ワルター氏の憂鬱な午後2
ワルター達の仕事に、定期的な昼休みなど無い。
現場の汚染状況が回復するまで清掃を行ない、人体に悪影響が無い程度まで環境を正常に出来たら、場に結界と言う術を仕込んで状態を保存し、何が霊的な汚染を引き起こしていたのかを突き止める。
その原因が分かった場合は、原因の物質や霊体に封印や浄化の術を施して、再び場の汚染を起こさないようにする。
そこまでの作業を一通り済ませると、ようやく休憩をとる。
現場の清掃員達は数名でチームを組んで仕事をしているので、何人かずつ交代で休むことが出来るが、監督であるワルターはデータを集めながら食事を摂らねばならない。
どの程度の汚染を正常化出来たかと、その場の汚染を引き起こしているエネルギー源が何処にあるか等の情報を集め、データを整頓して清掃員達に随時伝えるのが役目だ。
その日は、廃屋になっているゴート式建築の石造りの館を清掃すると言う、よくある「いつも」の仕事だった。人里離れた山の中に在って、麓の町では幽霊屋敷と呼ばれている。
その場合は、何処かに悪質なエネルギーを発する霊体が居るか、もしくは館そのものが「負」を集める装置として機能してしまっている場合が多い。
後者の場合だと、最終的には館そのものを解体しないと仕事は終わらない。
今回は、目立った霊体に遭遇する事はなかった。そうなると、残念ではあるが後者のようだ。
別の会社から来る事になっている、解体作業員が安全に作業をするために、ワルター達は常に邪気が一定値を越えないように場を浄化し、少しでも外部から集まって来ようとする霊体がいる場合は、削除を行なう。
魔力を持たない人間に「エネルギー流」や「邪気」は見えないが、霊体は時々見えたりする。
それが、一瞬目の端をよぎる程度の「お化け」だったら、清掃員達は「それは危険のないものです」と説明して納得してもらう。
しかし、死霊や邪霊の類、もしくはもっと別の「死した何か」だった場合は、意識感化を受けたその作業員が、そのまま意識を侵食されないように……簡単に言えば、怯えて逃げ出さないように、軽めの浄化や状態回復の術をかける必要がある。
その日の仕事では、大がかりな清掃は午前中に済ませ、清掃が終わった時点で見張り役以外の全員が休憩を取った。
今回の解体業者は同日中に到着する予定だ。この後、数日間に及ぶ、朝から夕刻までの解体作業の付き添いも、清掃員の仕事である。
多数の重症者も出た、先日の鉱山の町での仕事より、はるかに平和な環境だった。
見張り役も少し気を緩めていて、麓の町で買い揃えた食料の中から、チューイングキャンディをもらって、口をもぐもぐさせている。
清掃員達が食事休憩を取っている間、辺り一帯を観察した後、ワルターも持ってきていたランチバッグから、パン屋で買ったベーグルサンドウィッチと、紅茶の入った水筒を取り出した。
ワルターの直轄部署に所属しているので、ナズナ・メルヴィルとモニカ・ロランは仕事先で顔を合わせることが多い。
十歳は年の離れている二人だが、お互いの性格や能力的特徴をよく知っている間柄なので、仲もそんなに悪くない。
何でもずばずば口に出すモニカに対して、ナズナが笑顔で相づちを打つと言ういつもの様子を術で察しながら、館の敷地の外に作ったキャンプで、ワルターは現場の観察を怠らない。
通信の術は音声だけ消して起動させたままにし、常に状況の変化を頭の隅に置いてある。
ハムとチーズのサンドウィッチを咀嚼し、ストレートティーで喉に流し込む。
館の内部は既に正常化してあるはずだが、何かおかしい。
「一階のホール……だな」と独り言ちて、ワルターは水晶版の画面に触れた。
館の内部映像が水晶版に浮かび上がる。視野を操作して、見つけた位置にあるはずのおかしな物を映像の中から探す。
つぶさに観察するまでもなく、それは発見出来た。同時に、今日の昼食を骨付きチキンにしなくてよかったと思った。
ホールの真ん中に吊り上げられているシャンデリアの中に、人間の骨が引っかかっていたのだ。見た所、恐らく大腿骨。まさに脚の骨である。
ワルターは誰に指示を出すかを少し考えてから、通信を正常に起動して、「モニカ。食事は終わったか?」と呼びかけた。
モニカが、力仕事に慣れている同僚を二名連れて館のホールに入る。
足元のカーペットは、汚れていて模様も見えないが、泥を洗い流したら、相当高級な代物が姿を現すのではと予感させた。
額縁の裏にある仕掛けを回転させ、壁の中に隠されているワイヤーロープを回し引き、天井高くにあるシャンデリアをゆっくり下ろすと、途中で引っかかっていた骨が外れた。
モニカは落下してきた古びた骨を、カーペットの上から拾い上げる。通信を起動し、「ワルター。確かに人骨がありました。でも、普通の骨ではありません。一部に、赤い記号のような文字が書かれています」と説明する。
「像を送ってくれ」と、ワルターが呼び掛けると、モニカは調べていた骨を人差し指でトントンッと叩いた。
ワルターの目の前の水晶版に、骨の立体的な映像が届く。その形は、モニカの視線を追うように回転する。
「文字の部分を二秒」と声をかけると、部下は指示通りに、読めない文字を二秒間見つめた。ワルターはその像を停止させ、文字にじっくりと見入った。
「だいぶ古い筆記体だな……」と呟いてから、ワルターは気配を察した。「モニカ。骨を捨てろ!」と、声を飛ばす。
モニカも分かったもので、ためらいもせず持っていた骨を離れた場所に投げ捨てた。絨毯の上に放り出された骨から、邪気の黒い煙が立ち上ってくる。
モニカは、腰に備えていた小さなブーメラン状の短剣に、エネルギーを込めて鋭く投げる。
骨に刃が食い立ち、その古さから察する成れば、すっかり乾燥しているはずの脊髄が、罅割れから滲んで来た。
術師は、自分の得物のほうへ片手を向けて、術を発動した。短剣の突き刺さった骨を、青白い光が包む。その骨に込められていた呪詛は、正常に浄化された。
「ワルター」と、モニカは通信のほうに声をかけて来る。「あの文字はなんて書いてあったんですか?」
「二階のドレスルーム」と、ワルターは答える。
「何の事です?」と、モニカは眉をひそめて聞き返す。ワルターの声は告げる。「恐らく、其処に行けって事じゃないかな」
「罠だとしたら?」と、モニカは言いながら、発見された大腿骨に刺した得物を回収する。
「確かに、危険ではある。だけど、調べないわけに行かない」と言ってから、ワルターは通信の規模をモニカ個人からチーム全体に広げた。
「折角清掃が終わった後だけど、総出でもう一度館の中をチェックしよう。呪いのかかった人骨なんて見つかったら、解体業者に文句を言われる」と、指示を出す。
それを聞いた清掃員達は、休憩時間が潰れてしまう事に肩を落とし、「人骨ね」「骨か」「折角、綺麗にしたのに」と口々に言いながら、館のほうに歩を進めた。




