ガルム君の小さな事件簿4
食堂での誘導尋問を回避した日。
ガルムはくさくさした気分で家に帰り、いつも通り夕飯の支度を始めた。
包丁を握る手に、無意識に力がこもる。
普段は包丁に力をかけないと切れないカボチャが、面白いように乱切りに成って行く。
玄関のベルが鳴り、料理の手を止めて玄関に向かった。
ドアスコープを覗くと、姉の姿がある。鍵を開け、「おかえり」と挨拶をした。
姉は、ガルムの声のトーンが暗い事に気付いたようだ。
「何? 誰か死んだの?」と、姉は冗談を飛ばしてきた。
「俺の心が死んでる」と、ガルムも冗談半分で返した。
料理をしながら、小学校であった事件を姉に話す。ミーラに改めてお礼を言った件からの全部を。
姉の意見はこうだ。
「脅迫状ねぇ……。そもそも、月刊魔法クラブの内容って、インチキだよ。たぶん、魔力持ちを疑わせるために、誰かが雑誌の段階から仕組んだのかもね」
ガルムはなんとなく落ち着いた心持ちになった。無償で自分の味方になってくれる人がいると言うのは、ありがたいものだ。
スープにするための野菜を刻んでいるうちに、イライラせずに冷静に考えようと頭が回り始める。
落ち着いて会話をするために、玉ねぎより先にじゃがいもを切ることにした。
玉ねぎに泣かされているのを、心の傷に泣かされていると思われても恥ずかしい。
「ねーちゃんは、誰が犯人だと思う?」と聞くと、「それは分かんないけど、月刊魔法クラブが偽魔術の本だって言う事を知らない、一般人だろうね。それに、ゴミ箱に雑誌なんて捨てたら、小学校じゃ目立って仕方ないでしょ? 雑誌を持ってても不自然じゃない人じゃない?」との事だ。
「今聞いた話を、俺のクラスの担任に聞かせたいよ」と、ガルムは諦め気味に言う。「だけど、学校にねーちゃんを連れて行くわけには行かないし」
「なんで? 私、一応ガルム君の保護者だよ? 保護してる子が事件の犯人だと思われてるなら、意見を言いに行っても良いと思うんだけど」
「俺のクラスの担任、頭硬いから」と、前置きを言ってから、「それになんて言うか……保護者が個人的に子供の世界に干渉するのって、なんか決まりが悪いような気がする」と、本音を言う。
「担任が駄目なら、校長先生かな」と、姉は乗り込む気満々である。
ガルムは切り刻んだ野菜を、ブイヨンを取ってある鍋に移し、煮込み始める。
「なんとか、俺一人で解決できないかな?」
鍋を掻きまわしながらそう聞くと、「そうだねぇ……」と、姉は考えて、「ガルム君は、『時戻し』やった事ある? 子供の頃、癇癪起こした時に」と聞いてきた。
ガルムは、遠く幼き日を苦い気持ちで思い出した。孤児院時代の「思い出」は、ガルムにとっては黒歴史だ。
「ある。時間が戻ってんだか、時計が壊れたんだかは分かんないけど」
「基礎はあるね。後は、応用か」
姉はそう言って、弟に、魔術の使い方を教えた。
翌日。朝の学校に到着し、ガルムが教室に行くと、「教務室に来い」と、担任に呼び出された。
なんとなくもやもやしながら、教務室に向かう。
「脅迫状の犯人が名乗り出た」と言われて、ガルムは拍子抜けする思いがした。
「誰だったんですか?」と聞くと、「ミーラ本人が、『私がやりました』と名乗り出た。それと、犯行にお前は関わって無いってな」と、担任は言う。
「ミーラが? 動機って言うのは?」と、ガルムはニュースペーパーで読んで居る言葉を使って訊ねた。
「抜き打ちテストがあると、頭が悪いのがバレるからだそうだ」と、担任は言って、「実に下らない」と、余計な言葉を付け加えた。
その言葉にカチンときたガルムは、担任のほうに手を差し出して、「脅迫状、見せて下さい」と言った。
「見せる必要はない」と、担任は返す。
「じゃぁ、本当は脅迫状なんてないんですか? 先生達総出で、生徒に嫌がらせをしたんですか?」と、ガルムは言い募る。「なんだったら、俺の姉から校長先生に問い合わせてもらいますけど?」
校長の名前が出てきて、担任は顔をひきつらせた。
深々と溜息を吐き、「見せるだけだぞ」と言って、書類棚からプラスチックファイルされた紙を取り出してきた。
もちろん、ガルムは「見るだけ」のつもりはない。
ファイルを受け取り、雑誌の細切れで出来た文章の貼ってある紙を取り出すと「先生達! 見てて下さい!」と大声で言ってから、術を発動した。
脅迫文が宙に浮き、何処かに飛んで行く。あちこち飛んで行った紙の辿り着いた先は、教務室にあるガルムの担任の机の上だった。それから、一枚一枚と文章を作っていた紙片が剥がれて、机の上に散らばる。
ガルムの担任の、隣の席に居る教師は、目を丸くしてその様子を見ている。そしてガルムに聞いてきた。「何をしたんだ?」
「『時戻し』って言う、魔術です。脅迫状が作られた所まで戻しました」と答えると、その言葉の意味が分かった数名の教師が、ガルムの担任を見た。
担任は、目をぎょろつかせ、顔中に汗をかいて、唾液を飲み込んだ。
校長が問い詰めた所、担任の犯行の動機は「白い髪を自慢している子供を懲らしめようと思った」と言う、甚だ下らない理由だった。
勿論、その言葉の裏には、ガルムが孤児院育ちである事や、魔力持ちである事への偏見と、保護者はまだ若く知恵も浅いだろうと言う見くびりが隠れている。
脅迫状の事件で疑われたのは、十二歳のクラスの子供だけだったが、それでも子供達を疑って一人一人に気分を害する質問をしなければならない状況を作り出した事は、保護者会が聞き逃さなかった。
ガルムの元担任は、警察に連れて行かれた後、教職免許を取り上げられ、塀の中に入るかカネを払うかの選択を迫られた。
どちらを選んだかは知らされなかったが、問題のある人物が学校から居なくなった事は、生徒達も他の教師達も喜んだ。
事件の後、ガルムはミーラに聞いてみた。「なんで、自分が犯人だなんて言ったんだ?」
すると、ミーラは「私の事、庇ってくれたじゃん。トウキビとビールから」と言った。「ありがとねって言ってなかったから」と。
「お前……」と口ごもって、ガルムは困ったような呆れたような顔をした。何とも心情を表しがたく、「もっと自分を大事にしろよ」と、変な言葉を返してしまった。
「そうだね」と言って、ミーラは腹周りを撫でてみせる。「もうちょっと、健康に気を付けようかな」
「そう言う事じゃなくて」と言いかけたが、それ以上、言葉が出て来ない。「まぁ、健康には気を付けろよ」とガルムが言うと、ミーラは口元と目元を笑ませた。
笑うと、割と人懐っこい顔だ。
そんな印象を持ったガルムも、苦笑いに近い笑みを浮かべた。
身長が伸びるとともに、ぽってり体形を抜け出したミーラが、ショートカットとワンピースの似合うスレンダーで爽やかな女性になるなど、この頃の誰も想像していなかった。
その姿が観れるのは、約六年後の話である。




