9.ずる賢くも逞しく
許可を得ていた期間内に、イヴァンはペチュニアの居る町のギルドに戻ってきた。何なら半日ほど早く戻ってきた。
「休暇は楽しめたかい?」と、受付のお兄さんに言われ、「ああ、はい。まぁ」と、あいまいな答えを返したら、「何時もの元気がないな」と心配された。
その実、辛い現実に立ち向かってきた後なので、イヴァンの心は疲れていた。
自分が普通の方法では子供が作れないと言うのが、一番の悩みだ。しかし、サブターナは、もしイヴァンがペチュニア本人や、その家族に「子宝」を求められたときに対応する方法も教えてくれた。
但し、それをペチュニアの家族が受け入れてくれるか、最低でもペチュニア本人が受け入れてくれるかが問題である。
方法としては、「城」での技術を使って、ペチュニアの細胞とイヴァンの細胞を掛け合わせた「胚」を作り、それをペチュニアの体内で育てると言う方法である。
「その場合、ペチュニアの体から得られた『卵子』が必要になる。その辺りに協力してもらえないなら、物凄く難しい方法ではあるわ。でも、ペチュニアは、ポッドの中で育った子供じゃ嫌でしょうから」
サブターナはそう女の子の心を説いてくれた。
が、そうなると……「城」にペチュニアを連れて行かなきゃならないじゃないか、と言う事に悩んでいるのだ。
サブターナの頭がおかしいと言う事にして、つなぎとめていたペチュニアの心を手放すことになるのでは、と、イヴァンは町の食堂でミートボールスープを食べながら、一頻り考え込んだ。
三つ入っていたミートボールの一個を食べていると、残り二個のミートボールは皿の中で寄り添っている。
イヴァンの頭の中に、言いようの無い名案が浮かんだ。
そうだ。僕が普通の方法じゃ子供が作れないとかは伏せて、まず、結婚しちゃえばいいんだ! と言う、ペチュニアにとっては奈落の底へ落されるような迷案だった。
自分の欲求に正直なイヴァンの脳は、結婚してからのネタ晴らしの順番を気に入った。ペチュニアだって、一度結婚しちゃえば、そう簡単に別れるとは言わないだろう。
食事を終えてから、イヴァンは急に元気を取り戻して、意気揚々とペチュニアの家に行った。途中で花屋に立ち寄って、真っ赤な薔薇の花の鉢植えを買った。
玄関のノッカーを叩いて、「ただいま!」と、元気に声をかける。
その物音に気付いたペチュニアの母親が、イヴァンを迎えた。「まぁ。おかえりなさい。心配してたのよ?」と言いながら。
そこで、イヴァンはこう切り出した。「僕、心が固まったんだ」
そう言いながら、薔薇の花の鉢植えを、少し持ち上げてみせる。「ペチュニアと結婚したい」
ペチュニアの母親は、目を大きく開いて瞬かせた。それからにっこりと笑み、「その情熱は、本人に伝えてあげて」と言って、二階への階段を示した。
二階へ行って、ロフト式の廊下を通り、ペチュニアの部屋の扉をノックする。
「誰?」と言う声が返ってきた。「イヴァンだよ。今日帰って来たんだ」と、少年は背のほうに鉢植えを隠して、意中の相手が出て来るのを待った。
部屋の中の小さな足音が近づいてきて、ドアが開かれる。
あんまり見た目が可愛くない子だと思っていたが、いざ意を決してから見てみると、ペチュニアの潤んだ目とサクランボ色の唇はとても魅力的だ。
「ペチュニア。作戦は一時中断だ」と、イヴァンは告げた。「サブターナを引き取るのは、まだ後でも大丈夫。まず……」と言って、薔薇の鉢植えを見せる。「僕と結婚して下さい」
ペチュニアは、目を丸くし、血色の良い唇を柔らかく動かした。だけど、何も言えないでいる。
イヴァンは本当の事を織り交ぜながら、嘘を吐いた。
「サブターナの状態は、思ったより悪くなかった。手紙に書く事が変なだけで、それなりに『まともな子』には育ってたよ。それで、言われちゃったんだ。『私の事を心配するより、お嫁さんを大事にしなさい』ってね」
ペチュニアは唇をきゅっと閉じ、顔を赤らめた。その赤みは、首から唇、唇から頬、頬から目、と、頭のほうまで上がってくる。
急に、ペチュニアの目に涙が浮かんだ。
「言うのが三年早い」と、ペチュニアは涙をぬぐいながら文句を言う。「私が、私の意思で結婚できるまで、待ってほしかった。お母さん達の許可をもらって結婚なんて、カッコ悪すぎる」
その言葉を聞いて、イヴァンはそれが「了承」の意味である事を受け取った。
「三年待ってる間に、ペチュニアの心が『もっとカッコイイ男の人』に持っていかれちゃったら、嫌だもの」と、イヴァンは言葉としては本心を述べた。
「私が……私は……そんな、尻軽じゃないわよ!」と、ペチュニアは言い返す。
真っ赤になった両眼に涙を湛え、鉢植えを捧げ持っているイヴァンの手を、両手で包んだ。
「私より、可愛い子が現れても、浮気しないでよ?」
イヴァンは笑い返した。
「大丈夫。ペチュニア以上に可愛い子なんて、思いつかないよ」
つい数週間前まで、別の二件の選択肢があった事は、既にイヴァンの脳から削除されていた。
薔薇の鉢植えを両手で支え合いながら、イヴァンとペチュニアはそっと口づけを交わした。
泣きべそをかいていても、ペチュニアの「キスの上手さ」は格段だった。
その後日、荷物を運びがてら、治療師の仕事をしに、イヴァンは別の町に向かっていた。
明るい空は少し雲がかかって、晴れて居るのに小雨が降っている。
角度が良ければ虹が見えるな、と、晴れやかな気分で考えた。
何にも不安がない状態に居るのも良いけど、やっぱり自分の足で歩ける暮らしは悪くないよね、と。
その頃、「城」でも進展したことがあった。
人工的に作った羊水の中で、イヴァン――エムツー――の髪から採取した「Y遺伝子」と、サブターナの髪から採取した「X遺伝子」を組み合わせた「胚」に、それまでにない成長が見られたのだ。
魔神達は「人間の体内に似せた環境」を備えたポッドの中を注視する。
その「胚」は、成長できる環境下に置かれてから、急激に増殖を始め、七日も経たないうちに爬虫類期を迎えた。
そしてサブターナ達が望んでいた通りに、その後も生き続けた。成長が急速である以外は、順調に人間の形に近くなって行く。
魔神達は、早くも「成功の可能性は大きい」と判断した。
サブターナも、その「胚」の成長を見守り、爬虫類期までの成長しかしなかった、以前の「胚」達とは違うと確信した。
頭を下にしてポッドの中に浮くその胚は、「アベル」と名付けられた。




