25.悪夢にようこそ
意識の町のパレードは、「サーカスの会場になるでっかいテント」の中に帰って行った。
町の中心街を一周したらしく、あちこちで手に手にチラシを持っている人々が、昔風の印刷が成された赤と白のテントの絵を見て目を輝かせている。
ラムやジークと分かれた後、アンは意識の町の中で「自宅」にしている家へと向かった。
あまり長居をしないので必要ないと述べておいたのだが、町長のエヴァンジェリーナが「『アンさんの家』があるだけで、みんな安心しますから」と言うので、わざわざ造ってもらったのだ。
昔住んでいた、古風な石レンガの戸建ての家に似た物を。
其処に向かって、アンは二階に行き、ベッドに横になった。身体も眠ってるのにベッドに横になると言うのは変な感じだ。
今回も何とかなるかなぁと思って、「何とかするしかないのだ」と声に出した。
ベッドからがばっと起きて、然して広くない部屋の中を、考え事をしながらうろうろする。
すると、居ないはずの声が聞こえた。
「お帰り」と言う、弟の声。まだ声変りをする前の。
アンは耳を疑い、妖精達の悪戯か、何か霊的なものの悪影響が……と考えた。
しかし、木造りの階段を上がって来る物音が聞こえる。
コンコンコンとドアをノックされる。
アンは黙っていたが、ドアレバーが倒れ、十二歳の姿のガルムが現れた。「居るなら返事してよ」と言って、畳んだ洗濯物をテーブルの上に置く。
「ガルム君……あの……」と、アンは言葉に詰まった。君は本物なのかいとか、どうしてこんな所にとか、色々聞きたいが、どれから聞いたらいいか分からない。
「ああ」と、少年は言う。「貴女には、これが弟に見えるんだ」
それを聞いて、アンは「これはガルム君じゃない」と気づいた。
何者かは続けて言う。
「君の一番愛しい人って、弟なんだね。歪んでるー」と、その何者かは言いながら、不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりとアンのほうに近づいて来る。
その「ガルム」の姿はゆっくりと成長していき、アンの背丈を追い抜いた。
ずっと後退って居たアンが、壁に追い込まれると、何者かは「じゃぁ、こう言う事も許せるよね」と言って、アンの顎を掴み、アンの唇に唇を押し付けた。
ギャー! と、アンは心の中で叫んだ。
抵抗したいが、体がフリーズしてしまったように動かない。
おいおい、なんだいこれは? と、アンは念じる。動け。私の体。動けー! と。
硬直状態の左手の指が、僅かに動いた。
やがて、唇から唇を離した「ガルム」は、姉の額や頬や首筋にキスの位置を変えて行く。
ガルムの姿をした者は、そのままアンの服の襟のボタンを、片手で外そうとする。
こいつぁ不味い。
そう察した時、ようやくアンの左手が、何者かの頭にアイアンクローを決めた。
「ガルム君は……」と、左手に魔力を込め、アンは呪い語を吐く。「そんな、子じゃ、なぁぁああああああい!!」と、語尾が怒声に成りながら、不届き者の頭を床に思いっきり叩きつけた。
ガルムの姿をとっていたその者の頭は、中身が空っぽの人形のように割れた。同時に全身が砕け、消滅する。
「あーあ。壊しちゃって」と、ガルムの声を真似ている何者かは、「家」の空間全体から声を放ってくる。「何だよ。人間ってのは、一番好きな人には何でも許せるんじゃないの?」と言う、あからさまな卑下を込めて。
「誰だ、お前!」と、アンは結構普通の事を聞く。「ガルム君の声で喋るな!」と言う注文を付けて。
「気に入らないかなぁ。良い夢を見てもらおうと思ったんだけど」
そう言って、何者かは、意識の町を出入りする時のアンと同じように、空間から滲み出て来た。
空間干渉能力。
アンの頭の中に言葉が浮かぶ。
こいつは、私と同程度の力を持ってる。少なくとも、意識の町の中で。
「そうだよ」と、低い女の子のような声で、そいつは言う。黄色い体毛の狐の顔をした、青い瞳の獣人だ。「君の考えてる事の大部分も聞き取れるから、気を付けてね」
そう言って、獣人はヘラりと笑い、空中に浮いたまま、人の形に似た片手の指をひらひらさせる。
「お前は……」と、アンは言って、どっちか迷った。それで聞いてみた。「男の子? 女の子?」
獣人は、ガクッと肩を落とし首を垂れる。
眉間を押えて顔を起こし、「……本当に変な人間だ」とぼやいてから、「僕は男だよ」と素直に答える。
性別があってよかった……と、アンが真面目に思って居ると、それを聞きつけたらしく、目の前の獣人は、あからさまに嫌な顔をする。
「ペースが乱れると言うか……。疲れる奴だなぁ」
そう言って聞こえよがしに溜息を吐き、獣人は眉間を押えたまま、「今回の用件は、お前の『意識の町』も安全じゃないぞって事を……脅しに来たんだけど」と、毒気を抜かれたように事務的に説明する。「町中の霊体を人質に取られても、お前は……」
そう言いかけ、獣人は既にアンが箒を振りかぶっている事に気づいた。
獣人は飛翔してそれを避けたが、箒から放たれている青白い浄化の力が、壁と床を叩いた。鉄のハンマーでも振り落としたような音と共に、魔力波が衝撃として広がる。
「ちょ、わ、ま、待てー!」と言いながら、獣人は部屋中を逃げ回る。
アンは飛行軌道からどちらに動くか先を読み取り、バッシバッシと虫でも叩くように箒を叩きつける。
その行動も思考も素早く、心を読んでいる隙も無い。
やがて、部屋中が真っ青な光で満ちた。床も壁も天井も、箒で全面を叩きつくしたと言う事だ。
空間移動では逃げ場がない事を察した獣人は、目の前に人影を創り出した。さっきと同じ、ガルムの姿をした人形だ。
アンの逆鱗が機能し、人形の方を先に叩き潰す。頭を殴ろうとしても腕でガードされたので、箒を薙ぎ払って、腹部を砕いた。人形が消滅し始める前に、獣人のほうに目を戻す。
その一瞬で、獣人は外に逃げてしまった。硝子窓が破られている。
「逃がしたか」と呟くアンの声は、ゲジゲジでも仕留めそこなったような、嫌悪感が浮かんでいた。
アンはすぐにエヴァンジェリーナと連絡を取った。
意識の町の中に「異端分子」が入り込んでいる。それは狐に近い獣人の姿をした少年であると言う情報を告げ、能力として空間干渉と「人間そっくりの人形のような物を使役する」と伝えた。
通信の中に記憶を転写して、異端分子の外見情報を伝える。
その日のうちに、「指名手配」のビラが作られ、役員の精霊達によって街中に狐型の獣人の姿が、「生き死に問わず」で公開された。




