上げたんだか……と考えながらも、ガルムは口の端に笑みが浮かんだ。
それと同時に、頭の中に何かがフラッシュした。
スクランブル交差点の真ん中の生首。切断された両手両足が東西南北の方向に。臓物はそれ等を囲む円形に配置された。邪気を集め、呪詛を送る者が、町ひとつを飲み込む巨大な女の霊体を創り出す。
金色の長い髪と、縫い付けられた両眼と唇。縫い糸に止められた肉を引きちぎりながら、巨大な女の霊体は、それを知る力を持った者にしか聞こえない咆哮を上げる。
その声に呼ばれるように、町の中心へ向けて邪気が集まってくる。
遠くから、一閃の光が現れる。白い髪と朱緋色の瞳を持った、箒に乗った若い魔女だ。
彼女は、地面に繋ぎ止められた霊体が暴れ出す前に、肉塊の散らばる周辺を一周する。箒の房から青い光が伸び、魔女が腕を薙ぎ払うと共に結界が起動した。
邪気を帯びようとしていた死霊は、青い光に括られた。霊体の質感が白い煙のように変わる。
朱緋色の瞳を持つ魔女が、青い結界の光の一端に触れる。死霊は光と化して消えた。その後、魔女は呪詛を辿り、呪術師達の集まっているであろうアジトへと飛んで行った。
脳裏の映像が消えると、ガルムは小さくため息をついて、「当時からご苦労様です」と、写真に声をかけた。
この頃は、まだガルムは、脳内にフラッシュするその映像が何であるかを、はっきりとは把握していなかった。
その能力が、いずれの世で、記憶霊視と呼ばれる現象である事を知るのは、勲章をつけた新品の式典用軍服に、袖を通してからになる。




