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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第九章~愛しいあなたへ~
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2.兎の絵を描いて

 ザンバラだった女性の髪は、医術師の一人が「素人仕事だけどね」と言いながら、ショートカットに整えた。

 残った髪を触って、女性はどうにも悲しそうな顔をしている。自分で髪を切ったのだとしても、更に短くされてしまったのが、残念だったのだろうか。

 入院着を宛がわれていたが、女性は何故かズボンを履くのを嫌がった。

「他に着替えが無いからね」と言って、看護師達が無理に入院着のズボンを履かせると、ベッドの中から出て来なくなった。

 運動をさせようと看護師がブランケットを除けた時、まるで「無理矢理下着姿にでもされたように」悲鳴を上げ、身を丸めて泣きじゃくった。

 そして、懸命にブランケットを元に戻し、脚を隠そうとする。

 どうやら、この女性は、中世の貴族的な習慣を持っているらしいと、看護師達は察した。

 元は、より合わせてロープに出来るくらい長い髪を持っていた事と、最初に着ていた服が、コルセットを仕込まなければ着れないような、奇妙に細い衣服であったことからも、そう推察された。

 どんな経緯でこの女性が、あの塔の中に居たのかが疑問視され、女性を発見した当日の「廃城」の塔の様子のデータを求められた。


 偵察兵達は、重苦しい邪気耐久装置を着たまま、ちゃんと塔の内部の様子を観察して来ていた。

 なんで古めかしいデザインの服を着ている女性が、塔の上から落っこちて来たのか……と成ったら、術以外でも調べる必要は十分にある。

 小雨が降り始める前に、廃城の壁をロッククライミングして、女性の髪の毛の束がぶら下がっている窓から内部を覗く。

 塔の中の部屋は、小さなテーブルの上に根の生えたジャガイモが一つと、背もたれのついた小さな木の椅子が壁際に置かれ、壁際の棚に幾つかの印刷書物と、インク瓶とペンと手書きの本があった。

 その本は、女性が書いていものと同じ不思議な言語が綴られており、どうやら日記のようだと察された。

 その部屋の中にあったものは回収して来てある。女性の書く文字と照らし合わせて、解読できるかもしれないとして、日記のような文章は念写データを採取された。

 驚いたのは、印刷されて居る書物の文字でさえも、どの国の言語でも無かったのだ。


 そして困ったのは、女性を何と呼べば良いかだ。

 コードネームとしては「ラプンツェル」と呼ばれているが、それを教えてしまうと、女性に「自分の名前」を名乗る機会を奪ってしまうかもしれない。

 女性の対話者として招かれた言語学者が、女性と話すときに、必ず自分の胸を手で示して「ティナ」と名乗った。それから、女性のほうに手をかざすと言う仕草をした。

 最初のうちは、女性は何のことだか理解していない風だった。ボディ・ランゲージも分からなかったのだろう。

 だが、三度くらい同じ「名前を名乗る」と言う挨拶を繰り返すと、ある日、女性は「気づいたような顔」をした。

 そして、言語学者のほうを手で示して、「ティナ?」と語尾を上げた。

 イントネーションと言う、一番肝心な言葉のやり取り。これだけは通じていた。言語学者はそう直感し、両手を胸にあてて、「そう。私は、ティナ」とゆっくり発音した。

 それから、女性のほうを手で示した。「あなたは?」と、意図的に、ゆっくりはっきりと語尾を上げながら。

 女性は少し考えるような様子を見せてから、「レーネ」と答えた。

 その日の帰りの挨拶では、ティナは「じゃあね。レーネ」と声をかけた。

 女性は「じゃあね」と言う言葉は分からなかったようだが、レーネと呼びかけられたときに、ティナのほうを見て目を瞬いた。

 レーネと言う名前が、自分への呼びかけだと理解している。

 まずは第一歩だ、と、言語学者ティナは意気揚々と帰路に就いた。


 ティナの仕事は、レーネとの対話の他に、恐らくレーネが記していた日記の解読もある。予め、術を使っての解読も試みられたが、「原形」を追っても、何処かの国の言葉が出てくるわけでは無かった。

 それを書いたときのレーネの意思のほうを探っても、術者が頭痛を起こすほどチンプンカンプンだった。

 レーネは元々「レーネ語」を覚えていて、それを「レーネ文字」で日記に書いていたのだと察された。

 ティナは情報聴取の時に答えた。

「ですが、もし、レーネが本当に『ゼロから言葉と文字を開発した』のだったら、あまりに綴りが正確過ぎます。まだ解読には至りませんが、一種の文法を使っていると思しき文型も発見できています。

 そこから、誰かが意図的に彼女に『彼女独自の言語』を教育したと判断出来ます。

 彼女の居た塔の部屋の中にあった印刷書物の一部に、アルファベットに似た表記が発見されました。その他に、楔形文字に似たものと、古代象形文字に似たものも。

 もしかしたら、複数の言語形態を、敢えて混乱させて教えられたのかも知れません」


 言語に関しては通じない風なレーネであるが、自分の意思を伝えたい時はペンで白紙に絵を描いた。

 果物の絵を描くときは、「喉が渇いている」のサイン。何かの絵の左右にフォークとナイフを描くときは、「お腹が空いた」もしくは「これはが食べたい」のサイン。

 耳の長い、兎のようなものを書いたとき、「可愛いね。兎かい?」と看護師は声をかけた。

 レーネはその兎の顔の周りに、網目の模様を描き始めた。その網目模様と兎のマークを二重円で囲った。

 それから、二重円で囲った絵の周りに、フォークとナイフを描いた。

 レーネは少女のような期待顔を浮かべて、絵をペンで指し示し、看護師を見上げる。

 どうやら、兎のパイが食べたいと言う要望らしいと看護師は気づいて頭を掻き、「給食で配給してもらえるか、聞いてみるよ」と、述べておいた。


 後日。ガルムは軍病院に呼び出された。ティナから、先日発見された女性と会話をしてほしいと頼まれたのだ。

「何をどう話せば良いんですか?」とティナに問うと、「どんな事でも良いの。天気の事でも、好きな花の事でも、好きな食事の事でも」と、言う。

 ガルムにも事前情報は知らされている。発見された女性はレーネと……恐らく名乗っており、書く言葉も話す言葉も、誰が見ても聞いても、訳が分からないと言う事は。

 伝わるのは、絵での意思表示と疑問形のイントネーションだけ。

 姉が昏睡状態だった時、喋らない姉相手に独り言を喋っていた事はあるが、喋ってることの意味が分からない人と話すのか……と思って、ガルムはちょっと「難しい手合い」である事を察した。

 しかも、実際にレーネと会ってみると、レーネはベッドのブランケットの中に脚を隠したまま、少女のような笑顔を浮かべ、「アルア!」と声をかけてきた。

 ガルムは「あ……はい。えーっと、レーネ?」とガルムは語尾を上げた。レーネは嬉しそうに顔をほころばせ、「アルア?」と聞き返してくる。

 何か意味がかみ合っていないと判断したガルムは、自分の胸に手を当てて、「ガルム」と名乗った。「僕は、ガルム」と、繰り返して。

 レーネは最初「不思議そうな顔」をしたが、ガルムが手を差し出してきて、「レーネ?」と言い、自分の胸に手を当てて「ガルム」と繰り返していたら、レーネはまた「気づいたような顔」をした。

 それから「ガルム。アルア・ガルム」と、新しい呼び方をしてきた。

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