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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第九章~愛しいあなたへ~
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16.発達未満

 観察用の窓からサブターナと魔神達が見つめる中、黙読の間にある試験体「アベル」は、人間の母体で言うなら臨月の状態まで成長した。

「間もなく出産になりますね。サブターナ、同席する?」と、医学者の魔神が聞いてくる。

「勿論」とサブターナは答えた。

 それから、ずっと「爬虫類期」で成長を停められていた、サブターナの持つ「X遺伝子」だけを持った個体の術式にも目を向ける。

 エムツーの髪の毛から採取した「XY遺伝子」の「X遺伝子」を取り出して、それを「爬虫類期」の個体の片側の「X遺伝子」と、後天的に取り換えると言う術を行なおうとしている。

 最初からエムツーとサブターナの、別々の「X遺伝子」を揃えた個体を新しく作る事も考えられたが、サブターナは一定期間生き永らえさせていた、不完全な赤子に愛着が湧いていたのだ。

 何とか、「この子」を生き続けさせられないかと考え、サブターナは新しい術を考案した。

 遺伝子と言うプログラムを、特定の情報に沿って書き換えると言う、ある種の転写の術だ。

 その術にはエネルギーが要る。大量の「向こう側のエネルギー」が。

 通信で、採掘現場の監督役の魔神と連絡を取る。

「オーム。()()()()はどんな感じ?」と、サブターナは聞く。

 オームと呼ばれた魔神は、黒煙が上がっている地面の割れ目を遠くに見ながら、通信を返す。

「『力の泉』は、もうすぐ枯れそうだ。時間を置いたら回復するかもしれないが、エネルギーの放出が少なくなってきてる。『理力の泉』と『放物の泉』からもエネルギーを集めてる。術式の開始まで時間はあるか?」

「あって半日。すぐに搔き集めて来て」

「分かった。やれるだけ頑張るよ」

 サブターナと魔神はそうやり取りをして、同時に通信を切った。

 サブターナに付き添っていた研究員の魔神が聞いてくる。

「新しい……女の子の名前はどうする?」

「それは、もう決まってるわ」と、サブターナは答えた。「カインよ」

 それを聞いて、話し相手になっていた魔神は、人間で言うなら耳の位置で綺麗に渦を巻いている自分の頭の(つの)に触れて、「運命を変えたいものだね」と返した。

「変わるわ」と、サブターナは、朱緋色の瞳に不出来な肉塊を映しながら、断言する。「必ず」


 晴れ渡る空の下。澄み渡る風の中。

 ニヤニヤしながら黒い髪の少年が歩いている。その瞳は、サブターナと同じ朱緋色に輝いていた。

 世に属すためイヴァンと名乗っている少年である。背より高い荷物を担いで、歩調も軽く歩いて行く。

 彼はまだ十三歳の身だが、結婚式の日取りが決まったのだ。

 お相手は、この辺りでは中規模の町にあたるフィファナと言う土地の、飾りランタン屋の娘だ。

 イヴァンは、かつて本名を名乗っていた時に、フィファナより遠い村でちょっとした失敗をやらかした。

 もう五年も前の事になる。眼球を失っていた人物の目を、「元通りに治して見せて」しまったのだ。

 当時エムツーと名乗っていた少年は、自分はしっかりした仕事をしたと思って居たが、周りで治療の様子を見て居た人間達は、後退り、誰からと無く足元の石を拾ってエムツーに投げつけた。

「化物!」と罵りながら。

 その村から辛くも逃げ出したエムツーは、以後、名をイヴァンと改め、荷物運びのギルドで働き始めた。

 その折に、飾りランタン屋を見つけた。昔の趣味を思い出して、煌びやかなランタンに見入っていると、「あら。お客さん? それともおさぼりさん?」と言って声をかけてきたのが、ランタン屋の娘、ペチュニアだった。

「綺麗だなと思って。僕も、ずっと前に、作ったことがあるから」

 そう話を始めると、ペチュニアは明るい表情をして、イヴァンを工房のほうに連れて行った。

「お父さん。どうやら、お客さんみたい。ランタンを作ってみたいって」と、早々に家の商売にイヴァンを参加させた。

 当時九歳だったイヴァンを見て、ペチュニアの父親は「だいぶお若いお客さんだ。吹きガラスが作れるかな?」と、冗談を返した。

 しかし、それを冗談だと受け止めなかったイヴァンは、「はい。作れます」と、答えてしまった。

 それから、イヴァンの事実上の婿入り修業は始まった。

 入り婿として期待されていると言う事を、薄々感づきながら、イヴァンはかつての趣味の工芸を楽しんだ。

 其れからイヴァンは各地で三又をかけるようになり、最終的に残ってくれたのはペチュニアだけだったと言う経緯を持つ。

 何とか誤魔化し通してつなぎとめて来たペチュニアとの「絆」が、いよいよ結婚と言う形で確定するのだ。

 人間達の信仰している創造神と言うものに祈りを捧げ、ペチュニアの身内やご近所の人が見守る中で指輪を交換し、誓いの口づけをするのだ。

 うんうん。中々、人間っぽいぞと、イヴァンはちょっと調子に乗った。唇を尖らせ、ぴゅーと音を立てながら息を吹く。

 ペチュニア本人や、ペチュニアの家の人々が、朱緋眼と言うものを知らなかったのは、イヴァンにとっては幸福で、ペチュニアとっては地獄に落とされるようなものだった。

 イヴァンのある種の策略は、彼が唯、荷物運びの仕事をしてるだけの間にも、じわじわとペチュニアを絡め取って行った。


 式の当日に着るはずの年代物の白いドレスをベッドに広げ、それを横に椅子で作業をしているペチュニアは、頬を紅潮させ、普段から潤んでいる目を、時々ぎゅっと閉じた。

 ずっと細かい部分を縫っていたので、目が疲れているのだ。

 きっと、何代か前の花嫁が、誤ってワインの雫でも溢したらしい小さな赤いシミを、リボンとレースで作ったコサージュで隠そうとしていた。

 花嫁になると言う「最も素晴らしい日」を待ち侘びるペチュニアは、それまでの地味な女の子ではない。

 サクランボ色の唇は更に色鮮やかにふっくらとし、手元の整ったコサージュを見つめる目は、希望に満ちている。

「ペチュニア」と、彼女の母親が、部屋の外から娘に声をかけた。

 ドアがゆっくりと開き、母親は娘に顔を見せる。

「少し休んだら?」と言いながら、ペチュニアの母は紅茶のポットとカップを差し出した。

「ああ、お母さん」と、ペチュニアは感動を禁じ得ない。「私、必ず、元気な子を産むからね」

 ペチュニアの母は、カップに紅茶を注ぎながら、「まだ気が早いわ」と、娘を嗜める。

「まずは、イヴァンとよく話し合って、毎日のことを決めて行くのよ? 子供の事を考えるのはその後」

「ええ!」と元気に答えて、ペチュニアは、テーブルの針山に縫い針を戻し、その隣に青い薔薇のコサージュを置いた。

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