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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
エピソード集
36/433

ワルター氏の憂鬱な午後1

 黒髪と青緑の瞳。涼しげな目元と、きりっとした口元。眼鏡の下の鼻筋は長すぎもせず、短すぎもしない。「女性が好むであろう顔つき」をした青年は、すらりと背が高く、服から出ている手腕や首元は引き締まっていて、胸板から下はほぼ真っ直ぐ。

 かと言って、モデルの人のように細いわけでもなく、働くのに必要な筋肉はしっかりと備わっているようだ。

 銀の狼の頭部が刺繍された黒いユニフォームを着て、無理のない姿勢で背筋をピンと伸ばし、今日も局内をさっそうと歩く。

 それが、ノヴァ・ワルターの外見的特徴である。

 仕事上の地位は監督指揮官。実務は現場でのオペレーティングを主として、仕事をする各局員に指示を出す立場だ。

 清掃局員の仕事に細かい指示が要るのかと言ったら、要るのである。

 何せ、彼の所属するウルフアイ清掃局員が清掃するのは唯のゴミではない。

 時々、不法投棄された唯のゴミを片づける事態もあるが、主に、死霊絡みの「異常な空間」を清掃するために術を行使する、魔法技師達の集まりなのだ。

 そんなわけなので、一般の清掃局より「お化け」に遭遇する確率や、「死した何か」を扱う確率も上がってくる。

 その辺に居る霊体が、一時的に人間に見えるようになる「お化け」現象は、然程問題ではないが、「死した何か」達は厄介だ。直接的な攻撃の他、意識の侵食や霊的作用を起こす。

 主に、そう言った害のある霊体は、「死霊」や「邪霊」と呼ばれる。

 そんな厄介な奴等を相手にするために、同局や他局の者とチームを組んで仕事をすると言う事が必要になる。その現場の情報を把握し、局員達に指示を出すのが、ワルターの仕事である。

 この人物は、とても好感が持てる容貌と地位を維持しているおかげで、男女共に「お近づき」になりたがる者が多い。

 仕事に必要な事でもないのに、彼のデスクの上には度々手紙が置いてある。

「今度飲みに行かないか」と言う簡単なものから、「何ヶ月前から貴方の事が気になっていて云々」と言う複雑なものまで、様々だ。

 ワルターは、大体の場合、それ等の手紙を家に持って帰ってから読む。仕事場で封は開けない。封を開けて、読む所を同僚に絡まれたりすると、話が厄介になるからだ。

 その日は、単発の仕事が二件入っただけだったので、日付を跨がずに自宅に帰って来れた。マンションの一室で待っている者は猫だけだ。

 先日の一週間に渡るロングランな仕事の間は、親戚の家に預けていた。愛猫と触れ合えない期間は、少々のストレスを感じさせたが、それをじっくり自覚していられるほど簡単な仕事でも無かったとワルターは記憶している。


 真ん丸な月が天頂高くに出る頃に、自宅のマンションに帰りつき、鞄の中から鍵を取り出す。

 愛猫は、主人が帰って来る事に気づいて玄関で待っていた。

 主人がドアの鍵を閉めるのを待って、まだ子猫と言って良い若猫は、期待した表情でワルターを見上げている。

「チーニャ。ただいま」と、普段より相当甘い声を出して、ワルターは猫の喉を掻き、背中の毛を撫でてから抱き上げる。猫を肩に担ぎあげてから、床に置いておいた仕事鞄を手に取り、部屋の奥に進む。

