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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第九章~愛しいあなたへ~
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11.愛情不足症候群

 とても広々とした一人部屋であろう。その中にある物が、ベッドとソファと十数冊の雑誌とルールの決まっている多様なボードゲームの類だけであると言う事を知ってしまっても。

 アンに宛がわれている神殿内の部屋は、「もしその時が来たら」緊急処置をするための機材を運び込むために、なるべくがらんとした状態を保たれていた。

 弟が時々手土産を持って来てくれるが、それ等も「消えもの」が喜ばれた。食品が一番だが、ハンドクリームや軟膏、時には保湿パック等も良しとされた。

 二十七歳と言う、まだ「若さの名残」が残っている時期ではあるが、若いうちから気を付けておいたほうが、早々に老化に侵食されることも少ないだろう。

 だからと言って、アンが「美容用品」をねだっているわけでもないし、ガルムが「美容用品を持って行こう」と決定しているわけでもない。

 全ては、ノックスの「良いから持って行けよ」に促された結果である。

 おかげで、アンは此処の所、皮膚の調子が過剰に良い。あまりに潤いがあり艶々してしまうので、一日二日くらい美容をサボる。

 そうすると「外部から補給があるんだ」と信じ切っている皮膚は、熱を持ってカサカサし始める。

 上手く行かないものであると、アンは鏡の前で、部分的に薄皮が剥げている唇に、軟膏を塗りながら思うのだ。


 二週間ぶりの月曜日に、ガルムが連絡をくれた。来週末には見舞いに行けるだろうと書いてある。何か欲しいものがあったら教えて、とも綴られている。

 アンは何をおねだりしようかしばらく考えてから、来てくれるだけで充分だな、と考え直した。それ等を正直に手紙に書いて、神殿内の手紙を集めるために設置されているポストに向かった。

 その日のうちに、神殿の研究員から、こんな提案があった。

「三十歳になったら、結婚を考えてみませんか?」と。

 アンは頭が真っ白になった。朱緋眼を持っていた頃にすっぱり諦めていた「結婚」の文字が、岩と化して彼女の頭上に降り注ぐ。

「そう言うタスクは、意識の中にありませんでした」

 そう答えると、すごく言いにくそうしている研究員は「そうですよね……。でも、今の貴女に朱緋眼はないんですから、そう言った未来も選択できるんですよ?」と、述べる。

 アンの考え方からすると「異様な選択肢」にしか感じられない。

 しかし、その主観を告げても、研究者達は納得できないだろう。

「待って下さい。結婚したとしたら、子供を期待されるんですか?」

「まぁ、結婚すると成ったら、そうなりますね」

 それを聞いて、アンは研究者の裏心が分かった。細胞からのアンの複製が作れないので、血を継いだ子供と言う形で、研究対象を増やそうとしているわけだ……と。

 モルモットや実験用ラビットの繁殖が想像できる。

「すぐに『そうですね』とは答えられません」と、アンは不機嫌そうに返した。

 研究者が退室してから、次の見舞いの時にガルム君に愚痴る内容は決まったなと、アンは心の中で怒りを燃やしていた。


 実際に弟と会ってみると、嗅ぎ覚えのない魔力香(まりょくか)に気づいた。アンと弟が放っている「蒸気を感じさせる花の香り」ではない。柑橘類に近い爽やかな香りだ。

 持って来てくれた土産に、柑橘系の香りがついていないかを、犬のようにチェックしたが、土産の香りではないようだ。

 クリーム入りのチョコ菓子を熱心に嗅いでいる姉を見て、ガルムは訝し気に聞く。

「何してんの?」と。

「いや、ガルム君。君、香水つけてる?」と、姉は第二の原因を考えた。

「ううん。あの会社では香水は禁止だよ」と、弟は答えた。

 ガルム達は外の世界で、「軍」や「訓練」や「現場」と言うワードは言わない。「会社」や「技能習得」や「仕事」と言う表現をして、普通のサラリーマンを装う。

「そりゃそうかぁ」と、理由を知っているアンは納得した。

「何かのにおいでもついてる?」と、ガルムが聞くと、「うん。何か、オレンジみたいな良い匂いがするんだ。魔力香……なのかな?」と、アン。

 そう言われて、ガルムも自分の衣服や脇を嗅ぐ。彼としては特に匂いを感じないらしい。

「俺には分かんないな」

「まぁ、悪い匂いじゃないから、放っておいても……」と言いかけ、アンは香りが急にきつくなった気がした。

 鼻を押さえるほどではないが、まるで「柑橘類の香水を纏っている人物」が、ガルムのすぐ隣にいるように感じる。

 霊体を見る視野を使うと、ドレスを着たその「女性」は、微笑むような表情を作って顔を少し斜めにし、ふっと消えた。同時に、柑橘類の香りも消える。

 姉の反応しか見えてないガルムは、「どうしたの?」と、聞いてくる。「気分悪い? 水、飲む?」

「いや……」と、アンは、水差しを手に取ろうとしたガルムを、手の仕草で止めた。「今の所は、大丈夫」


 その実、ガルムは「少しばかり陰湿な者」に気に入られているらしい。その事を知ってしまってから、アンは自分の身に起こるかもしれない危機については愚痴れなかった。

 部屋を出て、神殿の庭を歩きながら、主に「ノックス君は、この頃どうしてる?」と聞いてみた。

「熱心に、ねーちゃんに、貢物をしている」と、ガルムは報告する。「あのハンドクリームも、軟膏も、保湿パックも、全部ノックスからの『気持ち』だからね。俺は選んで無いからね」

「うん。よく分かった」と、アンは言ってから、フェーッと溜息を吐く。「なんかさぁ。深く他人に関わりたいって言う気持ちには、どんなジャンルがあるの?」

「関わりたい気持ちの……ジャンル?」

「そう。例えば、友達に成りたいレベルとか、恋人にしたいレベルとか、結婚したいレベルとか」

「それ、答え自分で言ってるよね」

「私に思いつくのはその三つなのだよ。その他に、何か複雑なジャンルがあるのかなぁって」

「複雑なレベル……って言っても、大体の場合『親族に成りたい』とか『家族に成りたい』って言う場合は、そのまま『結婚したい』の願望に成っちゃうよね。男女だったら」

「結婚抜きで親族になる方法は、まだ確立されてないの?」

「そうだなぁ……。小さい子供と大人だったら、養子とか弟子って言う形で、家に住みこんで教育を受けたり、同性同士のカップルだったら『同居システム』って言うのが採用されたりしている。

 『同居システム』は、まだ法的には研究段階だから、どの程度『結婚』と同じ状態を再現できるかが、議題になってたりするらしいよ」

「養子や弟子は分かったけど……。結局、色んな人の目指す所は『結婚』なわけ?」

「他人同士の一番深い中って言うと、カップルになる事だからじゃない?」とガルムは答えてから、気づいた。「あ、あの! ノックスについては、あいつは、そう言う下心は無いからね」

「何故そう言い切れる」

「うーん。なんて言うか、あいつは、ねーちゃんの事を『女神様』だと思ってんの。常に心の中で崇拝して居たいって言う、そう言う、あの会社の社員特有の精神性と言うか」

「ほぅ。だったらガルム君よ。君の女神は誰なんだい?」と聞きながら、アンはにやりと笑んだ。

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