時間軸旅行をしよう 1
それは、ユリアンとの疑似形態での災害現場への、本格派遣が決まる前。
時間軸移動、実験中の事。
アンナイト操縦時の、何度目の事であろうか、ガルムはまたしても医務室に運び込まれた。
運び込まれて間もなくは、動悸が激しく呼吸も不安定だったが、三十分程度で落ち着いてきた。
生まれたての赤ん坊を覗くように、研究員達が取り囲む中、ガルムは注視されている異様な気配で意識を取り戻した。
「なん……」
何なんですか? と言いかけ、そう言えば時間軸移動の実験をしていた所だった、と思い出した。
「また、魔力的疲労状態……になったんですか?」と聞くと、ガルムの寝顔を覗き込んでいた研究員達は、一様に頷いた。
「実験結果を聞きたかったんだ。何が見えた?」と、ある研究員が、敢えてノーヒントで問う。
ガルムの疑似形態は、実験開始から「五分後」の世界に行ったはずだ。
ガルムが見たのは、林檎が包丁で半分に切られて、ジューサーにかけられる様子だった。
それを説明しようとしたが、急に声が出なくなった。喉の奥が締まり、呼吸さえも難しくなる。
「話せないのか?」と、さっきの研究員が聞いて来て、ペンとメモ用紙を用意した。「これに、書いてみて」
ガルムはベッドの上に体を起こし、クリップボードに止められた白紙にペンを走らせようとする。
「林檎。ナイフ」まで書いて、その後がどうなったかが思い出せない。まるで、夢の中で観た事のように。
記憶の不具合をどうにか説明してから、ガルムは休む時間を与えられた。
其処に、聞きたくない声が聞こえてくる。
「無茶をする奴だにゃぁ」と言う、全然励ます気もないふざけた声が。
「ジークさん……。侵入許可は?」と、ガルムは眉間に皴を寄せ、何時も通りの挨拶をする。
茶髪にパンクファッションの青年は、片目が赤で片目が紫の虹彩を瞬かせながら、「お前が『チーフ』って呼んでる奴に、呼び出されとぁにょ」と説明する。
「何のために?」と、ガルム。
「何時もぉ、時間軸移動した後のぉ、ガルムの様子がおかしいからぁ、みてやってくれってぇ」
「まぁ……。おかしいと言えば、普通ではないかも知れません」と、ガルムは認めた。
「どぁろうにゃ」と、ジークはそう言って、喉の奥を笛のように鳴らしてヒューッヒュと笑う。「時間軸移動には行動の制限があるって、分かってきただろ?」
急にクセを作らずに喋りだしたジークは、普通の人間が「時間軸移動」をした時の制限についてを、簡単に説明してくれた。
過去軸に移動する場合、それまでの間に起こったことには干渉しないほうが良い。干渉してしまって別の分岐が存在した場合、元のルートには戻れなくなる。
未来軸に移動する場合、起こった事を見聞きしても、記憶の障害や言語能力の劣化などの症状が現れ、外部に情報を渡す事が出来なくなる。
「その制限に影響されずに、一定の『現在軸』を行ったり来たり出来るのが、『時間神』って奴等。神と呼んでも、慈悲深い奴等ではないな。どちらかと言うと、自分達の気に入る未来を作ってる連中だよ」
それを聞いて、ガルムは何となく苛立ちを感じた。
「その『時間神』って、元は人間ですか?」と、傍らの者に尋ねる。
「ああ。元は『時間軸に影響できるレベルの魔術師』だった奴等だ」
その答えを聞いて、ガルムは憮然とした顔をする。
「何か……。理由は分かんないですけど、一度、ぶちのめしたくなる奴等ですね」
ジークは否定しなかった。
「まぁ、そうにゃ」
「でも、そんな制限を知ってるって事は、ジークさんも、時間移動はできるって事ですか?」と言う、鋭いツッコミが入って来たので、ジークは誤魔化した。
「いや、出来ればはやりたくはにゃいにゃ。情報が混み過ぎると、オーバーヒートするからにぇ。俺だけじゃにゃくてぇ、愛機が」
「マシンって、アンナイトの子機ですか?」と、ガルムはどんどん、根掘り葉掘り聞いてくる。
ジークは言いにくい事は無視した。
「にゃんで、俺が疑似形態の試験に参加してるかはぁ、分かるかにゃ?」
「面白そうだからでしょ?」
「そう。だからぁ、面白くない部分についてはぁ、興味はにゃい。自分の普段の生活がぁ、送れなくなる事はぁ、面白くにゃいだろう?」
実際、自分の普段の生活が送れないくらいの疲労を負っているガルムは、ジークも、何等かの魔力的疲労を恐れているのだろうと察した。
「眠ってる暇はないと言う事ですか」
「そんにゃもんだぁ」
そうやり取りをした後、ジークは「何度未来軸に触れてもぉ、飛んでった部分の記憶は戻って来ないからぁ、無駄な努力はするにゃよぅ」と述べてから医務室を退室した。
魔力疲労から回復する間、ガルムは「過去軸に影響してしまった場合」を、頭の中で想定してみた。
元のルートに戻れなくなると言う事は、過去軸に影響した者の記憶も、「そのルートが元々の世界である」と言う風に認識するようになるのか? 其れなら、現在や未来を変えたなんて思わないのか。
採血と、術による診察を受けてから、医務室を離れる事を許可され、ようやくガルムは居室に戻った。
ノックスが、ユーリを招き入れてアームレスリングをしている。
テーブルの椅子に就いて向かい合っている、お互いの手の甲は、同じくらい真っ赤に腫れていて、良い勝負をやっているらしいと言う事が分かった。
「何してんだ?」と、ガルムは敢えて尋ねる。
「男として譲れない勝負」と、ノックスが答えた一瞬の隙に、ユーリは相手の手の甲を、テーブルに押し付ける。
「これで僕の勝ちですね」と、ユーリは言って、自分の手に僅かの治癒をかける。
「なんの! もう一勝負!」と、ノックスは負けを認めないが、力を籠め続けた右手は震え、右腕は脂ぎっている。
「諦めろ。ユーリの勝ちだ」と、ガルムは采配した。
「えー。俺のアンさんがー」と言って、ノックスは嘆く。
「約束は約束なので」と言って、ユーリは一枚の封筒を手に、席を立った。それからガルムに封筒を見せて、「実は、ちょっとしたファンだったんです」と囁くと、部屋を去った。
ユーリが部屋を出て行ってしまってから、ガルムは「あの封筒は?」と聞く。
「アンさんが清掃員だった頃の写真」と、ノックスは答える。「勝ったら譲ってやるって、言っちゃったんだよね……」
「なんでそんな無謀な事を」
「だって、ユリアンの奴も、アンさんの写真記事の、スクラップブック持ってるって言うから……。俺が買ったら、それをもらうって言う条件で……」
半泣きでそう言いながら、ノックスはテーブルに突っ伏して拳でテーブルを殴り、床を足で蹴る。
なんにせよ、グズグズドカドカと、うるさい奴である。
「負けてんだからしょうがないじゃん」と、ガルムは宥めた。
「だけどー。俺の女神が一枚減ったんだぜ?」と、ノックスは愚痴る。
「まだ持ってんのかよ」
本人に会えないので、過去の写真を収集すると言う、信者の心理を思って、ガルムは首をかしげた。




