13.猫に憑かれる
ハウンドエッジ基地に出入りするようになっていた黒猫は、体中を丸刈りにされた。
レーネが、「ウィニには、特別な、印が、ある」と話し、ある図形を地面に描いたのだ。
「三角が、三つと、点が、六つ。それから、小さい三角が、上と、下と、右と左」と言いながら。
その図形をメモに描いて、ガルムは急いでハウンドエッジ基地に引き返したと言う事だ。
そして問題の黒猫の体の何処かに「印」が無いか、衛生兵達が探したのだ。
「ありました」と言って、一人の衛生兵が、猫の喉元を指差す。
人間が猫をあやす時に触れるその位置に、ウィニの印が刻まれていた。
猫の体毛を状態回復で元に戻してから、猫とレーネは引き合わされた。
「アイラ」とレーネは猫に声をかける。それから、レーネ語でぺらぺらと何かを猫に言い聞かせ始めた。
ガルムがそれまでに覚えていたレーネ語とは少し違ったが、聞き取れた所だけ訳すと「嫌だったねぇ。体全部刈られちゃったんでしょ? 喉にあるって言えば良かったかな」と言う事だった。
レーネが来るより先に、猫の毛は元に戻してあったので、猫の元の状態を知るなら術での追跡が必要だ。
しかし、レーネが魔術を発動した気配は無かった。
しばらくして、ティナがガルムにアイサインを出した。
レーネと会話して、の合図だ。
ガルムは頷いてから、「レーネ」と声をかけた。「この子は、アイラって言う名前なの?」
「そう」と、レーネは機嫌よく返す。「レーネの、猫」
「うーんと、そうだな……」と、ガルムは切り出した。
レーネが「ウィニ」の呼び方を聞いたときに、ガルムは間違えて「猫」と言う発音を教えてしまったが、正確に「ウィニ」の事は教えられていなかった。
だから、もう少し「ウィニ」がどんなものなのかを教えてほしい、と。
「良いよ」と、あっさりレーネは承諾する。
「この子は、レーネが、作ったんだよね?」と、ガルムは問いかける。
「そうだよ。アルア……。ガルムの、前の、アルアが、教えて、くれたの。作り方」と、レーネ。
「どんな風に作るの?」
「それは、秘密」
「そうか。レーネにとって、アイラは、家族なの? それとも、友達?」
「ううん。ウィニは、家族、無い。友達、無い。主人に、ずっと、仕える」
「アイラは、レーネに、どうやって、仕えてるの?」
「離れてる。仕えられない。近づく。仕える」と、レーネは説明し始める。
「うん」と、ガルムは相づちを打つ。
「アイラ、目で見る。レーネ、目を閉じる。アイラ、見てる、もの、見える」
「視界を借りれるのか」
「そう。それから……」
そう言いながらレーネはウィニに対する幾つかの制限と、能力を教えてくれた。
「視界や聴覚を借りる。主人の作った魔力流を運ぶ。相互の身体の回復を促す、か」と、「レーネ事件」に関わっているハウンドエッジ基地の術師、ジル・ヘルダーはメモを読み上げた。
「それで、レーネが消耗した時に、アイラは『一時的に消滅』したわけか」
「そうなります」と、ガルムは答える。
ジルは録音用の水晶を起動させている。彼女は更に言葉を続けた。
「これはまだ仮定の話だが。レーネが誰かの『ウィニ』である事は考えられないか?」
ガルムはそれを聞いて、「レーネ自身も、誰かに使役されていると?」と聞き返した。
「レーネの日記で、気になる部分があるんだ」と、ジルは言い、レーネの日記の翻訳したものを、水晶版に映写してガルムに見せた。
レーネの家族であったらしい、複数の人物が、居なくなったと書かれている場所だ。
「レーネから、この部分の単語を聞いたとき、彼女は『去る』では無く、『消える』と、表現したんだろう?」と、ジル。
「確かに」と、ガルムは水晶版を見ながら言う。
「人間が空腹や疲労で『消滅』するわけがない。だとしたら、彼女達も『アルア』と呼ばれる人物の創り出した、『ウィニ』ではないかと推測したわけだ。もしかしたら、レーネの視界や聴覚を借りて、その人物は、この基地や、ガルム、お前の事も探ってるかもしれないぞ」
そう脅されて、ガルムは少し考え、問う。
「でも、レーネの体に……印は無いんでしょう?」
「最初に服を着替えされた時も、髪を切った時も、タトゥーのような物は無かったらしい」
「だったら、レーネを危険視する必要はないんじゃ……」
無いのかと言いかけると、ジルに「なんだ。懐いてくれる女が減るのは悲しいのか?」と皮肉を言われた。
「決してそう言う話ではありません」と、ガルムは目を座らせながら言い返した。
レーネが誰かの「従僕」であっても、今は軍病院からも離れている。
猫のアイラも、レーネのホストファミリーの所に置いて来たし、何処の誰かも分からない奴に軍の内部の事情を、知られる恐れはないだろう。
アイラと言う猫は、レーネの創り出した物である事を知られる前に、ハウンドエッジ基地の内部をぐるぐると歩き回り、飛び跳ねて遊べる場所を探しつつ、時々出会う「猫好きな隊員」に構ってもらいながら生活していたらしい。
餌は隊員達の寄付で賄われ、やはり寄付により水やトイレの準備もされた。
アイラも、それ等のある場所はしっかり覚えていて、幾ら「楽しく飛び跳ねられる棚のあるオフィス」を見つけても、一定時間で補給の出来る場所に戻って来ていた。
アイラが居なくなって、拗ねている隊員が居る。
ソム・ホーンティングと言う名前の、何となく暗い奴だ。
彼は自分達のオフィスに居つくようになったアイラを、とても気に入っており、キャットフードを食べているアイラの背を撫でながら、人間相手には喋れない内緒話などしていた。
その姿は、動物愛溢れると言うより、少し憑りつかれているような様子を見せており、猫の耳で辛うじて聞き取れるくらいの小声で、何かをブツブツ唱えていたらしい。
ソムは、昨日までアイラが出入りしていた「猫コーナー」を片づけている間、何度も溜息を吐いている。
「ソム。猫に憑りつかれるな」と、同僚が声をかける。
ソムはそれを聞いて、「うん……。まぁ、ねぇ……」と、内心を語らないままだった。
彼の手によって猫コーナーには消臭剤がまかれ、元の「とりあえず物を置いておく場所」に設えなおされた。
そして猫とのハートブレイクを迎えたソムは、心に止めておけない内緒話を、白いノートに吐き出すようになったのだ。




