27.急速な成長にて
試験体「カイン」は、口を動かし始めた日のうちに、逆子の姿勢を取った。人造羊水の中で、頭を上にするようになったのだ。
そして、口の動かし方の他に、外で観ている者達の、手振りや身振りを真似するようになった。
知能が発達している。
サブターナはそう気づいた。
この子は、外見だけが胎児のままだけど、脳はしっかりと成長しているんだ。
そう思った事を、研究者達に告げた。
「良い、見てて?」と言って、サブターナは硝子窓越しに片手を振ってみせる。
すると、口真似をしていたカインは、サブターナと鏡合わせのほうの手を、ちょこまかと振ってみせた。
サブターナは続けて、ゆっくりとした口の動きで、「カイン。良い子ね」と声をかけた。
カインは小さな穴のような口を開けて、サブターナの口の動きを真似する。
確かに知能がある、と、魔神達も納得した。
数日をかけて、魔神達はカインを「黙読の間」から運び出した。移動式のポッドの中に移した彼女に、臍の緒から常に栄養と酸素を送りながら、城の中を運び、カインの「居室」として用意した部屋まで辿り着いた。
新しく、臍の緒に酸素と栄養を運ぶ装置を取り付け、羊水の中に浮かぶ大きな肉の塊のような胎児が、外の音を聞けるように術を施した。
カインは今後どの程度の大きさまで育つか分からないが、容量限界まで巨大に成らないように、ある程度の時点で体の膨張を抑える事になった。
それから、サブターナはカインに積極的に話しかけ、早熟な彼女に教育を施した。
カインの兄であるアベルの体も、やはり急速な成長を見せていた。羊水から出て一、二ヶ月ほどで一歳児程の体格を得て、知能も人間の子供と同じように上がって行った。
この成長の急速さはどう言う事だろうと、魔神達の間でも話は持ち上がった。
人間の子供と言うのは、長い時間をかけて成長し、ゆっくり知能を得て行くものだと思って居たからだ。確かに魔神達の疑問は正しい。
しかし、彼等は大事な事を忘れていた。
エムツーとサブターナの体を作る細胞は、永劫の者がセットした術で管理されており、「生まれた子供を幼少期の頃に死なせない処置」が施されているのだ。
彼等の細胞から生れた子供達は、乳児の間の無防備な期間が短く設定されている。
特にアベルは、名付けられた時から、もし死ぬのであれば、創世神話のように大人になってから外傷によるショック死に至る、と言う要因を組み込まれた。
永劫の者達は、カインの手によりアベルが殺されるその瞬間までを、長く待つつもりはなかったのだろう。
勿論、アベルが抵抗し、逆にカインを殺傷する事に成らないように、アベルの体には細工が成されて居る。彼の体を作る骨は、頭部に向かうほど脆弱に成っている。
赤子の内は気づかれないだろうが、体が成長するにしたがって、その特異性は顕著になるはずだ。
何時までも頭蓋骨の継ぎ目が柔らかく、石で殴るどころか、転んで頭をぶつけただけで骨が砕けてしまうと言う事に。
例えば、大人の身長を得た時、突き飛ばされて転んだだけでも、脳にダメージを受けて死亡する。
永劫の者達に監督されていた世界は、その演劇を望む者が居なくなっても、順調に筋書きを辿って行っていた。
数ヶ月ぶりに、カーラ・マーヴェルが「エデン」の様子を見に来た。「エデン」を守る障壁を作る仕事が終わってから、彼女には自宅で休んで居てもらったのだ。
積み木を掴んで遊んでいるアベルを見せると、「この子、何歳?」と、カーラは聞いた。
「うーんと」と呟き、サブターナは手帳を見る。そして「五ヶ月と二週間」と答える。
カーラは、目を大きく開いて、口をうっすらと開いた。
「そんなに小さい子には見えないよ?」と、彼女は言う。
「普通の子は、五ヶ月だともっと小さいの?」と、サブターナは素直に疑問を問う。
カーラの返答はこうだ。
「どう見ても……一歳以上の子に見える。私も子供を育てた事はないから、正確には分からないけど」
「成長が早いと、何か問題があるの?」
「問題って言うか、うーん……」と、カーラは考え込んで、「知力と成長のバランスはどうなの?」と聞き返してくる。
「物覚えが早いよ。積み木遊びも、やり方を教えたらすぐに憶えた」と、サブターナ嬉しそうに言う。
カーラは聞く。
「積み木を齧ったりはしなかった?」
サブターナは何でもない事のように返事をする。
「最初は齧ってたね。だけど、『ダメだよ』って教えると、すぐに悪い事はしなくなる」
その本能の無さに、カーラは異常さを覚えた。
カーラが危ぶんでいたように、アベルは「離乳食」を出されても、食べ方の見本を見せないと、固形物を口に入れて咀嚼すると言う行動も、とれない子だった。
ただし、誰かが食べ方を教えたりすると、すぐに憶える。だが、中々飲み込まない。飲み込むと言う動作は口を閉じるので、周りの大人が見本を見せられないからだ。
アベルは、口の中で、固形物がドロドロに成ってしまってから、それが流動する力で無気力に嚥下する。その分、食事は時間がかった。
肉や魚をとても食べたがり、野菜には見向きもしなかった。糖分は好きなようで、ビスケットを割った物を与えると、ずっとしゃぶっている。口の中でビスケットがふやけてドロドロになっても飲み込まない。
口中に「ビスケット唾液」を溜めたまま、お代わりを要求する。口を開けた時に、薄茶色い大量の唾液が流出したりした。
「ダメ! 飲み込んで!」と、サブターナは初めてアベルを怒った。
アベルは大きな声を聞いた事が無かったので、それを面白がった。ビスケット唾液をダラダラ垂らしながら、「あめ! ろろこんれ!」と復唱した。喉から上がって来た空気を受けて、唾液があぶくになる。
「違うの。口を閉じて。飲み込んで」と、サブターナは困り果てながら、ビスケット唾液でダラダラの赤子の口を手で閉じさせる。
アベルは、口を閉じさせられたので、やむなく口に残って居たビスケット唾液を飲んだ。
それから、とても面白い事を覚えたように「あめ! ろろこんれ!」と繰り返す。
その様子を見て、サブターナはカーラが変な顔をしていた理由が、分かった気がした。
アベルは、頭の成長と体の成長が見合って居ないのじゃないかと、思い始めたのだ。
二児の母であるので、サブターナはアベルに付きっきりにはなれない。
ポッドの中から出て来れないカインの所にも、毎日通う。
カインの体は、確かに人造羊水の中で膨張していた。アベルと同じく五ヶ月以上経過した今は、サブターナより大きい。
一向に人間の形にならない彼女に、サブターナは術を教えていた。
人の形に似せたプラズマ体を「思い通りに動かす」術だ。それは疑似形態を作り出す技術の応用である。
ポッドの外に出ると言う自由を得られないカインに、外の世界を楽しんでほしいと願って、そのすべを授けたのだ。
カインは、自分の母であるサブターナと、よく似た女の子の姿を作った。
紫外線を通さない硝子と羊水越しに見えている世界は、青みがかっているらしく、カインの疑似形態は水色のワンピースを着て、緑色の瞳をしていた。