 キッチンに置いてある猫の餌のトレーにドライフードを入れて、猫のための飲み水を入れ替え、猫のトイレの掃除をして、汚物をシートに包んでゴミ袋に投じる。

 ゴミ袋は入念に縛って、猫が餌を食べている間に、マンションの前のゴミ集積所に捨てに行く。

 もう一度家に戻り、手を洗ってから、一日の儀式である、「今日デスクに置かれていた封筒の開封」を行なう。

 今日は二通だった。

 一通は、直属の部下であるナズナ・メルヴィルからだった。

「ムニアと言う女子局員から、ワルター氏の好みや人柄なんかを聞かれました。適当に答えておきましたけど、彼女、気を付けたほうが良いですよ」と言う内容。

 正式に封筒に入ってるわけではなく、便箋がそのまま封筒の形になるように折られて、簡単に開いてしまえないように、折端が角の中に折りこまれている。

「これが折り紙か」と言って、ワルターはナズナの母方が東洋系であった事を思い出した。

 東の国の人は器用だなぁなんて思いながら、次の封筒を見た。

「ノヴァ・ワルター様」以外、何も書かれていない、簡素な茶封筒から、便箋を取り出す。封筒の中身を見ると、ついさっき目にした、ムニアと言う名前が目に飛び込んできた。

 ムニア・オーダーと言う、ファーストネームとファミリーネームの分かりずらい名前が書かれている。

 この名前の分かりずらさはウルフアイ局員に多い。局の所在地が、そう言う癖のある名前の集まる場所にあるのかも知れない。

「秩序のムニア……」と呟きながら、便箋に目を通す。いや、目を通さなくても、その異様さは一見にして分かった。

 最初は小さな楚々とした文章で自己紹介が書いてあった。

「初めまして。ムニア・オーダーと申します。三年前にウルフアイ清掃局に入社しました。まだまだ二十一の若輩者です」

 そこまではスムーズに読めたが、便箋の中ほどから、罫線を無視して文字が暴れ狂っている。

 一部は、文字が崩れすぎていて読めない。

「なんたらかんたらと言う理由があって、ワルターの事を気に入ったのは…なんとかのためで、容貌だけ、地位だけと言う要素ではありません。きっと運……なんとかと言うものの思し召しだと直感……なんたらかんたら」と言う、解読不能の文字が使われている文面だった。

 それより狂気的なのが、「愛なんて言葉じゃ片付かないんです」と言う件から始まった、「片付かないんです」の羅列が、乱れた文体でグチャグチャと書き綴られている。

 便箋は三枚入っていたが、二枚目も「片付かないんです」と言う言葉が渦を巻いており、三枚目になると、文末くらいでまた小さな文字に戻り、「この心を理解してくれるのは貴方だけだと思いました。私はどうしたら良いんでしょう」と綴られていた。

 この人は、仕事上でノイローゼでも抱えているのかな? と思い浮かべ、ワルターは「どうしたら良いんでしょうね」と他人行儀に呟いた。


 次の日、前日見た手紙の影響か、不気味な夢を見た。

 初めは、清掃局のオフィスを歩いていた。不意に、背後から嫌な気配がし、髪の崩れた女達が群れに成って押し寄せてくる。

 走って逃げても、姿を隠した廊下の曲がり角の先で、おどろと髪の崩れた気味の悪い女がニヤニヤしながら手を振っている。

 その女が、何処までも伸びる腕を伸ばして来ようとした所で、ぞっとすると同時に目が覚めたのだ。

 その夢の中の不気味な女達が、想像の中の「ムニア・オーダー」である事は、目が覚めてから納得した。

 愛猫チーニャは枕元で、すやすやと寝息を立てている。時計の時刻は朝七時。やけに疲れていて、一瞬「休みたい」と思ってしまった。

 それでも、猫のトレーに決まった量のドライフードを入れ、顔を洗って歯を磨いて、自分のための朝食を用意してテーブルに並べ、食べてコーヒーを飲む頃には、気分もすっきりしていた。

 訳の分からない手紙をもらったからと言って、まともに受け止めていたらキリがない。

 もし、ムニア・オーダーが、僕からの返事を期待しているようなら、「一度、心を落ち着けるために休暇取ったら良いんじゃないか」と言っておこう。

 そう心に決めて、食器を洗って片付けてからエプロンを外し、出勤用のスーツの上にコートを着込むと、「チーニャ。行ってくるよ」と猫に声をかけ、職場に向かった。

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