妻問い婚に耽る文~イヴァンと言う少年 3~
イヴァンは、術を仕込んだ手紙を、時々「城」の伝書塔の番人に向けて送る時がある。
サブターナ宛ではない。ファラーと言う名前の、片腕が鳥の翼に成っている青年へ向けた手紙だ。
ファラーとはプラズマ体を使った術でやり取りをしているのだが、彼も折々に「もう帰っては来ないのか?」と聞いてくる。
「まぁ……。後、ニ、三年くらいしないと無理かな」と、イヴァンは言葉を濁す。「普通の世界では、十三歳で結婚したりしないんだって」と言い訳をつけて。
「エムツー?」と、ファラーは羽のような前髪で見えない目元をさする。「お前は、これを、受け入れる気はないんだな?」
「これ……って?」と、イヴァンは聞き返す。
「覚えてないなら良い」と、ファラーは穏やかに言う。「勉強した事を忘れるくらい、外の世界は楽しいんだろう?」
イヴァンは黙った。唇を噛み、視線を何度も上げ下げする。自分が何を忘れているのかを思い出そうとしている。
そして、外の世界が楽しい事を、否定しようか肯定しようかを迷っている。
「無理はするな」と、ファラーはやはり優し気に、少年の姿をしたプラズマ体に話しかける。「けれど、もし、俺が居なくなって……別の奴が伝書塔の番をするようになっても、怒るなよ?」
「どう言う事?」と、尋ねたイヴァンの顔は、少しの安心感を浮かべていた。継いで、その心を自覚したように、目を伏せた。
伝書塔の番人は見抜いた。
「お前は、忘れたいんだな?」
そう問いかけてから、理解していると言いたげに少し頷く。
「それならそれで良い。唯……サブターナの事だけは覚えていたほうが良い。あの娘は、ずっとお前を待っている。家族として」
イヴァンは、昔からの癖で、唇をふわふわ動かした。言葉を言わなければならない。だけど、何も思いつかない。
「エムツー」と、ファラーは改めて呼びかけてきた。「術はまだ持つか?」
イヴァンは勢い込んで、何度も頷いた。
ファラーが自分の目元に、人の形に近いほうの手を添えて、幾重にも羽根を重ねるように伸びていた「前髪」を、額まで避けた。
其処には、白目の部分が黒くなっている、金色の虹彩を持った赤い瞳孔の瞳が、一対あった。
それから、ファラーは何時もの、ゆっくりとした調子で話し始めた。
ファラーが作られた理由は、「永劫の者」達が、遥か彼方の別の銀河系団と、やり取りをする時の中継役としてと、もう一つ。
いずれ「アダム」と「イブ」に成るはずの、エムツーとサブターナに、永劫の者と同じ種類の力を与えるために存在していた。
ファラーはテラの組成に混じっている「向こう側のエネルギー」から、永劫の者達の同類が運んで来た、「毒素」のみを抽出して形を成した生物だと言う事だった。
「お前は、俺の目を見ても、怖いとは思わないか?」
イヴァンは黙ったまま頷いた。それから言う。
「怖くはないよ」と。
すると、ファラーは静かにこう言った。
「そうか。それなら、お前は……人間には成れないな」
術が限界を迎えて、イヴァンの姿が「城」の伝書塔から消える。
ファラーは、ちょっと意地悪が過ぎたかもしれないと思った。永劫の者達や、流転の泉からの供給が無くなった現在、いずれエネルギーが自然分解されれば、ファラーは存在しなくなる。
その時が近づくほど、ファラーから放出されるエネルギーは、おぞましい影響力で周囲を汚染してしまうだろう。
木を枯れ朽ちらせ、水に毒を帯びさせ、大気に煤を巻き、大地を腐敗させるような。
そのため、ファラーが存在できる期日は予め決められている。テラの星の時間では、ファラーが伝書塔の番を出来るのは、後三日。
四日目に、ファラーの力を安全に凍結して、人間達が作った「星を渡る船」と同じ方法で、テラの外に送り出す事に成っている。
人間達の伝手は頼んである。
ファラーに思い残しがあるとすれば、エムツーとサブターナが作った「子供」が見れない事だ。
永劫の者が居なくなった以上、演劇の役割を忠実に演じる必要はない。しかし、あの双子は、「エデンでの人類の祖」としての自分の存在を認めて居たはずだ。それを誇るほどに。
この「城」の者達、「エデン」の者達は、まだイヴァンがエムツーとして戻ってくることを望んでいる。
そしてエムツーは、ファラーの瞳から放たれる「毒素」の影響を受けないほど、魔力的に「向こう側のエネルギー」を受け入れてしまっている。
本当なら、無理にでも「戻って来い」と言うべきだっただろう。だが、残り三日間の行動と思考しか許されていないファラーは、もっと残酷な事は言えなかった。
もし、イヴァンが外の世界で妻を見つけても、そのパートナーと結ばれるときに、相手を殺してしまう事になるだろうとは。
ペチュニアの家がある町で、一日だけの休暇を取る事にしたイヴァンは、宿で一人になった時に考え込んだ。
干し草のにおいがするベッドのマットレスの上に、ごろりと横になる。何人もの旅人の背を支え続けたマットレスは、硬いような柔らかいような、不思議な感触がした。
ファラーは伝書塔の番人をやめてしまうのか。
その考えは疑問を掻き立てた。
理由は何だろう。僕達に必要とされなくなったから? それともユニソーム達が居なくなったから? それとも、「エデン」そのもので、何か起こったのかな?
そう推測したが、答えはファラーしか分からないなと諦めた。
結局、あの「王の手紙」がどうなったかも分からないし、色んな事を分かるためには、無理にでも「城」に帰ったほうが良いのだろうか。
人間として培った信頼と仕事を放り出して?
そう思い浮かべてみて、それは無いなと首を横に振る。
でも、何時か……三年もしないうちに、一回だけ帰って見ても良いかもしれない。
その思考を止めるように、「イーヴァーン?」と、ペチュニアの声が聞こえた。顔を横に向けてみると、金糸の髪の女の子が階段を上ってくる所だった。
「暇なら遊ばない?」
そう声をかけられ、イヴァンは顔を赤らめると同時にちょっと期待した。




