14.僕の目覚まし
昏々と眠り続けること十二時間。ガルムはようやく意識を取り戻した。ベッドの上に上体を起こそうとしたが、手足に力が入らず、「ぐ……」とか「ギギギ……」と呻きながら苦戦している。
呻き声から、彼の意識の覚醒に気づいた医術師が駆け寄って来て、「まだ起きられるほど回復してない。身体の力を抜け」と指示を出した。
「あの……。俺……何があったんですか?」と、ガルムは聞いた。
「それを、俺達もお前から聞きたかったんだ」と、軍人としては年配の医術師は言う。白衣に止められた名札には「ガート・リオン」と書いてあった。彼は聞く。「シャドウを操ってる間、何があったんだ?」
「思い……思い出せないんです……」と、ガルムは言い、震える片手を持ち上げると、脱力するように目元に押し当てた。「何か、酷い事が起こったのは、分かるんですけど」
「今、別のシャドウを操っている人物が、お前のシャドウを回収するために活動中だ」
ガートと言う医術師は告げた。
「管制室でも、お前の五感情報が得られなかったことが、問題視されてるらしい。分裂実験の間、お前のシャドウは何処にいたんだ?」
そう問われて、そう言う前提に成っていたなぁと思い出したガルムは、ちょっと黙ってから、「たぶん、シャドウが分裂しても、モニタリングの機能に支障を起こさない場所に居たんだと思います」と誤魔化した。
この理由なら、後から聞いた者も口裏も合わせやすいだろう。
ついでに、目の前にいる医術師の追及も免れた。
「そうか。シャドウにはそう言う機能もあるんだな」と納得してくれた。「それについては、俺達の方からお偉いさんに伝えておく。今は、しっかり休め。頭や術は使い過ぎると体にもよくない」
「はい……」と言って、ガルムは目に手を当てたまま、枕にゆっくりと頭を預けて、瞼を閉じなおした。
其処に、殴るようなノックと、元気な青少年の声が飛んで来た。
「リオン先生! ガルムさんは、起きてますか?!」と言う声は、問いかけと言うより怒鳴り声に近い。
ガートは医務室のドアを開け、「お前達の名前は?」と、聞き返す。
達、と言う事は、怒鳴っている他にも誰か居るんだな、と、目を閉じたままガルムは考えた。この声は聞いた事がある。トールと言う名前の、偵察部隊の後輩だ。
「僕はトール・ボガードと言います。こっちのボンクラがガッズ・ノークです」
そう言う答えを聞きながら、ガートは呆れた声を出す。「他人を連れてくるときに、首を決めないように。歩いている間に、脊椎が外れる事もあるからな」
「こいつ、筋肉バカだから、このくらい大丈夫です」と言うトールの声の後に、「いでででで!」とガッズの悲鳴が聞こえる。
察するに、トールがガッズの首に腕を回して、関節技を決めながら、医務室まで来たらしい。
ガートが、なんでそんな様子で医務室に来たのかと問うと、青少年は言う。
「この脳筋野郎が、ガルムさんがお偉いさん達に無茶させられてることを信じないんですよ。ご本人から苦労話でも聞けば、納得すると思って」
「今現在、無茶させられて疲れ切ってる所だから、本人は休ませてやれ」と、ガートは助言する。「話が聞きたいなら、ガルムの知り合いにでも話してもらえ。ガルムから聞いた苦労話を知ってるだろうから」
トールは「うーん」と唸ってから、首を決めていたガッズを離したらしい。
ゲホゲホと咳き込むガッズの声の後に、「そうですね。失礼しました」と、トールは挨拶し、「おい、ボンクラ。話聞きに行くぞ」と脅すように言いながら、医務室を離れて行った。
咳き込み続けるガッズの声も、だんだん小さくなって行ったので、トールに力づくで連行されて行ったのだろう。
難が去ってからガルムはぼんやりと瞼を開け、ベッドの横に戻って来た医術師に、「なんかすいません……後輩達が……」と、謝った。
「お前が責任を感じる所じゃない」と、ガートは患者に声をかける。「お前の信者になるほど崇めてるのは、彼等の都合だ」
「え?」と、ガルムはぼんやりしたまま聞き返す。「信者ってなんですか?」
「うーん……まぁ……憧れが過熱したものだと思えば良い」と、ガートは訳した。「あのくらいの年頃は、女に憧れるより、強い先輩に憧れるんだろうな」
「偵察兵としての技能は、俺よりノックスのほうがすごいと思いますけど」
「強いって言うのは、身体能力だけじゃないだろ?」
ガートがそう言ったのを聞いて、ガルムは何かを思い出しかけた。
これ以後、魔力文明は衰退し、機械文明の発達期が訪れる。その後の百年で、人間は魔力を操る方法を失う。
前後の情報はぼやけているが、その部分だけははっきり思い出せた。
何かの危機が迫っている事と、その危機に付随する何かが起こったはずだと言う記憶が、頭の中に蘇る。
まるで、この世界からの未練を全て無くしたような、「姉の表情」が脳裏に浮かぶ。神がかった存在になったような、目的意識以外を忘れ去った表情。
理由が分からないのに、涙が出てきた。何となく置いていた手を、目元を隠すように広げる。涙は目の端から顔の横に流れて行った。
きっと、忘れてしまった事の中には、重要な情報もあるのだろう。それ等は、ガルムの脳にダメージを与えないために、記憶のずっと奥に隠されている。
医術師に聞こえないように、ガルムは小さく呟いた。
「嘘吐き……」と。
情報収集に収集を重ね、ガルムの疑似形態が行ったり来たりした時空間をあちこち調べて、ジークはようやく目標が取り残されている「異空間」を突き止めた。
しかし、ジークのシャドウは神気を纏っていないので、場所が分かっても異界に実際に侵入する事は出来ない。
その不備についても、ジークは調査と追跡を続けながら考えていた。シャドウ達がサブターナの相談に乗り、城の中にある伝書塔を調べている間に、適任者に連絡を取っていた。
待っていた通信が起動し、「こちら、マナム・ロータス」という返事が返ってくる。
ジークはお兄さんモードに成って、「こちらジークだ。ちょっと頼みたいことがあるってのは分かってるよな?」と、尋ねた。
「分かってます。協力できることがあるなら、おっしゃって下さい」と、マナムは非常に明瞭な声で礼儀正しく応じてくる。
ジークは一連の流れを、八歳児にも分かりやすいように話し、マナムから「異界侵入」のための了承を得た。
後は、マナムの準備が出来るのを待って、彼の霊体を抽出し、シャドウと同じ機能を転写して、ガルムのシャドウが居る場所に送り込むだけだ。
マナムは一度通信から離れ、食に関する生物的活動と入浴を済ませ、動きやすい衣服を着てから、ベッドに横に成り、通信を再開した。
「準備は出来ました。何時でも切り離して下さい」と、少年は言い、瞼を閉じて体を脱力させる。
「ご協力感謝する」と礼を言ってから、ジークはマナムの霊体を一時的に切り離し、能力の転写を施して、マナムの属す世界の隙間へと送り込んだ。
ガルムとは違って、マナムにとっては世界の隙間は、馴染んだ空間のはずだ。道に迷う事はあるまい。
一連の作業を終え、後は待つだけに成ってから、ジークは口だけ笑ませて息を吐き、「俺って有能」と独り言ちた。




