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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第九章~愛しいあなたへ~
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5.淑女の作法

 レーネに、直立した状態で足までをすっかり隠す丈のドレスが支給された。看護師や医術師達はこれで外に出来る気になるだろうと予想していたが、レーネの「脚」に対する羞恥心は深かった。

「着替えは済んだ? さぁ、運動に……」と、呼びかけようとした看護師は、ドレスのスカートが不自然に膨らんでいるのを見た。

 どうやら、ペチコート代わりに、スカートの下で毛布を脚に括りつけているようだ。

 今日から歩行運動を、と予定していた看護師は、急いで衣類店にペチコートとパニエを買いに行った。


 すっかり身支度の整ったレーネは、「脚の形が透けて見えない」事を確認して、ようやくベッドを降りる気になった。

 そして、一ヶ月以上ぶりとは思えないスムーズな……いや、スムーズ過ぎる足運びを見せた。歩行している間、レーネの頭は縦には動かない。足に車輪でもついているように、スーッと真横に動く。

 手は腹の辺りで組んで、滅多に仕草を作らない。表情はなるべく動かさないように気を付けているらしい。

 どうしても表情が崩れてしまう時は、片手の甲を自分のほうに向けて、目と鼻筋の辺りを隠した。こうすると、手首で口元も隠れる。そして一度表情を崩した後は、ずっと顔を隠している。

 何故顔を隠すのかを看護師に問われると、レーネは生の肌のままの頬に片手を当てて、「お化粧してた、から」と答えた。

 以前は「とっても固いファンデーション」を顔に塗る習慣があったので、それが崩れてしまわないように、もしくは崩れて皹が入ってしまっても分からないように、顔を隠す癖があるのだと。

「『以前は、常に扇を持って歩いていた』って言ってました」と、看護師は記録聴取で述べる。「その『以前』が、どれくらい昔なのかが、少し疑問ですね」


 言葉以外にも色々と疑問の生まれて来るレーネの生活様式であるが、言葉が通じないと言う理由で彼女の知性が低いと判断は出来ないようだと言う結論は出た。

 食事を食べる時に物音を立てないのは当然としても、彼女は最初の頃、「ワンプレート」の食事を不思議がっていた。

 その頃はまだ完全なレーネ語で喋っていたので、彼女が何故「納得のいかない表情」をしているのかが分からなかったのだ。

 だが、どうやら当時の彼女は「お皿の数が足りないのか」とか、「何故見映えのしない盛り付けをするのか」とか、「このディッシュは何故ソースを使わないのか」とかが聞きたかったらしい。

 ガルムとの会話で「伝わる言葉」を覚える頃には、すっかりワンプレートの食事に慣れてしまっており、聞かれなければ当時の疑問を口にする事も無かっただろう。

 塔の中から逃げ出す直前は、ジャガイモを生で食べなければならないと言う飢餓状態にも置かれていたようだが、「きちんとした場所」で「面倒を看てくれる人」に恵まれてからは、飢餓状態以前と同じ暮らしができると思っていたのだろう。

 そうなのだ。彼女は、「きちんとした場所」で「面倒を看てくれる人」が居る時は、一つ一つ小分けにされ、見栄えのある盛り付けをして、優美にソースをかけた「ディッシュ」を食していたのだ。

 相当なお嬢様だったのであろうと言う事は、それ等の言葉から垣間見れた。


 何回か歩行訓練をしているうちに、レーネはお気に入りの場所を見つけた。通る人も訪れる人もあまりいなくて、建物の影になっている敷石に覆われた場所だ。

 そして、彼女はひょいっと屈んで地面のものに触れる癖があった。小さな花でも、小石でも、乾いた土でも。

 それ等の行動も、看護師達は「愚かな者の愛らしい行動」だと判断して、寛容に観察していた。時には、観察するのも大概に、レーネと一緒に歩行訓練を楽しんだ。

 レーネが歩行訓練を始めてから、二週間もしない頃。

 雨の降っている外で、子猫が発見された。髭だけが白い真っ黒な猫で、金色の虹彩をしている。その子猫は、閉鎖されているはずの敷地で、餌を求めるように鳴いていた。

 首輪をつけていないし、なんにせよ衰弱死しそうな有様だったので、一時的にであれ軍病院で保護しようと言う事になった。

 針の無い注射器で、口に猫用ミルクを注入してやると、猫は喜んで飲んだ。しかし、ミルクを施される間は顔を固定されているので、表情は何処か苦悶を浮かべている。

 しばらくすると、針の無い注射器にミルクを入れた物を見せると、自分で吸い付いてくるようになった。ミルクには猫の持つ寄生虫を殺すための幾つかの薬や、栄養剤を混ぜてある。

 薬が入っているミルクを飲んだ時は、「騙された」と言う顔をしたが、栄養剤が入っているミルクを飲んだ時も、「不服だが仕方ない」と言う表情をする。

 猫としても、普通の猫ミルクが飲みたいのだろう。

 一週間もする頃、猫はハウンドエッジ基地のほうに移動された。病院に何時までも動物を置いておくわけに行かないし、敷地としては基地のほうが広い。

 時にフレンドリーで、時に無関心な軍人達の様子を見て、猫は自分も「仲間」に入ろうと、自ら進んで訓練を受けるようになった。

 朝礼の時に兵士達が整列を求められたら、猫も端っこ辺りで一緒に整列をした。

 姿勢としては猫座りしかできないが、きりっと引き締まった表情で整列をしている猫を横目で見て、兵士達は「新兵が頑張ってるぜ」と囁き合った。


 そんな事が起こってる間、レーネの行動に「奇妙な点」が発見された。時々、長い瞬きをするのだ。まるでうたた寝でもしてしまって居るような長い瞬きをして、目を開けてから少し笑む。

「何か楽しいことがあった?」と、看護師が何気なしに聞くと、レーネはにっこりと微笑んで「ええ」と答えるのだ。

 レーネは、自分が化粧をしていないと言う事を不安に思うようになった。化粧をしていない皮膚は傷みやすいし、皴やシミが目立つだろうと言う意見だ。

 実際、二十代そこそこにしか見えないレーネは、まだ目立った皴やシミは無い。

 しかし、本人の顔は本人が一番よく理解しており、頬の上で目の下に当たる位置に、幾つか日焼けに由来するシミが出来ている事を認識していた。

 レーネは、「雪のような真っ白な肌」こそが美しいと言う美的感覚を持っているようだ。

 白粉(おしろい)を支給するかどうかも検討されたが、顔面に化粧品を塗るようになると、その分、皮膚のケアにも手間暇と費用がかかる。

 そこでレーネには、水で洗い流す事の出来るタイプの日焼け止めが支給された。それを適量、手にとって顔に塗ると、ほんのりと顔の皮膚が白っぽくなる。

 レーネはその日焼け止めを(いた)く気に入り、外に出る時以外も、毎日顔に塗布するようになった。特に、シミの出来ている辺りを念入りに。

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