4.何時もの二人
ガルムとレーネが会話をするようになってから、レーネ語で書かれた日記の解読が進んでいる。日記に書かれている文字の事をレーネに聞いても、何の疑問も持たずに答えてくれるからだ。
卑怯な方法だとガルムも思ったが、ガルムが日記に乗っている文字を「レーネに質問するように」促される時もあった。
其処で分かってきた日記の内容の一部はこのようなものである。
「アルアが帰って来なくなった。アルア、私、お腹が空いた。お部屋の中で何度も声をかけた。だけど、アルア、答えてくれない。最後の一個。ジャガイモ。出来るだけ後に食べようと思ってた。
だけど、芽が出て、根が生えた。こうなったジャガイモを食べると、内臓が悪くなってしまう。運が悪いと、体がおかしくなったまま、死んじゃう。私、どうしたら良いんだろう。
アルア、何で帰って来なくなったの?」
この文章は、レーネが塔から逃げ出そうとする数日前に書かれたと推測された。
その文章の続きはこうだ。
「みんないなくなった。アルアが居なくなってから、少しずつ減って行って、さっき、イノラが居なくなった。みんな、お腹が減ったのを我慢できなかったんだ。
私も、段々、力が無くなって行く。力が完全になくなる前に、何とかしないと」
「私は髪を切った。床に付きそうなくらい長い髪だったから、これならしっかりしたロープを作れる。アルア、私、アルアを探しに行くからね。なんで、帰って来なくなったのか。
なんでみんなを見捨てたのか。それを聞きたいんだ」
基地に戻ってから、一室でそれを読ませてもらって、ガルムは「アルアと言うのは、誰の事なんでしょう?」と、ティナに訊ねた。
ティナは考えてから、答えた。
「それはまだ分からない。でも、あなたの事も『アルア』って呼ぶでしょ? 固有名詞としてはおかしいと思うの。一定の条件を持った誰かの事をさす言葉かも」
ガルムは考え込んだ。だが、自分が朱緋眼保有者である事を言うわけに行かない。
恐らく、レーネの言う「アルア」は、朱緋眼保有者への尊称か愛称、略称、と言う何等かの呼びかけだ。彼女が呼び掛けて来る時の、表情の明るさと親しみのある様子から、蔑称と言う事は無いだろう。
何も言う事が出来ないガルムに、ティナは言葉をかける。
「貴方と、この日記に出て来る『アルア』が、とても良く似ていると言う事も考えられるわ。出来たら、もう一つの実験を手伝ってほしいのだけど」
「どんな実験ですか?」と、ガルムは聞いた。
次にレーネとの会話をする時に、ガルムは同僚を連れて行った。
出来れば、魔力を持っていない者を連れて行きたかったが、暇な時間が正確に分かる奴と言うと、ルームメイトしか居なかった。
ガルムが実験の話をすると、「謎の女の子と会える」と言う物見遊山で、ノックスは簡単に同行を許可した。
レーネが何時ものように、明るい表情を浮かべてガルムを迎えると、ノックスはその後ろから顔を出して、「初めまして」と挨拶をした。
レーネは目を瞬いて「不思議そう」な表情を浮かべた。
「俺は、ノックス。分かる?」と、名乗ると、レーネは「ガルムの……ウィニ?」と聞いてきた。
今までガルムが憶えていたレーネ語から考えると、「ノックスはガルムの猫?」と言う意味に成ってしまうが、ガルムは自分がレーネ語を間違えて解釈していたのだと気づいた。
「うーん……。仲間、かな」と、ガルムは新しい言葉をレーネに教えた。
ノックスを交えてのレーネとの会話で分かってきたのは、かつてレーネが「アルア」と呼んでいた人物も、レーネにしばしば自分の「ウィニ」を見せて、レーネに「ウィニ」を創る方法も教えた。
その「アルア」から聞いた方法で、レーネが創るのに成功した「ウィニ」が、黒い猫だったと言う事だった。
「その……レーネの、作った、『ウィニ』は、どうなったの?」と、ガルムが聞くと、レーネは辛そうに手元を見て、「消えた。レーネの、魔力が、弱くなった、とき」と答えた。
其れまでの検査で、現在のレーネは魔力を持っていないとされていた。彼女の話が本当であれば、以前のレーネは「生物を創り出せるくらいの魔力」を持っていたと言う事になる。
その他に、「アルア」と呼ばれる誰かは、自分の「ウィニ」を複数創っていた事も。
「レーネ。『アルア』って、なんて意味?」と、ノックスはストレートに質問する。「こいつ、ガルムって言う名前なんだけど」
そんなにペラペラ話して意味が通じるだろうか? と、ガルムは危ぶんだが、レーネの知能は思ったより高かった。
「『アルア』は……」と言って、レーネは言葉に詰まって二人から視線を外した。その顔が、段々真っ赤になって行く。「あんまり、他の人が、居る時に、言う言葉じゃない」
「うん」と、ノックスは頷いた。「じゃぁ、俺が席を外したら、ガルムに説明してくれることはできる? なんで、自分が『アルア』って呼ばれるのか、不思議だって言ってたから」
勿論、ガルムは「不思議だ」と言っていた事はない。レーネが答えてくれやすいようにお膳立てをしたのだ。
レーネはそれを聞いて、今まで「アルア」と言う言葉が通じて居なかったことを知った。
実際にノックスが部屋の外に出た後、レーネは初めて会った時よりずっと緊張した様子で、何度もチラチラとガルムのほうを見た。口を動かしているが、声が出て居ない。
難しかったら無理に説明しなくて良いよ、とガルムが声をかけようか迷っていると、レーネは「『アルア』は……」と、言いかけた。
ガルムは黙って説明を待った。レーネはごく小さな声で、「『聖なる人』」と呟いた。
つまり「聖人」と言う意味であろう。教会関係の偉人の尊称として、名前の前に「聖」をつけるのと同じだとガルムは解釈した。
そして、その「聖」と言う尊称をつけて誰かを呼ぶのを説明するのは、レーネにとってはすごく恥ずかしい事なのだと。
「ありがとう」とガルムが言うと、レーネは黄緑の瞳を大きく開いて、奇跡が起こったような顔をして目を瞬いた。
「教えてくれてありがとう」と、ガルムが言葉を続けると、レーネは目を伏せて、瞳の輝きを隠した。
ガルムには、レーネの中でどう感情が動いてるのか分からない。だが、彼女は赤くなっている頬を両手で覆い、平静を保とうとしている。
誰かを聖人と呼ぶことに羞恥を覚える……と考えると、「聖」と言う意味以外も、何かありそうだと言う事は察せた。
会議室で、研究者達は話し合った。
「『ウィニ』の意味ですが。ペット、従者、創造物、使役する者……という言葉が予想されますね」と、ティナは言う。
「ガルム・セリスティアを『聖なる人』と呼ぶ理由は、彼の持つ神気に由来するものでしょうか?」と、共同研究者が問う。
「他にも神気クラスの力を持った誰かと、触れ合わせましょう」と、また別の研究者が言う。
「ノックス・フレイムを『ウィニ』だと思った理由は何でしょう?」と、また別の謎が提示される。
「ガルム・セリスティアとの、魔力の比較に因るものではないのですか?」
ウィニとして創られた者は、神気を纏うものより弱い魔力を持つことがあるのではないか、と言う仮説が設定され、それを裏付けるための新しい会話実験の予定が組まれた。




