18.あなたの未来
姉弟での話し合いの結果、毎月八百ルビーの支払いで住めるマンションを購入する事になった。
立地としては、アプロネア神殿へ徒歩三十分の位置にある。周りには、大きな公園が存在し、舗装された広い道がある住宅街で、神殿方面とは反対側のほうに洒落た造りの繁華街があった。
その繁華街も、昼間に店を開けるものが多く、夜はガス灯の明かりがつき、決して怪しげな酒場などない事は弟が下調べ済みだ。
問題は、内装をどの様にリフォームするかだ。
喫茶店に入って、ドリンクを飲みながら話し合う。
「トイレとお風呂は別で、独立洗面台があって、夫々の部屋と、リビングとキッチンがあると嬉しい」とアンが言うと、「それはあって当然のものが欲しいって言うのと同じだよ」とガルムからツッコミが来る。
「今の常識ってそうなの?」と、アン。
「そうなの」と、ガルム。
アンは思考を彷徨わせた。最近読んでいたモデルルームの写真が思い浮かぶ。
「じゃぁ、掃除のしやすい家とか」と述べると、ガルムがメモを取りながら「家事動線がはっきりあるって事?」と聞き返してくる。
「動線って?」と、質問に質問で返すと、「無理のない動きがとれる線って意味」と、意訳を教えてくれた。
「うん。たぶん私が言いたいのはそう言う事だ」と、アンは納得した。
次の話し合いの時はリフォーム会社を決めようと言う事に成り、アンとガルムはドリンクの氷が溶けるまで喫茶店で粘ってから夫々のねぐらに帰還した。
アンはアプロネア神殿前に着くバスに乗りながら、窓の外を見て十年くらい前を思い出す。
十六歳になって清掃局の寮に住まなくてよくなってから、当時のアンは家を買った。外壁の石レンガと艶やかな古木の梁が美しい、田舎風の建物だった。
自分には弟が居るんだと知った時から、アンは家族と住む家を夢見ていたのだ。
今は、ガルム君も私と同じような夢を持っているんだろうか。
そう考えて、長くなってきていた自分の白い髪に手櫛を通す。
何もかもが遠ざかった気がした。
ほんの数年前まで、世界を操る物が存在するのが当たり前だった、闘いの日々が。
だけど、私達は知っている。
アンの頭の中で、過去の残骸のような別の声がする。
彼女を救うには、双神の意向から外れる必要がある。別の分岐を存在させるために、私達は布石を置かなければならない。素知らぬ顔をして、ごく自然な事のように。
ごめんね、ガルム君。
アンは心の中で唱えた。
私は、単純に新しい家と生活を喜べるお姉ちゃんじゃないみたいだ。
バスはブロックで舗装された道を、ゆっくり揺れながら走って行った。
物件の下見に行った翌日。
ガルムは朝礼前にジル・ヘルダーに呼び出された。
「レーネのホストファミリーからの知らせが来た」
そう切り出され、「どのような?」と聞き返した。
「レーネが、家の外に出るのを拒んでいるらしい。理由を聞いたら、こう答えた。『アルアに見つかった』」
「アルア……」と呟いてから、ガルムは妙に思った。「確か、レーネは『アルア』と呼ぶ人物を、探していたんじゃないですか?」
「レーネの日記によると、確かにな」と、ジルは言う。「自分達を見捨てた理由を、アルアに問い質したいと言う文面が記載されていた。しかし、よく考えろ。これは『城の中に隔離されていたレーネ』が発想した事だ。彼女の世界が、城の中に限定されていたとしたら?」
「じゃぁ、レーネは、城の外の世界を知らなかった?」
「そうなる。外の世界を知って、お前と言う『新しいアルア』を見つけたからこそ、レーネは以前の『アルア』と、以前の生活を嫌うようになった……と言う風に、私には読めるんだ」
「結局、『アルア』と言う言葉に、『聖なる人』以上の意味はないんですか?」
「他の意味があってほしいのか?」
「冗談で言ってるんじゃないんです。俺も、引っかかってる所があるんです」
「どんな事だ?」
「レーネが、『アルア』の意味を説明しようとした時に、なんて言うか……すごく、恥ずかしい事を説明するみたいな仕草をしてたんです。だから、たぶん『聖なる人』って言うのは、レーネが直接的に言いたくなかった言葉の、抽象表現じゃないかって」
「なるほど」と言って、ジルは片手で顎を押さえ、考え込んだ。「なんでそれを隠していた?」
「隠してません。俺も、最初は、覚えた言葉で合うものを探してるんだろうと思ってたんです」
ガルムがそう答えてから、ジルは本題を話した。
「何にせよ、今日中にレーネと会話をしてきてくれ。邪気放出地点の偵察は、午前中で終わるだろ?」
予定がきついな……と思いながら、ガルムは「了解」と答えた。
レーネのホストファミリーの家では、聞いた様子より状況は深刻なようだった。
家の母親が「怖がらないで。ご飯を食べて」と言って、何度もドアをノックしても、レーネはドアを開けない。
家の父親が無理矢理ドアを開けようとしても、何か重いもので塞がれていて開ける事が出来ない。
家の子供のうち、レーネに文字を教えてくれていた十歳くらいの少年は、その時は学校に行っていて留守だった。
ガルムが実際に家を訪れると、困り果てた夫婦が待っていた。それから状況を説明してくれた。
昨晩からレーネが部屋に引きこもってしまい、食事も摂らない。彼女の部屋には水差しがあったはずだが、その水ももう少ないだろう。そして、扉を開けようとしてもびくともしないと。
ガルムがカラーコンタクトレンズ越しに目の力を使うと、押して開くタイプのドアの向こうには、重厚な衣装棚が置かれていた。
服も入っているが、何より棚そのものがどっしりとした重い作りをしているのと、床のカーペットとの摩擦が働くので、ドアを塞ぐには打って付けだっただろう。
「少し、物体を移動させるタイプの術を使いますね。家の中で、術で壊れてしまいそうな魔技力は使って居ますか?」
ガルムがそう聞くと、夫婦は「いいえ」と首を横に振る。
ガルムは一度、ドアの向こうに声をかけた。
「レーネ。これからドアを開けるよ。じっとしていて」と。
目の力で部屋の内部の様子を透視しながら、衣装棚を、元々それがあった場所まで移動させた。
レーネは、ベッドの中でブランケットを被ったまま蹲っていた。
「レーネ。ガルムだよ」と、ガルムは脅かさないように優しく声をかける。「一体、どうしたんだい?」と、話しを促すためにとぼけて見せた。
レーネは、そーっとブランケットの隙間から見て、確かに声の主がガルムである事を確認した。
その目元は、変に赤く腫れあがっていた。
「アルア・ガルム」と、レーネは呼びかけてきた。「丸まったままで良い?」
ガルムは「良いよ」と受け答える。
「あのね」と、レーネは話し始める。「もう、私は、何でもないレーネじゃないの」
「何か、今までと違うの?、」と、ガルムはベッドの横に屈みこんで聞く。
レーネはブランケットから左手を出して見せた。
其処には、ウィニを示す印が浮かび上がっていた。




