15.屍と花
其処は一面に白い百合が咲いているような空間だった。
異質なのは、足元が地面では無く水で覆われている事だ。マナムは水の中からその空間に移動してきた。
遠くには、天頂から光の注いでいる白いピラミッドがあり、その手前に一人の白い服を着た赤い髪の女性と、一人の白い服を着た黒い髪の男性が居た。
それから、その二人の前に、空中に浮いたまま硬直状態のガルムのシャドウがある。
マナムが直感的に察したのは、赤い髪の女性と黒い髪の男性の危険性だ。
マナムは何時の間にか手に持っていた房鈴を鳴らし、瞬間的にガルムのシャドウの腕を抱きしめた。そのまま素早く、危険人物達から離れた場所に飛翔する。
「待ちなさい」と、男性のほうが声をかけてきた。
しかし、マナムは待たなかった。
もう一度、シャンッと房鈴を鳴らし、その空間から自分の属す世界の隙間へ移動した。
百合の咲く水園の中で、赤い髪の女性と黒い髪の男性は、困ったような顔をした。そして、静かに会話をする。
「此処まで新種の力を扱えるとはね」と、女性の声。
「せめて、あの体の作りを調べたかった」と、男性の声。
「霊体は消せたのかしら」
「いや、術は阻まれてしまったよ。あの影のような体以外には傷をつけられていない」
「説得も通じない、術も受け付けない。非常に駄々っ子ね」
「仕方ないよ。本人に未練がなくても、周りの人間が未練があるって言うんだから」
「最後には本人も未練を見せたわ」
「未練を無くすために、あの青年が生きていると言う世界を選んでいたからだろう」
「じゃぁ、私達が彼女の未練を再発させてしまったと言う事?」
「無鉄砲に削除しようとすべきでは、無かったと言う事だ」
「他人事みたいに言ってるけど。仕掛けたのは貴方じゃないの」
「君だって手伝っただろう? 同罪さ」
「罪なんてないわ。私達は裁く者だもの。裁かれる者じゃない」
「それは傲りと言わないかい?」
「傲りじゃないわ。誇りよ」
「何処かの国の言葉では、どちらも同じ綴りだよ?」
「貴方は何が言いたいの?」
「いや、なんと言うか……僕達にも響く言葉だと思ってね」
「何が?」
「『嘘吐き』」
「駄々をこねる子供に、同調しない」
「同調して居るかな? まぁ、それより……この軸は使えそうにないと言う事だけは、はっきりした」
「放棄するの? 折角十一人送り込んだのに」
「あと一人は、別の所から選ぶって事さ」
「彼女と同じレベルの浄化能力者を探す……ほぼ不可能ね」
「やるしかない。裁く者として誇りを持つなら」
「それなら、痕が残る前に軸を削除するのが先」
「選出までの分岐点に戻ろう」
「言われなくても」
それから、百合の咲く空間は静まった。何の音もなく二人の人物の姿が消え、白いピラミッドを備えた水園は、一粒の雫のように圧縮されると、実際に一粒の雫として量子にまで戻った。
ガルムのシャドウを連れたマナムは、とっさに移動した世界の隙間の位置をジークに教えようと、幾つかの術を頭の中に思い浮かべていた。
「通信じゃない……軸のずれた場所から……通常空間に信号を……。界の祝詞……層の祝詞……違うな……」
そんな事をブツブツ唱えている間も、飛び込んだ空間は「異物」を感知して、排除しようとする。ガルムのシャドウの事だ。
青い光に染まっている空間の周りから、黒い影のようなものがドロドロと渦を巻いて伸びてくる。その一端は、硬直の解けたガルムのシャドウの手足をつまむ。
「待って! この人は危険じゃない!」と、マナムは手で影を払い、叫んだ。
そんな事を言っても、軸に刻まれている記録は、異端分子を許しはしない。
マナムは必死に、ガルムの腕を引き、影から引き離そうと空間の中を逃げる。
「階の祝詞」と、マナムの頭の中で、女の子の声がした。「彼を連れて這いあがる力を」
「マコト」と、マナムは気づいて、「階の祝詞」を思い出し、片手で房鈴を鳴らしながら、歌うように祈る。その一番最後にこう唱えた。
「はなさくそのの みずべのすみか ちからよわれへ ちからよわれへ がいはひかりに きえにてさらん」
花咲く園の 水辺の住処 力よ我へ 血からよ我へ 階は光に 消え似て去らん
上らなければならない階段は、光の粒子に成って消える。粒子はマナムとガルムを包み、手を伸ばすように一筋の雷を真上に放つ。
その術の気配に、ジークは気づいた。
テラ全体の生き物の夢の数ほどある、世界の隙間の中から、マナムの放った一撃だけを見抜くと言うのは神がかっているが、四六時中、ほぼ無休でテラの全体を見回しているだけはあった。
魔力が接続され、ジークの通信の声が聞こえる。
「よし。マナム、こっちまで飛翔できるか?」
「視線は合ってる?」と、マナムは急いで聞く。
「おおよ。しっかり見えてる。来い!」と、ジークお兄さんは頼もしく声をかける。
「うん!」と答え、マナムは絶対に離さないように、ガルムのシャドウの腕を抱えたまま、その手に手を重ねて握りしめ、力の呼んでいる方向に飛翔した。
回収されたガルムのシャドウは、どうやら組成を分解されそうになっていたらしい。「包囲障壁機能」と言う隠し機能がついていなかったら、修復不能になっていただろうと整備主任は語った。
「保護機能ってつけておくべきなんだね。キアラに謝っとかなきゃ」と、整備主任はアンナイトの外装に取り付けられた修理用のパッキンを開けながらつくづくと言う。
「キアラって、術式設計士の?」と、病床から回復したばかりのガルムは、シートに座ったまま話を聞く。
「そう。三百六十度を包囲する障壁なんて要らない、容量に負荷がかかるだけだって……設計前の話し合いの時に言っちゃったんだよね、俺。
だけど彼女が、『絶対に必要な時が来ます』って言ってた上に、俺達の目を盗んで勝手にプログラムしちゃってたの。そしたら本当に必要な時が来たと言う事」
「おかげで俺は死ななくて済んだんですね」と、ガルムは笑い話のつもりで言いながら、俺って死にそうになってたっけ? と思い直した。
どうにも、虚脱状態を伴う夢見心地から覚めてから、飛んで行った記憶が戻ってくる気配がない。
うとうとしてた間に、思い出せるだけ思い出しておけばよかったかと考えたが、それが無理だったので、むしろ二十四時間眠っただけで気分も回復できたかも知れない。
泣くほど精神的ダメージを受ける何があったんだ? と、思いながら、シートに座ってるしか出来ないガルムは、差し入れのビーフジャーキーを食っていた。




