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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
エピソード集9
385/433

カインの憂鬱な午後 4

 アベルは、確実にカインに対して敵意を持っている。そう判明する事件があった。

 ある日、サブターナ達が、アベルの部屋にビカス達を尋ねてきた。

 その時、アベルは小さなデザートフォークで、林檎を刺して食べていた。

 座ってるから危険は無いだろうと判断したビカス達は、サブターナとカインを部屋に通した。二人は、魔神達に向けて、アベルにとっては気分の好くない事を話している。

 それに気づいたアベルは、食事をやめ、フォークを持ったまま椅子から降りた。

 大人達に気づかれないようにカインに近づき、背中を向けていたカインのふくらはぎに向かって、鋭くフォークを突き立てた。

 物理攻撃と言うショックを受けたカインの疑似形態(シャドウ)は、その場から消滅した。

 同時に、チャリンと言う音を立てて、アベルの手からフォークが落ちる。赤子は、刺したはずのものが消えたので、不思議そうな顔をしている。

 事態が分かったサブターナは、アベルをビカス達に任せ、カインの本体がある部屋へと急いだ。


 カインは、ポッドの中で意識を失っていた。サブターナが目の力でカインの様子を確認すると、ふくらはぎに傷はない。

「カイン。分かる? 大丈夫?」と、サブターナは呼びかけた。

 瞼をぎゅっと閉じていたカインが、目を開く。青い硝子越しで色の濁っている、灰色の瞳が見えた。

 同時に、ポッドのすぐ隣に、カインのシャドウが現れる。「びっくりした」と、少女は言う。「何かに、脚を強く叩かれたような感じがしたの」

 どうやら、物理攻撃のダメージは、直接的に本体に届いていないらしい。カインのシャドウの再現率が、まだ痛覚を完全に包括していなかったのが幸いした。


 それから、カインはアベルと「遭遇しない」ように、魔神達に気を配られることになった。

 数名の「魔神の子」が、カインの身の周りを守るように指示をされて、常に彼女に付き添った。

 その事も、アベルは気に食わない。

 部屋から逃げて、数回カインを遠く見つける事があったのだが、魔神の子達が「アベルが来た!」と、まるで悪者を見つけたように言い放ち、カインを見えない所に避難させるのが気に食わなかった。

 カインはきっと魔神の子達を平伏させて、女王様になった気で居るに違いない。それは僕の権利だ。

 アベルは幼い思考の中で、そのような事を考える。

 僕こそが世界の中で一番なんだ。僕こそが一番の自由と一番の安楽を手に入れるべきなんだ。その事を、召使い達にしっかり認識させなきゃ。

 そう言えば、カインが召使いを持ったのは、「魔神の子」達が初めてだ。ふん。子供ばかり連れ回して居れば良いさ。大人達を操る方法も知らないし、奴等に何もしてもらえないくせに。

 そんな呪いを思い浮かべていると、背後から人間に似た手が伸びて来て、アベルを持ち上げ、抱きかかえた。

 顔を見ると、黒い狐の面を被った魔神の青年だった。召使いのビカスだ。

「アベル。今回は何処へ逃げ出す気だったんだ?」と、彼は聞いてくる。アベルは赤子の仕草で、指を一本立て、上の階を指差した。

 そして赤子の発音で、「こっ!」と声を発する。

「上の階に行きたいのか?」と言って、育児係は口を歪めてみせる。しかし、「そうだな。俺と手をつないで、後足だけで階段が上れたら、一つ上の階に連れて行ってあげよう」と答えてきた。

 やはり、大人達は「赤子の仕草」をする事で、容易に操れる。アベルはそう思ってから、「アベル、歩く」と述べた。


 カインは複雑な心持ちである。創世神話の中では、アベルはカインに殺されることに成っている。だが、今はむしろカインはアベルに殺されそうになっている。

 もし、私が抵抗したはずみでアベルを殺しちゃったら、永劫の者の考えてた創世神話が、続く事に成っちゃうのかな?

 カインはそう考えて、周囲を守ってくれている「魔神の子」達に、その思いを打ち明けた。

「アベルの好き勝手にはさせないよ」と、ある男の子が言う。「僕達だって、魔力を持ってるし、目だって鼻だって、人間より鋭いんだから」

「そうだよ。アベルが近づいて来る前に、カインを逃がしてあげるからね」と、ある女の子も言う。「だから、安心して」

 その言葉を聞いていた三人目が、こんな事を言った。

「でも、もし僕達が『全滅』しちゃって、カインだけが残ったら、どうする?」

 そう聞いて、先の二人も他の子も考え始めた。

 そして出た結論はこうだ。

「もっと魔術を習おう。カインも、自分で自分を守れる力を手に入れて」

「でも……」と、カインは躊躇う。「その術で、アベルを殺しちゃったりしないかな?」

「攻撃する術じゃないよ」と、また別の子が言う。「身を護る術を覚えるんだ。えっと……結界とか、傷を治す術とか、そう言うの」

「カインが『傷を治す術』を知ってれば、私達だって『全滅』したりしないもん」

 口々に励まされ、カインは術を以て武装する事を承知した。


 サブターナに理由を話すと、良い先生が居ると言って、魔神のアナンを紹介された。アナンは、かつてサブターナと、その兄弟のエムツーを教育していた魔神だと言う。

 初めてカインのシャドウと面会した時、アナンはこう言った。

「話は聞いています。ですが、カイン。貴女は、その疑似の器と、本体を同時に守らなければならないの。とても複雑で高度な術が必要よ?」

「難しい事は、分かってます」と、カインは答えた。「だけど、私は弱いままじゃいられないから」

 その言葉を聞いて、アナンは一つしっかりと頷いた。

「それでは、最初に教えましょう。付いて来なさい」

 そう言って、アナンはカインを塔の中に導いた。かつて、向こう側のエネルギーから毒素だけを取り出して、人の形を成していた者の居た、伝書塔へと。


 カインは、今でも塔の内部を薄汚れさせている「向こう側のエネルギー」の根源を知り、本来は肌寒く思うはずの所で、何故か体が熱くなるような思いがした。

 その疑問をアナンに問うと、「向こう側のエネルギーは、貴女にとっては、負には成り得ない力ですものね」と言われた。

 アナンはこう続ける。

「カイン。貴女の体は、大量の向こう側のエネルギーを、生命エネルギーに変換する事で成り立っています。つまり、今の時点で、既にエネルギー変換の能力が体に備わっているの。

 その能力を、術として行使する事が出来れば、貴女の言っていた……結界を操り、傷を治す力を得る事もできるでしょう。ですが、一つだけ守りなさい。

 決して、向こう側のエネルギーを、『削除エネルギー』に変換しないと。その能力は、制限する力を持った者だけしか、使ってはならないの」

「削除エネルギーって何?」と聞くと、アナンは神妙な顔で答えた。

「世には、『浄化』能力として知られています。ですが、この『エデン』では、私達の存在を狂わせ、時に消すことができる、恐ろしい力とされています。

 今の『エデン』で、その能力を持つ事が許されているのは、イブである貴女の母だけです」

「私は……」と呟いて、カインは言葉に詰まった。少し深く息を吸ってから、「イブみたいに強くはなれないな。だけど、身を護る力は欲しい。私には、助けてくれる子達が居るから」と応じた。

 アナンは、人間であれば微笑むように、少し目を細めた。

「それなら、早速、授業を始めましょう」と言って、アナンは伝書塔を出て、少女を導いた。


 明るい日差しの眩しい、憂鬱を忘れさせてくれる空の下へ。

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