ガルム君の小さな事件簿1
灰色がかった白い髪を自力で散髪して、少年は頭にブラシをかける。
鏡に映った自分の髪の毛の長さの様子を見て、切り損じが無いかをチェックする。
多少顔に髪がかかっても、睫毛が長いので目に入ることは無い。それに、まだ彼は十二歳だ。公立の学校の初等教育期間中の校則と言うものは無いに等しい。
何処かの国では、生れ持った髪色が何色であっても、「全員を平等に扱うために」と言う名目のもと、髪色を黒に染めさせると言う狂気的な校則も存在する。
そんな国に生まれなくてよかったと思いながら、少年は髪のチェックを終えた。変な所は今は見つからない。
切ったばかりからかもしれない、頭を洗ってからもう一度見てみよう。
そんな事を考えながら、切った髪を受け止めるために床に敷いていたニュースペーパーを、髪の毛がこぼれないように丸めてゴミ箱に捨てる。
床にモップをかけてから、脱衣所に移動し、着ていた衣服を脱いで、シャワーを浴びに浴室に入った。
チクチクしていた皮膚を洗い流し、髪と体をタオルドライして着替える。
今日届いた分のニュースペーパーには、「覆う黒雲からの解放」と言う見出しで、鉱山の町を襲った異変の終息と、ファルコン、ウルフアイ、ドラグーンの各清掃局員達の奮闘を称える言葉が書かれている。
ねーちゃんも、もうすぐ帰ってくるだろう。
少年はそう思って、透き通った青い瞳を安心の笑みに緩めた。
「ガルムー!」と、外から少年を呼ぶ声が聞こえた。
近所に住んでいる友達の声だ。窓を開けて外を覗くと、数名の少年達が「サッカーやろうぜ!」と呼びかけて来る。
少年は髪を拭いて見せながら答えた。「あ。ごめん。もう風呂入ったから、今日はやめとくわ」
「夕方に風呂? お前、ゲイか?」と、口の悪い悪友はからかって来る。
「髪切ったからだよ。お坊ちゃんはバーバーに通ってろ」と、罵り返してから、少年は窓を閉めた。予想通り、泥まみれのサッカーボールが窓にぶつけられた。
少年のフルネームは、ガルム・セリスティア。巷でニュースになっているドラグーン清掃局に勤務するアン・セリスティアの実弟である。
奇しくも、ガルムも生まれた時から魔力を保有しており、それがきっかけで両親は離婚を決意した。
自分達の間には、魔力を持った子供しか生まれない。「手のかかる厄介な子供」しか生まれないと言って。
ガルムは生まれてすぐに、魔力に対しての教育を取り入れている孤児院に預けられた。
去年十六歳になった姉から、「弟を引き取りたい」と言われるまで、ガルムは自分が何故施設に居るのか、生きていると言う両親は何故自分を放棄してしまったのかを聞くあてもなかった。
姉と同居を始めてからも、姉はガルムを「君付け」で呼ぶ。ガルムの方からは、「呼び捨てで良い」と何度も言っているが、姉としてはちょっと距離を置いているつもりのようだ。
距離を置いている割には、読みたいと言った本を次の日には買ってくれたり、将来は魔導科のハイスクールを卒業して、自分の持っている魔力を活かせる仕事に就いてほしいと、常々弟に説いてくる。
他人行儀なんだか何なんだかよく分からない姉だが、ガルムはそれなりに彼女を慕っていた。
一年前の冬、姉が自分と住む事にした一軒家は、石煉瓦で造られた古い建物で、家の周りに庭はなかった。
その代わりに、地面にブロックが敷き詰められた箇所までが「家の敷地」と分かるように成っていて、窓は一階も二階も、鉄製の鎧戸で覆われていた。
引っ越してきたばかりで勝手も分からず、学校に通う以外は手持無沙汰だったガルムは家事を率先して行なった。
彼の心の中のわだかまりを解消する手段としての意味もあったが、何より、待っていても食事が出てこないのだ。
