29.失恋
青い空に、大気との摩擦で赤く光る楕円形の銀色の船が飛んで行く。ほとんど毎日、十基ずつ打ち上げられている船は、大気中で爆発する事もなく、雲の上へ、そして成層圏の外へ向かった。
大気圏外に行っても、「環境反映」の術により、位置情報と通信の魔力は届く。船が正常に動いているのを確認して、その日の打ち上げは終わった。
「睡眠」モードに入ったアンナイトのシートの中で、ガルムはぐったりと体を休めた。
「何時もより疲れてるみたいだね?」と、整備主任が聞いてくる。
「実際、疲れました」と、ガルムは答えた。「後の打ち上げは……五回でしたっけ」
「そう。まだまだ責任重大だから、この後はよく休みなよ」と、整備主任は声をかけ、シートの上のガルムの肩をちょっと叩いた。
今までの打ち上げの中で、ノックスとコナーズとトールが乗っている基は、既に宇宙に送り出した。
彼等は偵察兵として、誰より先に宇宙に行くことを求められた。そして、彼等はそれに応じた。
「俺等を花火にしてくれるなよ?」と、コナーズが冗談を飛ばし、トールはそれを聞いて苦笑いしていた。ノックスは「俺達が居なくなって、一年したら、これを開け」と言って、手紙を残した。
ノックス達の船の信号は、常に基地に届いている。異なる銀河星団に向かうにあたって、数回「転送」も使った。
その術を使う度に、信号の位置は撥ねるように遠くなった。そして送られてくる信号もラグが発生するようになり、彼等の声が届くには、光の速さで数ヶ月が必要になっている。
五日以上を経て残り五十基の打ち上げも無事に成功した。
誰も使わなくなった二段ベッドの下段は、まだ空いている。このまま通信が届かなくなり、ノックス達の生存が不明になったら、この部屋には誰か別の隊員が同居する事になる。
これは「居なくなった」と仮定しても良いのかな。
ガルムはそんな風に思って、ノックス達の船を宇宙に送ってから一年後、手紙を開いた。
「『親愛なる』とかは、堅苦しいから略す。で、ガルム。お前には、どうしても思い出さなきゃならないことがある。こんな事を書いても、何のことだか分からんだろうが。
本当は、自分で思い出したほうが良いらしいな。だけど、俺は知らせずにいられない。お前のきょうだい事だ。彼女は今、アプロネア神殿に居る。
お前は、神殿への侵入許可書を持ってるはずだ。それを持って、アプロネア神殿に行って、お前の姉に会って来い。彼女は、弟が見舞いに来てくれるのをずっと待ってる。
出来る事なら、直接教えて『すぐにでも神殿に行け』って言いたかった。だけど、出来るだけお前が自発的に思い出せる期間を設けてみた結果、手紙で伝えると言う古典な手法になった。
この手紙を見てる時点で、何も思い出して無くても良い。アプロネア神殿に行って、『アン』って言う名前の女性に会うんだ。『アン・セリスティア』。それがお前のねーちゃんの名前だ。
ねーちゃんと会った後の事は、二人で決めて行けばいい。
俺等が出発してから一年経っても、手紙を読んでいられるくらいの余裕があるんだったら、世界の運命とやらは、たぶん良いほうに転がったんだろう」
それを読んでも、ガルムはまだぼんやりしている。アプロネア神殿に居る、アンと言う名前の女性が、俺のきょうだいなのか……と、読んだ内容を素直に信じた。
後日、ガルムはアプロネア神殿に足を運んだ。
一般開放されている見学可能エリアの窓口で聞いてみると、窓口の人はガルムが「何故か」持っていた許可書で入れる入り口を教えてくれた。
言われた通りに、硝子扉を何枚か潜り、進入禁止のバーが下りている入り口で、カードをスリットに通す。
起き上がったバーを潜り抜け、さらに奥へ。
「ガルム・セリスティア」と、何処かで聞いたような声が聞こえた。振り返って見ると、巫女の装束を着ている女性だった。「お久しぶりです。お見舞いですか?」
ガルムは話を合わせた。
「はい。あの……姉は?」と聞くと、「裏庭のほうです。呼んできましょうか?」との返事だ。
「あ。俺がそっちの方に行きます。道順は?」
そうやり取りをして、ガルムは裏庭への出入り口を教えてもらった。
その人は、焼却炉の様子を丹念に眺めていた。耐熱式の硝子窓から、内部で火が躍っているのを見ている。
白い髪と青い瞳、そしてうっすらとしたオレンジ色の肌。黒い毛糸のセーターと青いロングスカート身につけていて、足元はショートブーツに覆われていた。
「あの……」と声をかけようとして、ガルムは少し迷った。
この人が、問題の姉だと言う事は、一見して分かる。だけど、感覚としては会って十秒くらいだ。何と声をかけるべきか。
その結果、「アン・セリスティア……さん?」と、一番変な呼び方で呼びかけてしまった。
女性は、ゆっくりとガルムのほうを見た。それから、目を瞬いて、「ガルム君?」と聞いてくる。女性は数歩近づいてきて、急に表情を明るくした。「やっぱり、ガルム君だ」
「はい……」と、返事をして、ガルムは肩を強張らせた。
その様子を見て、アンと言う女性は不思議そうな表情をして、「何かあったの?」と聞いてくる。
ガルムは大きく息を吸って吐いてから、「貴女の事を覚えていない」と言う内容の説明をする事になった。
遊歩道の途中のベンチに座って、ガルムはアンに説明を終えた。
「そうかぁ」と、アンは特につらむ様子もなく返事をする。「まぁ、忘れちゃったのは仕方ないよね。何時か思い出すよ」と、割とポジティブだ。
「すいません。なんか、俺……」と、そこまで言ってガルムは言葉に詰まる。何と続けるべきか悩んでから、「本当は、嬉しかったんです」と打ち明けた。
ガルムが述べるには、こうだ。
「俺が、その……貴女の事を忘れてから、何度も『お前には姉が居るんだ』って事は聞いてたんですけど、実感がなかったと言うか。
だけど、今日本当に、貴女って言う人物が存在するって知って……知識として聞かされてたことが、本当なんだって分かって。それで、嬉しかったんです」
「何で過去形なの?」と、アンは目にかかってくる髪の毛を避けながら聞く。
「それは」と呟いてから、ガルムは黙った。しばらく間を置いてから、「姉弟……なんだなって思って」
この時のガルムの心境を紐解いてしまうなら、すごく心が惹かれる存在なのに、この人は自分の姉であって、思い人にしてよい人では無い……と言う意味である。
言葉の意味がよく分かっていないアンは、「そうだね。姉弟だね」と、普通に返す。
出逢って三十分もしないうちに恋に破れた青年は、一年前に宇宙に旅立った仲間達の事を話した。




