アリシャと金色のお姫様 3
季節と言うものがはっきりしている土地で暮らして居たら、それは初夏の事。アリシャの下に、一通の封書が来た。
マリン・ナーサリーの所属する、劇団の事務所から。
中に入っていたのは、印刷で作られたメッセージカードとコンサートのチラシだったので、どうやら手紙をくれたファンに、彼女のコンサートが行われる事を宣伝をしてるだけのようだ。
それでも、アリシャにとっては、両羽の先を天に突きつけて歓声を上げたくらい嬉しい事であった。
アリシャは、その文書が届いた日のうちに、アラダにコンサートに行きたいと申し込んだ。
アラダは、「変化」の術を覚える事と引き換えに、外出を許可してくれた。
それまでアリシャが学習した知識を使えば、「変化」も簡単だろうと言葉を添えてから、マリンは人間と言う、サブターナ達と同じ種族なのだと告げた。
ずっと、自分と姿の似た、金色の龍を思い浮かべていたアリシャは、少し寂しそうな表情をした。だが、マリンが何者であっても、あの美しい声を持った、きっと人間の信じる天使と言うもののように、素敵な女性に違いないと言う思いは消えなかった。
しっかりと背を伸ばし、アリシャは宣言する。
「頑張る!」と。
劇場の窓口で当日券を買って、四歳くらいの人間の男の子に「変化」したアリシャと、人間の大人に「変化」したアラダは、劇場に入る長い列に並んだ。
出入り口でチケットの半券を切ってもらい、少しだけ薄暗い観客席へと進む。手元に残った半券の席番号を見ながら、二人は二階席へ向かった。
客席がすっかり埋まると、それまで観客席を薄暗く照らし出していた光が消えて、目の前のステージに輝きが集中する。
スポットライトのあたる舞台の周りで、魔戯飾の明かりが、星のようにきらめく。
ステージの中央に、マイクスタンドが召喚された。誰かが手で運んできたわけではない。何等かの魔戯力により、一瞬で観客の目の前に現れたのだ。
黒の繻子のドレスを纏い、花を飾った短いシルクハットで男装した、歌姫と共に。
アリシャにとっては、何度と聞いた事のある美声が、マイクロフォンを通して会場に響き始める。
マリンは、軽快なポピュラーソングを歌った後、「この日を待ってくれた方達、全てに思いを込めて」と述べてから、映画のバックグラウンドミュージックに使われた曲を歌い出した。
優しい旋律と、滑らかでパワフルなロングトーンを繰り返し歌う、壮大な愛を唱えるバラードだ。
懐かしいような初めてのような思いが、アリシャの胸を締め付ける。隣にいたアラダが注意していないと、「変化」が解けそうになるくらいに感極まっていた。
二時間三十分に及ぶコンサートが終わった後、盛大な拍手を背に舞台から歌姫は去り、スポットライトも魔戯飾の明かりも消えた。それから静かに、観客席の仄かな明かりが燈る。
その頃には、アリシャは体を震わせながら涙をこぼし、アラダの膝の上に頭を乗せて気を失っていた。
「アリシャ。起きて」と、アラダが声をかけると、めくるめく感激に打ちのめされていたアリシャは、ハッとしたように目を開け、頬を伝っていた大粒を手の甲で拭った。
「マリンは?」と、よく分かっていないように教師に聞く。「帰っちゃったよ」と、アラダが答えると、アリシャは「パチパチ、してない!」と言って慌て始めた。
そして、帰ろうとしている観客達の足音に負けないように、小さな手を精一杯パンパンと鳴らした。
微笑まし気に含み笑いをした大人達が、小さな観客の小さな拍手を見送っていた。
二階席からの小さな拍手は、バックヤードにまでは届かなかったかも知れないが。
コンサートの翌日、アラダはニュースペーパーと言うものを取り寄せてみた。きっと、マリン・ナーサリーの、コンサートの成功が書かれて居るはずだと思ったのだ。
第一面には、政治家が変な税金の搾取の仕方を考え出して、それを近年実行しようとしていると言う、魔神達にとってはどうでも良い話が載っていた。
問題は、第二面に書かれていた。
「消えた歌姫!! マリン・ナーサリー失踪!!」と、エクスクラメーションマークで強調された見出しが出ていたのだ。
じっくり記事を読んでみると、先日のコンサートを終えたマリンは、事務所付きのタクシーに乗って帰る姿を確認された後、消息が不明になったと言うのだ。
コンサートの翌日の彼女は休暇の予定で、家族と過ごすことにしていた。だが、コンサートのあった日の晩、マリンは家に帰りつかなかったのだ。
警察に指示され、家族達は、彼女の個人持ちの小型水晶版に連絡を入れました。「マリン。今、何処に居るの?」と。
数分後に返信が来ました。マリンからではありません。「警察には連絡したようだね。よろしい。我々の提案を示そう」と言う内容でした。
その文章を読んで行くと、どうやらマリンは、社会に自分達の威を示そうとする過激派に、誘拐されたようです。
「要求を呑むなら、歌姫は返そう。しかし、取引を無視するのなら、歌姫が二度と歌えなくなると言う事をよく理解しろ」
その文面と共に、喉元にナイフを突きつけられているマリンの静止画像が添付されてきました。
アリシャは、そのニュースを聞かされて、アラダに「マリンを探して!」と懇願した。アラダも、勿論そのつもりだった。
「アリシャ。付いて来なさい」と言って、アラダはある一室に、生徒を招いた。
ずっと開けたことの無いような、錆びついている鉄の扉を押し開けると、内部は分厚い埃が積もっていた。
「これ、なぁに?」と、アリシャは天井に設置されている、円盤のような物を見て聞く。
「永劫の者が使っていたシステムを、簡略化した装置だ。まだ壊れていないなら良いが……」と、答えながら、アラダは装置の起動処置を取る。
機器が低く唸りながら動き始め、天井の円盤に濁ったような曇りが現れる。
アラダは背の低い生徒を抱え上げて、装置の鏡のようになっているレンズ部分を指差した。
「アリシャ。此処に、片羽をかざして」と、指示をする。
アリシャが言われたようにすると、アリシャの体を作っている高濃度の「向こう側のエネルギー」が認証され、天井に外の様子が映った。
マリン・ナーサリーの、恐怖に歪んだ顔が見える。手足を縛られて、床に転がった状態で。
男も女も寄り集まった、数十名の中から、ロープを手にして彼女に近づこうとしている者達が居る。血走った目をしたその者達は、瞬く間に、手にしたロープをマリンの首に巻き付けた。
絞め殺す気だ、とアラダも気づいた瞬間、アリシャは「マリン!」と叫んで、頭上の空間へと飛翔した。
円盤に映っているだけの映像に見えた、その空間の中に。




