7.奇妙な崩壊
サブターナは知っておく必要があると言われ、分解したジークの体のパーツのデータを、黙読の間で見学していた。
サブターナの傍らに居た八目蜘蛛が、サブターナの服の袖を引くように、肢の一本で合図を送って来る。そっちに目を向けると、八目蜘蛛は、肢の一本で壁を指差していた。
其処には、保存液の中のポッドにアーニーズの標本が浮かんでいる。外形と、内臓を別々に保存してある標本だ。
あれがどうしたんだろう? と、サブターナが思っていると、突然、標本は液体の中で震え始めた。
そして、液体越しで無ければ、破片の散る音がしただろうと思わせる様子で、砕け散ったのだ。
黙読の間は静かだ。声を発する事を禁じられている部屋である他に、突然の出来事で、観ていた皆も声が出なかった。
それと同時刻、カーラは数名の魔神を連れて、境界線の近くにある神殿に来ていた。何時のか程かに、サブターナが精霊の力を受け取った「永久の火」の神殿だ。
「この辺りが、一番の難所だね」と、カーラは付き添いの魔神達に声をかける。「精霊力を分断しないように、境界線だけ敷くには……」
神殿を観ながら、そう考えこむカーラの肩を、ある魔神が叩いた。
その魔神が指をさす方を見ると、パジャマの様なものを着た女性が居る。魔性の者ではない。ちゃんとした人間の気配がする。
「あの……。貴女は?」と、カーラは訊ねた。
「アーネットって呼んで」と、女性は気軽に言ってくる。「今、神殿を分ける防壁を作ってるんでしょ? 何かお手伝いできることある?」
そう言われて、カーラは真っ正直に相談するのをためらった。何せ、会って十秒しか経っていない。だけど、何故かこの女性はカーラが困っている事が分かっているようだ。
そこで、言うだけ言ってみた。
「えっと……。精霊力は神殿の中に通したまま、空間だけ分離したいんです。人間が入ってこないように」と、説明する。「空間が分断されてても、人間がおかしく思わない術ってありますか?」
「あるよ」と、女性は短く答え、解説を始める。
「『忌避』の術と、『剥離』の術って言われてるんだけど。『忌避』のほうは、防御線の手前で嫌な感じを与えて、一定の場所から近づけさせない効果がある。
『剥離』の術は、人間の意識そのものから『防壁の向こう側』が存在する事を忘れさせてしまう術なの。目に見えてても、向こう側に行こうって意識できなくなる」
「それは、結界とは違うんですか?」と、カーラ。
「ええ。魔力的や物質的に外敵を妨げるのが、『結界』って言うものなの。『忌避』や『剥離』は、意識そのものから、防壁の向こう側の存在を失わせる力なの。
どう違うかは……意識に働きかけないか、働きかけるかの違いかな。『結界』は働きかけない、『忌避』と『剥離』は働きかける」
そう聞いて、カーラはうんうんと頷いた。メモできるものを持って来ていたら、書き止めていただろう。
書き止める事が出来ない代わりに、カーラは情報を頭の中で何度も唱えて暗記した。
アーネットに手取り足取り教わって、カーラは「忌避」と「剥離」の術を覚えた。
それでも、神殿を真っ二つにするのは無理だったので、山頂にある神殿は全部防壁の中に取り込んで、山の反対側から登ってくる人間には、神殿の前でお帰りを願う事にした。
山の反対側にある入り口に「守護」の結界と「忌避」を備え、遠距離からは「剥離」で見る者の意識を阻害した。これで、外の人間は神殿に入れない他、山頂に神殿がある事を少しずつ忘れて行くだろう。
カーラは「忌避」の術を使いながら、この術を防壁全体にかける方法が必要だな、と考えた。
「アーネット。もし、防壁全体に『忌避』をかけるなら?」と、カーラは訊ねた。
「いつもあなた達がやってる方法で、全体的に術をかけることができるよ。防壁に一定の術師を置いて、術の中央から魔力を送るの。東の防壁は、そう言う風に作ったんでしょ?」
「なんでそれが分かるの?」と、素直な疑問形で問うと、アーネットは「魔力の組成を見ると分かるの。貴女も、よく見てみるようにすると、術師が単身で作った『壁』かどうかが見分けられるよ」と言って笑顔を見せる。
「よく見るのか……」と、呟きながら、カーラは胸の前に上げた自分の手に、小さな四角い結界を起動した。それをじっくり見て観察する。
その様子を見ていたアーネットは、カーラの空いていた手に手をかけ、自分の魔力を送る。
カーラの目に、結界が変化したのが分かる。リキュールの中で砂糖を溶かしたように、二つの魔力が混ざり合っているのが見えた。
「これが『複合状態』?」と、カーラ。
「そうだね。二人以上の魔力が混ざり合ってる状態」と、アーネット。
そこまでレクチャーを受けた時に、サブターナから通信が入った。
術を受け取って「はい。こちらカーラ」と応じると、サブターナはひどく焦っているように、「カーラ! 変な事が起きてるの。すぐに戻って来て!」と、声を張り上げた。
「分かった。今、『永久の火』の神殿に居るから、十五分くらいしたら戻る」と、カーラは少し余裕のある時間を提示する。
通信を切ってから、「『転送』は使えるの?」と、アーネットに聞かれた。
カーラは、「ちょっと苦手だけど、勉強はしたんだ。私ともう一人くらい運べる。アーネット、お礼がしたいから、一緒に『城』に来てくれることはできる?」と話した。
しかし、アーネットは「うん……」と、乗り気ではない声をもらす。それから、「じゃぁ、『私と会った事』を、お城の人には教えないでくれるかな? それが、お礼って事で」と言う。
変なお礼だなと思いながら、カーラは「それで良いなら……」と呟いた。
でも、私が言わなくても、周りの魔神の誰かが……と思って辺りを見回しているうちに、アーネットはさっきいた場所から忽然と消えた。
その後、カーラが「今、其処に居た女の人、消えちゃった」と言うと、魔神達は「女の人? どんな人ですか?」と、噛み合わない反応を返してくる。
数名と話しているうちに、カーラ以外の者には、「アーネット」の記憶は残っていないと言う事が分かった。




