15.お姉ちゃんの意識改革
アンは「外の世界に行って、普通の生活をする人生」を考えてみた。
しかし、その普通の生活をするには、資金と言うものが居る。
私も、新しく仕事を探してみようかなぁと、アンは発想した。
清掃局には面が割れてしまって居るし、あんまり派手に魔術を使う仕事じゃないほうが良いだろう。
市場店の店員さんとかどうだろう。清掃局で働いていた事は伏せて、短時間労働でも良いから。
専門知識が無きゃダメな仕事は、向いてないだろうな。
今から勉強するって言っても、その分、勉学にお金がかかってしまうしねぇ。
清掃員だった時の知識を応用して、就ける仕事はあるかな?
今度、意識の町で会ったら、ラムに聞いてみよう。
そんな事を考えながら、弟が持って来てくれたファッション雑誌で、キラキラのハイブランドに身を固めている女性達を眺めていた。
夜間。ようやく睡眠をとって良い時間になり、実際に意識の町を放浪する。
アンが訪れる時の意識の町は何時も昼間だ。そしてアンの腹時計も昼間仕様だ。
フィッシュアンドチップスのお店で、お昼ご飯を買って公園のベンチに座り、ジャグリングの練習をしている青年の背を見物しながら食べる。
揚げられて塩とスパイスをまぶされた魚をもぐもぐ食べて、同じ味付けの揚げジャガイモを頬張る。
やはり、トメィトガーデンのチップスはスパイスが利いてて美味しいな。
そう思いつつ、アンは町のチェーンチップス店の味に唸る。
「砂埃は気にならないの?」と言う声が聞こえて、そっちに目を向けると、見たことの無い人が居た。
ショートカットに近い茶色の髪の毛は、あちこちからカラフルな長い束が伸びていて、服装はダメージ加工をしてある黒い上下と、腰に白いベルトを着けている。
ベルトの穴は必要以上に丸く大きくて、金属で縁取られている。
そして、その人物の虹彩の左目は黄色、右目は紫。
アンは素直に「誰?」と聞いた。
「ああ。君とこの格好で会うのは初めてか」と、その人物は言い出す。「声では分からない?」
アンは思いつく限りの「かつて会った人々」を思い出してみて、一番声の感じが近い人物を思いついた。
「もしかして、ジークさんですか?」
「ああ。まぁ、さんは要らない」
そう言いながら、ジークは少し間を空けるだけの遠慮をして、アンの隣に座る。
「照射映像疑似形態……って言って、分かる? 弟さんからは聞いてる?」
「いや、初耳な言葉」
「それじゃあ、その辺りから説明しよう」
そう言って、ジークは疑似形態についての解説を始めた。
「ってわけで、どの範囲に『シャドウ』を発生させられるかの実験中なんだ。この町に来たのは、ラム・ランスロットの紹介。魔力を持ってる映像なら、たぶん侵入できるって事でね」
「その、シャドウって言うのは、霊体とは違うの?」
「だいぶ違う。基本的に『人間っぽい事は大体できる映像』だけど、生体のほうの五感情報が常に照射機器に収集されてる。その五感情報の取得にも、制限があったり、制限をかけたりできる。
それから、俺のシャドウだけの機能としては、三体くらいまでなら自由に分裂させられる。別々の五感情報を、一緒くたに纏められる能力が、生体の方に求められるけどね」
「それは、確かにジークにしかできないね」
「俺も、此処まで機械化されてから、『人間っぽい事が出来る』ようになるとは思ってなかった」
そう言って、ジークはニッと笑う。歯並びの良い口元は口角を上げ、黄色と紫の眼が三日月型に持ち上がる。
メリュジーヌの屋敷でのジークは、常に重装備のゴーグルをかけているので、目元を見た記憶はない。
体中も機械に覆われていて、正確な体型も見た事が無かった。
中々、女の子を口説いたら簡単にナンパしてしまえそうな面構えと体格をしている、とアンは思った。
その人の数の中に自分が含まれていないのは、元・朱緋眼保有者である人物特有の思考回路である。
その日は、ジークの疑似形態を連れて、意識の町の中の散歩と観光をした。
ラムには会えなかったが、町を歩きながら、ジークに「外で普通の仕事をしながら暮らす方法」を聞いてみると、アンが予想してたのと似たような返事をもらった。しかし、少し発展的な意見も聞けた。
清掃局には面が割れてしまって居るだろうから、邪気に関わる仕事はやめたほうが良い。何だったら治療師のギルドにでも登録して、「浄化」の力を使った医者として働いたらどうだ? と。
「組合に登録ねぇ……。何か古めかしいシステムだな」と、アンが溢すと、ジークは「今の時代の普通の労働者組合だと、経歴がクリーンかとか、結構問い詰められるからね」と答える。
「ギルドでは、過去の経歴は?」と聞くと、ジークは「ほとんど聞かれないよ。実際に治療のための能力が使えるかを、問われるだけ」と言う。
これは一縷の望みがあるかも知れない、と考えたアンは、お礼に一食分のフィッシュアンドチップスを奢る事にした。
「貴女、それ、好きねぇ」と、ジークは変な喋り方で揶揄う。
「間違いのない味だから、是非食べてみて」と言って、アンはスパイシーな揚げ物の紙袋を差し出した。
その夜は、朔月だった。真っ暗な夜空に、夜景に負けない星明かりが燈っている。
その日は夜更かしせずに眠っていたガルムは、何かの気配で目を覚ました。
カラーコンタクトレンズを外している彼の両眼が、闇の中で朱緋色に光る。
目の色を誤魔化す伊達眼鏡をかけ、そっと二段ベッドを降りて、視線の方向を探る。
遥か遠くから、何かが見ているような視線。自分と同じ因子を持った者からの視線だ。
何だ? と構え、カーテンに触れようとして職業柄の警戒心が働いた。
不用意に姿は見せないほうが良い。あれはまだ、俺の方向を特定しているわけじゃない。
そう自分に言い聞かせ、ガルムは静かに素早く二段ベッドの上段に戻った。
翌朝。アンは清々しい気分で目を覚ました。自分はまたいずれ仕事ができるかも知れない、と言う、彼女の人生にとっては明るい情報を得たからだろう。
現在、ギルドがある場所と言うと、だいぶ田舎の方になる。しかし、ギルド同士でしか使えないシステムや、現代の労働組合に劣らない設備もあるそうだ。
其れなら、毎日箒で飛んで行って、仕事をしてからまた飛んで戻ってくると言う事をすれば良いのか。
全部は、ガルムが「外の世界で住むための家」を用意してくれてからの始まりになるだろう。
お姉ちゃんは頑張るよ。
アンは、早朝のカーテンを開け、まだ薄暗い外の景色に目を向けた。
日の出にはまだ早かった。




