妻問い婚に耽る文~イヴァンと言う少年 4~
「私。知ってるんだからね?」と、ペチュニアは冷たい笑顔で言う。
「サブターナって、妹じゃないんでしょ? 妹だったら、『私達は人類の祖なんだから』なんて、書かないわよね? どんな関係なの?」と。
「それは……」と、イヴァンが口ごもると、ペチュニアは、読んだ後にぐちゃぐちゃに丸めた手紙を、イヴァンの頬に、平手と一緒に叩きつけた。
イヴァンは衝撃で、ベッドの上にのけぞった。丸められた手紙は床に転がる。
「こんな事なんじゃないかって思ってた」
ベッドの横に立ちふさがっているペチュニアの目に、涙が浮かぶ。
「都合が良くて優しい男は、他でも女を作ってるからだって、本当なんだね? 結局、遊ばれてたのは私のほうなんでしょ?」
「違うよ! サブターナは……」と、イヴァンは真っ赤になった片頬を押さえながら、言葉を返した。「双子……双子のきょうだいなんだ!」
「じゃぁ、人類の祖って何の事よ?」
「それは……あの子は……」と言って、イヴァンは暗い顔をした。そして、苦しげに言う。「頭が、少し、おかしいんだ」
其処から、イヴァンの迫真の名演説が始まった。
サブターナはある家で隔離されて暮らしており、世間の事も普通の事も知らない。だから、きょうだいが結婚したり、子供を作ったりできないと言う事を理解できない。
彼女の発言がおかしいのは、家族の影響であり、一般常識や社会での規則や、倫理観を知らずに育ったからだ。
子供の頃は、自分も同じような環境で育ったが、家族に疑問を持った時に家出をした。それから社会の事を学んで、きょうだいは結婚したりしないと言う事を知った。
自分は、新しい世界に順応したいと思っている。ペチュニアは、そのきっかけを教えてくれた。
ペチュニアの家族には良くしてもらってるし、自分もその恩義に報いたい。ペチュニアの事だって、大事に思っている。自分を信じてくれる誰の事だって裏切ったりしてない。
サブターナは、自分しか話しかけるきょうだいが居ないから、手紙におかしな事を書くけど、誓って神様に背いたりするような間柄ではない。
それ等を、息継ぎを何度もしながら述べてから、イヴァンはベッドから立ち上がった。
何か考えているペチュニアは、サッと片手を上げた。
イヴァンは咄嗟に、頬の横に手を構えた。
しかし、ペチュニアは、さっきイヴァンの頬にぶち当てて潰れた手紙を、床から拾い上げた。薄い便箋を、破かないように元通りにする。
「手紙を読んじゃった事は、悪かった」
ペチュニアは涙目のままで言う。「だけど、そんな理由を持ってたんだったら、もっと早く言ってよ。私だって、サブターナの事、疑ったりしたくなかった」
「ごめん」と、イヴァンは小さな声で謝る。
「良い?」と言って、ペチュニアはイヴァンの胸に指を突きつけた。「イヴァン。貴方は仕事があるわね? 住む場所は?」
「今の所……決まって無い」と、イヴァン。
「それなら、決まった所に住所を作って。この町は人が多すぎるわね。もっと、静かで、ちょと変な人が居ても目立たない田舎に、家を構えなさい。
田舎過ぎても駄目よ。歩いて行ける距離に市場店と、駅かバス停がある場所が最適。家が用意出来たら、サブターナを家族から助け出して、定期的に病院に通わせてあげるの。
貴方と同じ年齢まで、当たり前の常識を知らされないで育ったなら、これからきっと大変な事になるから」
そこまでをしっかり言い聞かされ、イヴァンは「はい」と応じるしかなかった。
イヴァンは、家を買い取るための資金を用意する事になった。そうなると、方々で渡している「食費と宿泊代」も節約しなければならない。
しばらく会えなくなると伝えるために、イヴァンはアネモネの家に行った。すると、家の中から楽しそうな話声がする。
アネモネと伯母さんが話して居るのかと思い、何時も通りにノックをして「ただいま」と声をかけた。
それまで聞こえていた談笑が止まった。しばらくしてから、恐る恐ると、アネモネの伯母さんが顔を出した。「ああ。イヴァン……貴方なの……」と、歯切れ悪く呟く。
家の中の様子が見えないように、ドアの隙間から滑り出てくると、ドアの前に立ちふさがった。
「アネモネはね、婚約者が出来たの。貴方との仲も聞いたけど……。モグリ医者をしているような男の子を、信用できるかどうかって言ったら、厳しいでしょ?」
イヴァンは頭の中が真っ白になった。
「相手は……どんな人なんですか?」と、イヴァンは動揺が過ぎて、むしろ冷静に聞いてしまった。
その冷静さに気を許した伯母さんは、自信持って述べる。
「この村の医者の息子よ。医術を勉強してるの。勿論、病院の後継ぎになるわね。分かる? アネモネの旦那さんになる人は、正当な医者じゃなきゃならないの。モグリ医者じゃなくてね」
イヴァンは思った。
「医者って、患者の体から血を抜いたり、患者に水銀を飲ませたりする奴等の事だよね? 四体液説だっけ? あのすっごい昔の医学を、未だに信じてる奴等と、アネモネは結婚するの?」
そしてその言葉は、口から出ていた。
伯母さんは顔を真っ赤にして怒り出し、「これだから魔力頼りのモグリは!」と罵った。
「医学を信じないモグリ!」「患者をつかまえられないモグリ!」「頼る業界もないモグリ!」と、散々声高に叫ばれ、イヴァンは野次馬が集まってくる前に逃げた。
結局、アネモネとは二度と会えないまま、儚い恋は終わったのである。
ルピナスの所にも行ってみたが、彼女のほうは「縫製工場を開設するため最寄りに引っ越します。みなさん今までありがとうございました」と、ドアに置手紙を貼って居なくなっていた。
ルピナスにとっては、イヴァンは「時々宿を貸さなきゃならない可哀想な男の子」止まりだったわけである。
彼女に抱いていた下心は、下心の対象と一緒に空想のまま消えた。
宿代を節約してから、確かにお金は貯まった。
持ち歩ける金額ではなくなったので、ギルドの金融機関を教えてもらい、宝石通貨や金属通貨を預けて、国内の何処のギルドでも受け付けられる、現金交換券を発行してもらった。
不幸中の幸いとして、浄化の力を使った魔力治療をする治療師として、治療師のギルドに登録できた。一週間分の安定した仕事が入ってくるようになり、イヴァンの懐は急激に温まった。
ペチュニアの家に入れるお金もはずもうかと思ったが、既にペチュニア本人から、彼女の家族に「可愛そうなサブターナ」の事は触れ回られていた。
「今は私達の事より、サブターナを助ける事を優先に」と言われて、イヴァンはテーブルの上に出した交換券を、そっと鞄に閉まった。
ペチュニアの家族も、彼女本人も、とても善人なのだ。イヴァンは、見た目があんまり可愛くないと言う理由で、ペチュニアを「下心だけの対象」にしていた心を入れ替えた。
そして思うのだ。
将来は、まともな感覚を持った、立派な「家の主」になろうと。
その日も夕暮れが背中を温める。鴉は群れを引き連れて、西の方に飛んで行った。




