10.受け取った伝言
宵の入りから夜間をかけて空の旅をする飛行船は、明るい照明を夜空の中に燈しながら、ゆっくりゆっくり進んで行く。
飛行船の中は、帆船ほどではないが穏やかに揺れている。席に就いて目を閉じながら、サクヤは頭の中で情報を整頓していた。
アン・セリスティアがアプロネア神殿から姿を消したことは、昼間の間にハンナから聞いた。今日のうちに帰って来たカーラは、「エデン」でアンとそっくりな女性に遭遇したらしい。
会って数秒のカーラに親しく話しかけて来て、耳慣れないが「エデン」を守るために有効な魔術を幾つか教えてくれた。言葉で指示するだけではなく、魔力流や複合魔力の扱い方も、丹念に教えてくれたそうだ。
そのそっくりさんは、恐らくアンさんだと思って間違いないな。
サクヤはそう思ったが、カーラは「アンって言う名前じゃなかった。でも。その人が名乗ってた名前が、思い出せないの」と訴えていた。
恐らく、ある種の「忘却」の術を用いているのかもしれない。自分の存在を知らせる事はしないが、少なくとも、「エデン」の存続に対して協力してくれようとはしている。
自分を忘れさせる術を使うのは、何故だろう? と、サクヤは思った。
アンさんは、また、何かの秘密を守らなきゃならない立場に成っているのだろうか。だけど、私はその秘密を暴かなきゃならない。なんにも知らないままでは、居られないもの。
そう思ってから、うっすらと目を開け、頭を預け寄りかかっていた座席の背もたれから背を離した。隣の席にいた若い執事は、その気配に気づき、通路側から顔を主人のほうに向ける。
「サクヤ様。もう少しお休みになられては?」
「大丈夫。屋敷に帰ったら充分休むわ」と、サクヤは答えた。「それより、今は知らなければならないことがある」
「考え漬けでは、名案は浮かびません」と、執事は茶褐色の瞳を厳しくし、穏やかな声でそれとなく休息を促す。
「『考える』のも、屋敷に帰ってからよ」
サクヤは笑みもないまま、静かに返す。
「今は、『知る』必要があるの。どんな些細な情報でも」
強情な主人の意思に、青年は小さな溜息を吐き、「それでは、これを」と言って、折り畳んだメモを渡してきた。「今しがた、機内員が渡して来た物です」
サクヤはそれを受け取り、四つに折られているメモを開いた。
それには、霊符に書く異国の文字が刻まれている。
サクヤは冷静な表情のまま、霊符としてそれがどう機能するかを読み取った。それから、メモの裏側を観た。其処にも、小さな文字が書かれている。
「どなたからです?」と、執事は囁いた。
「ラム・ランスロット」と、サクヤはメモの裏の文字を読む。「明識洛のファルコン清掃局の局員ね」
そう言ってから、サクヤは足元の鞄を開け、軽量化された水晶版を取り出した。丁度、女性が膝に乗せて操作できるくらいの小型のものだ。
サクヤは術式を組みながら水晶版を操作し、何処かに向けて文字通信を起動した。メッセージを送ると、数秒と経たずに返事が戻ってきた。無言で、通信先とやり取りをする。
十数分間のやり取りを経てから、サクヤは黙ったまま水晶版を片づけた。それから、執事に囁く。
「ハクト。どうやら、屋敷に戻ってる暇はなさそうだわ」
執事は一度目を瞬き、主人の指示を待つ。
サクヤは告げた。
「次の係留所で、西に戻る。明識洛に向かう」
執事は諦めたように一度ゆっくり瞼を閉じ、「仰せのままに」と答えた。
サクヤ達の旅は、何も今に始まった事ではない。東の大陸の各地に自ら足を運び、情報収集を行なうのはサクヤ流の「真偽」の確かめ方だった。
文字だけの情報では、伝わりきれない事は必ずあると言うのが、彼女の信ずる所だ。
養父の遺してくれた財力と情報網を使って、サクヤはヤイロが集めていた情報から自分で集めた情報まで、必ず現地に行って実情を知る事を常としている。
その傍らで、ハンナ達とも連絡を取り、魔力構造の組み立て方を考案し、カーラに伝える。そしてカーラからは「エデン」での事情を聴き込む。「エデン」への出入りを許可されているのはカーラだけなので、この部分の情報だけは伝聞を頼りにするしかない。
サクヤ達が乗っていたのは倭仁洛を目指して飛んでいる飛行船だ。これは、大陸の南側を通っており、途中で願祷洛を経由した。
ずっと通信でやり取りをしていたマナム達に会って、直接話す機会を設けた。
イズモ・ロータスと名乗る男性の家に引き取られたマナムは、ベスと言うアーニーズの生き残りから面倒を看てもらいながら、公立小学校に通っている。
書類上の立場としては、イズモはマナムの養父であるが、彼等の関係性は「師弟」に近かった。何処かしら、お互いに遠慮があり、その遠慮を踏み越えない事を礼儀としている。
マナム君は、大した大人だ。
サクヤはそう言った印象を抱いた。
八歳の少年と思えないほど、自分を抑える事を知っている。それが、倭仁洛風の心遣いなのだろうか。
思い出してみると、生前のヤイロは、実に自然に明識洛での「普通の感情表現」を許可してくれた。
心細いときに不安を言葉にし、相手に手を触れて、心を分け合うことを許可してくれた。それは、養父が明識洛からの血筋を継ぎ、その文化を知っていたからだろうか。
思考を続けながら、サクヤは窓の外に目を向けた。明かりを受けた硝子窓は自分の顔を反射しているが、その影の中に外の様子が見えた。
サクヤは一瞬息を止めた。瞬く間の事だったが、白い長い髪をした黒い服の女性が、箒に乗って空を飛んで居るのを見たのだ。
その女性は、青い目に魔力を燈し、サクヤとしっかりと目を合わせ、頷いていた。




