17.新しい生活に向けて
ペチュニアがコサージュを作り上げ、結婚式の日を待っている間。
イヴァンが「結婚式に何を着ればいいか分からない」と言うので、ペチュニアの父がかつて着た、お古であるがパリッとしたスリーピースが渡された。
イヴァンは丈の合わないスリーピースを着込み、丈の余った部分を、お針子の女性の手を借りて内側に縫い留めてもらった。
「私も赤い薔薇をくれる人が欲しいわ」と、そのお針子の女性は、作業をしながら笑顔で溢した。
イヴァン少年の頭の中は、「この子も、僕から薔薇を欲しがってる?」と考えてしまったが、僕はペチュニアの婚約者なんだと、頭の中でお針子の女性を振って、「きっと、良い人が見つかるよ」と言う表面上は優しい言葉をかけておいた。
僕をターゲットにしないでねと言う意味で。
そんな勘違い少年のイヴァン君であるが、現在では「浄化能力医師」と言うとても珍重される職業に就いていて、安定した仕事と収入を得ている。自分の足で稼ぐことにも熱心で、町から町への荷物運びの仕事もしている。
安全な町の中で男が示せる強さが「体力」と「経済力」であるのなら、イヴァンは相当に有望な男性だとしても良いだろう。
だからこそ、ペチュニアの両親は娘の恋心を知っても寛容に受け入れたし、ご近所でもイヴァンに対する悪い噂は立っていない。
昔ながらの「若年結婚」であるが、これからペチュニアの家に同居して、外での稼ぎの他に、家での仕事を継ぐ余裕を生みだせば、入り婿としては上出来な人物だ。
イヴァンの衣装合わせの部屋に、ペチュニアの父が訪れた。
丁度、一番上に着るフロックコートを直してもらっている時だ。
「やぁ。似合うじゃないか。フロックコートはどうだい?」と、明るく声をかけてくる。
「今、丈を直してもらって居ます」とイヴァンが言うと、「そうか」と言って、ペチュニアの父は部屋の片隅の長椅子に掛け、イヴァンの肩を優しく叩いて、自分の隣に座らせた。
「良いかい。イヴァン。ペチュニアから、君の事はよく聞いている。お父さんもお母さんも居なくて、帰る家もない。だけど、君の『自分で生きて行く力』はとても素晴らしいものだ。
自分を孤児だなんて嘆かないで良い。僕の娘は、父親が言うのもなんだけど、とっても人を見る目があるんだ。きっと、君は娘を守ってくれる強い男に成れる。そう信じてるからこそ、僕と妻は、君に一人娘を任せることにしたんだ。
まぁ、妻はだいぶ前から、君の事を気に入ってたみたいだけど。
これから数日したら、君とペチュニアは、夫婦になる。その時、僕達と同居する事には、賛成してくれるかい?」
「勿論です」とイヴァンは答える。
「そうか。それで、一つ君にお願いをしなきゃならないんだ。もし、ペチュニアと結婚したら、家のランタン工房を継いで……養子をもらってほしい」
そう言われて、イヴァンは思考も体も固まった。単純に、意味が分からない。
「何故、養子を?」と聞くと、ペチュニアの父親は話した。
「ペチュニアは昔から酷く体が弱くて、風邪を引いても死にそうになる子だった。成長すれば大丈夫だと思って居たが、今でもペチュニアは筋力も弱く、免疫力も低い。毎年数回は風邪にかかり、原因は分からないが、食べ物を吐き戻してしまったり、手腕に発疹が出来たりする。
そんな子が、お腹の中で『自分の体に合わない子供』を作ってしまったらと考えると、そのつらさは男の僕だって想像できる。
もし無事に生まれても、産褥を生き延びれるか分からない。そんなあの子に、子供を産ませるわけにはいかないと、ずっと考えていたんだ」と。
イヴァンは尋ねた。「その事は、ペチュニアは?」
その答えはこうだ。
「まだ知らないよ。僕と妻の間で考えていた事だ。後で、ペチュニアにも伝える。もしかしたらすごく反対されるかもしれない。彼女は、自分の血を継いだ子をとても欲しがっていたから。
だけど、人の親になるんだったら、何も自分の血を継いだ子でなくても良いだろう? イヴァン。親の居ない君なら、分かるはずだと思うんだ。世の中には、両親の愛と安全な家庭を求めている孤児達も、たくさんいるんだって」
「ええ……」と穏やかに相づちを打って、イヴァンは心の中で勝利を確信した。
ペチュニアの父親が部屋を去ってから、イヴァンは「なあんだ」と心の中で呟いて安心した。
ペチュニアは強気な女の子だから、彼女が体が弱いとか全然考えた事なかったけど、そうだよね。「子供を作ったら危険な体」なんだったら、養子をもらえば良いんだ。
もし、ペチュニアが血を継いだ子と似た子を欲しがったら、金髪で灰色の瞳をした孤児を探そう。城に行ってペチュニアの体を色々いじるより、ずっと簡単で安全だ。
「はい。出来たよ」と言って、お針子の女性が丈を詰めたフロックコートを渡してくる。
イヴァンはそれに袖を通し、本番のように背を伸ばして見せた。
くしゃみをして、アンは「なんかうすら寒いな」と思った。
アプロネア神殿の居室は通年二十六度ほどに保たれている。湿度も一定だ。だけど、何故か鳥肌立ってぞわぞわする。
少し薄着をしていたが、肩にカーディガンをかけ腕を通した。
「アン。弟さんが来ましたよ」と、巫女のソアラが部屋の扉の向こうから声をかけて来る。
「準備は出来てる?」と、ガルムもドアの隙間から、顔だけ見せて声をかけてきた。
「うん」と答えて、アンは財布と万年筆と手帳を入れたバッグを手にした。
ガルムはだいぶ読み古した「物件情報誌」を眺めながら、各建物の紹介をしている会社の係の人と話し合っている。
アンは物件の状態をメモして、立地情報とリフォームの算段を頭の中で考えた。
一件目は庭つきの戸建ての物件だった。神殿からは、バスで三十分ほどの距離がある。庭はコンクリートで覆われているが、花壇を作りたい時にぴったりのスペースに土が出ている部分が残っていた。
外観は石レンガと漆喰造りで、木造の内装もそんなに傷んでいない。床板と壁紙を貼り換えればすぐに住めそうだ。
ただし、土地付きの戸建てなので、元手はかなりかかる。
二件目以降はマンションだった。
外装がアールヌーボー調を思わせる優美な作りだったり、すごく近代的な高層のマンションの中ほどの階だったりした。
随分立派な所ばっかり選んだねぇ……と、アンは思ってしまったが、それ等のマンションのある場所は、穏やかな雰囲気の住宅街だ。
恐らくガルムは事前に物件の周りの治安を確認して家を選んだのだろう。
四件ほどのマンションの部屋を見せてもらい、その日の「下見」は終わった。
「それで、ねーちゃんはどの家が良い?」と、ガルムは聞いてくる。
「何処も立派だと思ったけど」と、アンは手帳に書いた情報を見ながら言う。「ガルム君の予算としてはいくらあるの?」
「ズバッと聞くねぇ」と、ガルムは苦笑いする。「今までの貯金からして……四千カーボンはあるよ。どの物件も月賦が利くから、毎月少しずつ払って行けば大丈夫」
「四千金剛……」と呟いて、アンは弟のやりくりの上手さに小さな拍手をした。