最初のうちには、姉が仕事帰りに買ってきたパンやチーズを食事にしていたが、毎食同じ物だと飽きてしまうし、体を壊しそうだった。
「あの……アン……ねーちゃんは、料理は出来ないの?」と、パンを食みながら思い切って聞いてみると、姉は誤魔化すような笑みを口元に浮かべて、「出来ない事はないけど、レパートリーはない」と答えた。
「じゃぁ、明日から、俺が料理作るから……。材料買って来てくれる?」
嫌だと言われたらどうしようと思いながらそう聞いてみると、姉は目を丸くした。
月が何処かに吹き飛んだとでも聞いたように、驚きの声を上げる。
「ガルム君、料理できるの?!」
「そのくらいは、孤児院でも習うよ」
そんな些末な会話を経て、ガルムは家で包丁を握るようになった。
古い家なので、リフォームしても薪ストーブ式のコンロしか備えられなかったが、灰を掻く手間を惜しまなければ、それはそれで味わい深いものであった。
それから一年後、ジュニアハイの受験を控えている少年は考えている。
もしハイスクールを卒業したら、俺も清掃局で働こうかな。ドラグーンに入れなくても、別の清掃局に。
そう思い浮かべるが、連日帰って来ない事もある清掃員の激務は知っている。自分がそれに耐えられるかと言ったらどうだろう。
それに、二人とも連日帰って来れなくて、家に埃が溜まったりする状況になっては成らない。
やはり、毎日帰って来れて、家事が出来て、それでも安定した収入が得られる仕事を選んだほうが良いのだろうか。
魔導科って言う所で、どんな知識や能力を得られるかにもよるよな……。実践を伴った、社会で即戦力に成れるような能力を磨かなきゃ。
少年はそう考えながら、冷蔵庫の中身を確認して、夕食の献立を考え始めた。
姉がいない間、ガルム少年は家の鍵を持ち歩く。
その鍵は、ポストの鍵や裏口の鍵と一緒に黒猫の形のキーホルダーにぶら下げられている。
学校帰り、ガルムは家の前で鍵を開けようとして、キーホルダーがない事に気づいた。何度ポケットを探っても、通学鞄の中に金属の感触を探しても、何処にもない。
焦りが一気に湧いてきて、学校までの道に落ちて居ないかを探しに行こうとした。
そこに、誰かが走り寄ってきた。
「ガルム君」と、同世代くらいの女の子の声が聞こえる。「これ、机の上に、忘れてた」と言って、女の子は、鍵がじゃらじゃらしている黒猫のキーホルダーを渡してくる。
季節は冬だが、女の子は冷たい空気を吸い込みながらぜーぜーと喉を鳴らしており、寒風と血流の作用で両頬は真っ赤に染まっていた。
「ありがとう。えーと……。クラインさんだっけ?」
「ミーラ・クワイン。じゃ、忘れは物は渡したからね」と言って、同級生はあっさり自分の家のほうに帰って行った。
家に入ってみてから、ミーラの外見を思い出してみた。
ぽってりした体つきで、髪の色はよくある茶色。目は若干緑がかった灰色で、可愛いとか綺麗とか言うには、ちょっと見劣りがする。
その見劣りのする女の子が、頬と唇を真っ赤にして寒空の下を走っている様子を思いつき、ガルムはなんだか申し訳ない気がしてきた。
絶対に、近所の悪友達に見つかったら、「デブが何走ってんだ」とか、「真っ赤っか女」とか、からかわれたはずだ。
そんな事態に遭遇すると分かっていたのかいないのか、何故かミーラは鍵を届けるために追いかけて来てくれたのだ。
お節介と言うか、世話焼きと言うか、自己犠牲的? いや、それは言い過ぎか。
十二歳のガルムには、まだ女の子の心情と言うのはよく分からない。
ねーちゃんが帰って来たら、意見を聞いてみよう。
そう思って、ミーラの事は頭の片隅に置いておいた。