意識の奥底~アン町を行く 4~
意識の町でも、穏やかな晴天が続いている。
湖の管理をしている者が、水質を検査し、眉をひそめた。防水グローブに包まれた手を水に突っ込み、指で撫でる。仄かにだが、ぬるっとした感触がした。
「アオミドロにしては……緑じゃないな」と、ボソッと独り言ちる。
採取用の長い棒を水面に突っ込んで、更に水の中の様子を探った。棒の先に、何等かの藻が絡む。
普通、水の中の日の当たる明るい場所で生息するはずの藻が、深い所で繁殖しているらしい。
この湖には生活用水を流さないようにしている。逆にこの湖の水を浄化槽で寝かせて、消毒をしてから生活用水として使ったりしている。
その湖の水に藻が混じっているとなると、水道局から浄化槽が目詰まりを起こしたなどの文句が来るかもしれない。
藻の栄養源になる何かがあるはずだと管理人は思った。
機器のスイッチを入れ、縮力機関でスクリューを回す船に乗り込む。湖中に藻が繁殖していないか、もっと深い位置の様子を見なければならないのだ。
そしてその管理人が、無事に帰ってくることは無かった。
管理人が行方不明になったことを知ったエーヴァは、調査員を派遣し、湖の周りの住民達に聞き込みを行なった。
すると、瞬く間に情報は集まってきた。
今は引っこ抜いてしまっているが、以前は湖の側に津波の難を逃れた立札があり、「遊泳禁止」と書かれていた事。
夜になると、水音と何かを引きずる音が湖のほうから聞こえて来て、朝の早いうちに外に出ると、何かを探し回ったように、濡れた足跡が付いている事。
夜間に時々、金属の板を切る時のような、「キー」と言う高い音が聞こえる事。
夜に雨の降った後の湖側の地面に、まだ乾いていない藻のような物が散乱している時がある事。
それ等の情報を聞いた後、エーヴァは考え込んだ。
あの湖には何かが居ると言う事は分かった。しかし、それまでの異変と、最近遭った事件の事を考えてみると、「人間達」にどうにかできる問題ではなさそうだ。
私が自ら調査に赴くしかない。もし、湖に住む何かが外敵であった場合、交戦する必要性もある。
そう覚悟を決めて、エーヴァは日が落ちる前に湖へと向かう準備をした。
棚の中から発見したノックスの手紙を読んで、アンは少々考えた。
恐らくこれは、「恋文」と言うジャンルの手紙だろう。
短くまとめるとこうだ。
「昏睡状態だった時の貴女に会ってから、何時目を覚ますかを楽しみにしていた。そして言葉を交わせる日をずっと待っていた。
来訪者との戦いで自分が生き残れたのも、きっと貴女と言う女神に祈っていたからだと勝手に思っている。
兵士なんてどいつもこいつもそんな奴なので、祈られていたと言う事を気持ち悪いと思わずにいてくれたら嬉しい。
今後も貴女の健康と安全を願い、出来たら二人でお茶を飲むくらいの、お友達になりたいと思っている」
アンは頭を掻いて、うーんと唸った。
ラムはほとんど霊体だから、安心して冗談も言えるんだが、ノックス君は人間だもんなぁ、と言う変な価値観が動く。
ノックス君に「デートする?」と言って、お茶をご一緒する以上の関係を求められてしまっても困る。
アンは考えた末、アドバイザーを求めた。そして通信を起動して、ジークの所に繋いだ。
恋文をもらった事から発する質問を投げかけた時、何時も物腰が穏やかなジークの声が一瞬凍り付いた気がしたのは、たぶん気のせいだろうとアンは思っておくことにした。
後日。アンが意識の町に行ってみると、例の湖で大規模な清掃作業が行われていた。邪気を清掃しているわけではない。湖のゴミと藻を取り除いているようだった。
作業現場で指示を出していたエーヴァから話を聞くと、どうやら湖の深い所で「カミツキ藻」が大量発生していたらしい。
湖の周りの異変は、そのカミツキ藻の大量発生に悩んだ湖の主が、人間に助けを求めていた事によって引き起こされていた。
湖の主は、言葉として金属音のような高音の音波を発するのだが、それに普通の人間の霊体があてられると、頭の中にものすごい勢いで伝達霊気が回るようになり、気が触れてしまう。
恍惚状態で発見された住民達は、苦難を伝えようとしていた湖の主の言葉によって、頭がおかしくなってしまっていたと言う事だ。
湖の主も、まさか自分達の言葉で人間がおかしくなるとは思っておらず、苦難を訴えているのに助けてもらえず困りきっていたのだ。
その事実を知ったエーヴァは、直ちに湖の環境改善を始め、まずは生えてしまっているカミツキ藻を除去する作業をやっていたと言う事だ。
「それから、湖水を採取する濾過器の状態も確認中です」と、エーヴァは語っていた。
意識の町の中をぶらぶら歩きながら、アンはぼんやり思考していた。
あの不思議な現象が、以前の町から続いている事だったとすると、湖の主は「波」と言うあの現象を生き残った存在と言う事になるだろう。
この意識の町に居る以上、生物ではなく霊体か何かなのだが、カミツキ藻の大量発生を難に思うんだったら、ちょっとは生物っぽい存在なのかもしれない。
色んな種族と同居しているんだねぇと、アンは他人事のように思う。自分の意識の中なのに、他人事っぽいのも理由がある。
何せ、霊体達の人間関係や魔神や精霊達の仕事模様には、アンは一切手出しは出来ないのだから。
町を気に入った連中が住民に成って、順調に発展するならそれで良いやと思っている。
三、四年くらい前に、ラムが「この町と同じシステムの町を外の世界にも作りたいんだ」とこぼしていた。それはとても夢のあるプロジェクトだが、その辺りはどう進んでいるんだろう。
今度、意識の町で会ったら、その事を聞いてみよう。
そう思いつつ、時計塔を見る。意識の町の時間で昼の三時だ。
突然、遠くで急ブレーキの音が響いた。舗装にブレーキ痕を残した車が、斜めに成って停まっている。
また、斜めから滑り込んでくる道路から、十字路に突っ込んでくる車が居たのだ。
事故を起こしかけた車の運転手同士が言い争いを始め、それを見ていた人達が警察官を呼びに行く。
まだこの道では事故が起こりそうだ。
アンはそう判断して、空間へじわりと滲み込むように、意識の町から離脱した。




