23.誰も聞いていない所で
カツンカツンと金属と石のぶつかり合う音がする。
それは、ある人物の持っている、ステッキの先から発されていた。
手元と中ほどまでの部分は、質感の艶やかな木で出来ているが、中ほどから先へかけては、強度を出すための金属で加工されているのだ。
その人物は背が高く、黒いコートを着ていた。その頭にシルクハットが乗っていたら、昔風の装束を好む、一部の好事家であると判断されただろう。
生憎、その頭を飾っているのは、鍔の広い山高帽子だった。
肩に乗せている異国の鳥が、やけに立派に見える。
その人物は、少なくとも、今歩いている国の言葉ではない言葉で、何か囁いていた。肩にとまっている鳥は、静かにその声を聞いている。
ステッキの音が止んだ。其処は、海を臨む町の端。
鳥をとまらせていた方の腕を持ち上げ、その人物は海の向こうを指差す。肩にとまっていたものは、羽を広げ、主なる者の指の示す方に飛び立つ。
その翼の左側。風切り羽の生えている根元には、不思議な模様が浮かび上がっていた。
マンションのリフォームの間、ガルム達は神殿で待ち合わせて、折々に部屋が出来上がって過程を観察した。
図面の通りに作られて行く壁と壁の間には、断熱材と防音シートが挟み込まれる。
「この幅って事は、思ったより壁薄いね」と、アンは溢した。
「ギリギリまで、リビングを広くしたからね」と、ガルムは天井を見ながら答え、ぼやいた。「天井ももう少し上げたほうが良かったかな……」
「少し天上低くても、上の人の足音が気になるよりマシでしょ」と、アンが言うと、「天井にも、コルク板を入れれば良かったんじゃない?」と、唯一の第三者であるアヤメが聞く。
「コルク屑とコルク板だと、金額が違い過ぎるんですよ」と、ガルムは残念そうに眉を寄せる。
「予算の問題か」と、アンとアヤメが同時に同じ台詞を言う。
ハモったのに気付いて、二人は顔を見合わせてニヤニヤしていた。
ガルムは思った。
本当に、ねーちゃんが二人いるみたい。
首をすくめて、二人を見る視線を外し、既に窓ガラスを入れてある外壁に沿った壁に近づいた。
窓の外は、遥か遠くに別のタワーマンションが見えるだけで、この部屋より高い建物は無い。
景色が遮られない分、自分が「随分高い場所にいる」ような気分になる。でも、足元を見下ろせば、たった十階程度の高さだ。
昔住んでいた町も、七階建てのマンションなんてざらにあった。これから新しいビルが出来たりすれば、高さの競争に成って行くだろう。
少し離れた場所にある公園の花畑を、建物の凸凹に遮られながらも眺められるこの景色は、今しか観れないのかもしれない。
出来るなら、建物の外観を守る規則が、後の世でも変わらずにいてくれる事を願った。
帰り道。アンはアヤメの手を引いて、「ランデブーに行ってくる!」と宣言し、新しいねぐらになるはずの、町の中を遊びに行った。
ランデブーって何? と、ガルムの頭に疑問が浮かんだが、たぶん仲の良い人と出かける事であるのは分かった。
暇ついでに書店に立ち寄り、鉱物関係の新刊は出ていないかを確認する。店内をうろうろしていたら、辞書のコーナーに来た。何となく辞書を手に取り、適当な単語を眺める。そして、「ランデブー」を調べてみた。
「ランデブー:逢引。デート」
ん? と思った。デートはすぐに意味が分かる。逢引は? と思ってそっちの意味を調べると、こうだ。
「逢引:男女が人目を忍んで会う事」
そこまで分かると、なんで「人目を忍ぶ必要があるのか」とかも、薄々分かってくる。
ガルムは辞書を戻して、目を閉じた。
だいぶ堂々と逢引に行ったなぁ。
そう思って、目を閉じたまま苦笑を浮かべた。その表情は困ってるような顔に見える。
もしかして、男の人の知り合いにも、「ランデブーしない?」とか言ってるのかね、あの姉は。
また会う機会に、デート以外の意味がある事を教えておこうと、心にメモをした。
その頃。町の中にある広い公園は、日陰を作る木々に囲まれ、ブロックで舗装された幅広な遊歩道に、飲み物やお菓子のスタンドが立っていた。
園の真ん中には、大きな花畑が作られており、球根から咲くタイプの無数の花が咲いている。
「建物から出ると、すごいもんだね、この町」と言いつつ、アンは木のスプーンでアイスクリームを口に運ぶ。
「まぁ、大都市って言われる類の街だからね」と、アヤメも木のスプーンでアイスクリームの表面を削り、口に運ぶ。
「ハウン……じゃなーくて。この辺は、あなた達の会社からは近いの?」と、アン。
「いや。だいぶ遠い」と、アヤメ。「会社の最寄り駅から列車で三十分くらい。こっちの駅に着いてからは、追加で徒歩三十分」
「うわー。遠いなー」と、アンは然程驚いていない声で、リアクションを取る。「なんでその追加三十分の間に、駅は無いの?」
「それはまぁ……町の構造を崩さないためじゃない?」と、アヤメは答えて困ったように笑む。
この表情って、ガルム君もしばしば浮かべるなぁと、アンは思った。
「アヤメって、何時ガルム君と知り合ったの?」
アヤメは宙を見上げ、指を折る。
「五年前?」
「なんか、話しかけられて、とかの出会いなの?」
「いや、私が話しかけに行った」
「あら。貴女が迫ったほうなの」
「迫ったって言ったら……迫ったのかな?」
「どんな口説き文句で?」
「君はアンの弟なんだねって」
「何だ。私絡みの話題か」
「そうだね。君が昏睡状態だった頃だったから。当時は、だいぶしょげてたんだよ、あの少年」
「えー? 霊体で会いに行った時は、すごく元気でしたけど?」
「ああ。君が霊体でうろうろしてるって知った時は、私も驚いた」
「ふっふっふ。可能なのであれば、どんな時でも働きたいのです」
その言葉を聞いて、アヤメは目を閉じて渇いた笑い声を小さく鳴らす。
「そのせいで死にかけた事を忘れるな」と言いながら。
「まぁね。そうよね。本当に、みなさんには感謝しかないよ。後から聞いて、よく色々準備してたなーって思ったわ」
「君が『休まない女』だって分かってたからじゃない? 特にファルコン清掃局の人達の協力は、すごかったんだよ? あの……フィン・マーヴェルって人が念入りに用意してなかったら、君は今頃、ここに存在してないからね」
「そうね。本当にアイスクリームが美味しいよ。生きてるって感じ」
その言葉を笑い合ってから、息継ぎをし、アヤメは訊ねた。
「引っ越したら、仕事始めるんだって?」
アンは軽く頷く。
「秘密裏にね」
「そうか。じゃぁ、どんな仕事かは聞かないでおく」
「聞いてくれても良いじゃん」
「君は話したいのかい?」
「割りと話したいねぇ。まぁ……此処じゃない所でね」
「それじゃ、その話は誰も聞いていない所で」
そう言って、二人はまた顔を見合わせ、ニヤッと笑んだ。
その遥か頭上を、大都市に居るにしては大きな鳥が、旋回飛行していた。




