物語を送ろう~ガルムの所へ 1~
朝、日の出と共に目が覚める。夜の間に湿気っていた空気が、日光に温められて、少しずつ軽くなって行く。
体が蘇生して、通常の生活が送れるようになってからも、アンには清掃員時代の、「日の出とともに起きる習慣」だけが身体に残った。
一度目が覚めてしまってから、「七時までは眠らないと」と心がけて、再び目を閉じる。
アプロネア神殿の研究施設で暮らすようになってから、「バイオリズムを安定させるために、寝起きする時間と食事の時間は、一定に保って下さい」と研究員に言われている。
そんなこと言われても、冬は眠いし夏は起きたいじゃないか! と、アンとしては思うのだ。何度か交渉して、日照時間の変化に応じて睡眠時間を多少動かしてもらえる事になった。
「ある程度、季節の変化に応じた睡眠をとったほうが、自然な状態のバイオリズムになると思うのですが。私も生物ですので」と言う殺し文句が利いたらしい。
そう言うわけで、夏の始めである現在は、朝七時に起きて夜二十二時に眠っている。
其れまで、短い時は二時間で起きていたアンとしては、七時間も余計に眠っていて良いのだろうかと言う意識がある。
誰かに頼んで、ベッドに状態回復でもかけてもらえれば、もっと短時間でも回復できるだろうに……と考えるのだが、それでは、「自然な状態のバイオリズムのデータ」が欲しい神殿側は、納得しない。
何とか七時まで粘って、起きて身支度をすると、三十分後には食事が運ばれてくる。
食事の様子は、神殿に仕えている巫女が見張っている。
見張られていないと、アンはどんな食事でも、五分で食べ切ろうとしてしまうからだ。
なるべくゆっくり食べるようにしているが、どれだけゆっくり食べても十五分粘るのが限界である。
「もっとよく噛んだほうが良いですよ?」と、優しく諭されるのであるが、その度に、「はい……」としか答えられない。
ガルム君の作ったご飯は、ゆっくり食べられたよな……と、アンは何となく考えた。そしてよく思い出してみると、それは食べている間に会話をしたり、お代わりをしたりしていたからだと気づいた。
そんなアンの所に、ガルムは度々お見舞いに来る。お見舞いと言っても、アン本人は整えられた生活により、とても健康な状態で暮らしている。
しかし、公的にはアンは「病気の状態を調べるために神殿に『入院』している」事に成っている。
朱緋眼保有者が、国の管理を離れた珍しい例であるからこそ、アンの状態は隠されることになった。アンの朱緋眼が無くなっている事が公に成れば、どのように朱緋眼を失ったかを、知ろうとする者が現れるだろう。
そう言ったわけで、ガルムは「入院」している姉の所に見舞いに来る。
大抵は、昏睡状態の頃の姉に話しかけていた時と同じ話をする。しかし、話が独り言で終わらないので、ガルムとしても姉に会いに来るのは楽しいらしい。
ある日、アンはガルムに「まだ話したことなかったよね」と言って、おとぎ話を聞かせてくれた。アンが、幼い頃に母親から聞いたと言う「現姫と流転の泉」にまつわる話だ。
その話を聞いたとき、ガルムはそのおとぎ話に何の意味があるのか分からなかった。どうにも、複雑で素っ頓狂な話だと思ったくらいだった。
血筋に囚われていたお姫様が、宇宙の中に「流転の泉」と呼ばれる銀河を創り出し、運命の三女神になると言う、奇怪な話。
だが話を聞いた後、ガルムはちょっと気分が暗くなった。自分は一切分からない、「親」と言うものとの記憶を、姉は持っているのだと知って。
その日の見舞いから帰ると、ガルムは暗い表情のまま基地の居室に戻り、上着を脱いでロッカーの中のハンガーにかけた。
それから、備え付けのテーブルの横の椅子に座り、頬杖をついてぼぅっとしていた。
しかし、彼のルームメイトは、虚に浸りたい気分を許してくれない。
外からひょいっと部屋に入ってきて、「よぉ。おかえり。アンねーちゃんの様子は?」と、早速質問を飛ばしてくる。
「俺の知らん人から聞いたおとぎ話を聞かせてくれた」と言うと、ノックスは表情を強張らせ、「それは……男?」と聞いてくる。
「いや、母親と言う人物」と返すと、ノックスは目をぎゅっとつむって「なんだ。よかったー」と、口を笑ませて溜息を吐く。それから、「そのおとぎ話って?」と、さらに突っ込んで聞いてくる。
ガルムは、一回聞いただけの話を、思い出し思い出し語って聞かせた。途中グロテスクな表現があるが、日常でグロテスクな有様に立ち会っているためか、彼等はあまりその点に注意しない。
「宇宙規模のおとぎ話ってスゲー」と、話を聞き終えたノックスは感心していた。「理由は知らんけど、お前は、直に母親さんからその話を聞いた事は無かったのか?」
そう聞かれて、「だから、俺の知らん人と言っただろ」と、ガルムは分かりづらいように答える。
「親を知らんって良いじゃん。当てにされなくて」と、ノックスは言い、頬骨の辺りを掻いて見せる。
「親って、子供を当てにするのか?」と、ガルムが聞くと、「育ててやった恩って言うのを振りかざしてくるんだよ。直接的にも間接的にも」と、ノックスはニヤニヤしながら言う。
「直接的にってのは?」と、ガルム。
「色々パターンがあるけど、主にカネだな。俺の親にとって、俺は湯水のようにカネが湧いてくる銀行口座なんだ。関節的な方としては、『私達の気分が好く成るように振舞いなさい』って言う圧をかけて来る」
自分の思っていた親像とかけ離れた現実を聞かされて、ガルムは固まった。なんと言葉を返そうか、何と反応すれば良いのか、さっぱり分からない。
だが、決して気分が明るく成る情報ではないのは確かだ。
「そんな顔すんなよ」と、ノックスはへらへらしながらガルムの肩をパンッと叩く。「俺が可哀想みたいじゃん。こう言う話は、笑え」
そう言って、ノックスはガルムの背のほうに回ると、いきなり脇腹を揉んできた。
ガルムは「やめろ。やめろって」と言いながら、ノックスの手から逃れようと椅子を立ちテーブルを離れ、二段ベッドに登りつこうとしてそれを阻まれ、下段のベッドに押し込まれた。
ノックスは、笑えーと言いながら、ガルムの脇腹から手を離さない。
なんにも面白くないが、物理的に笑いが浮かんできて、ガルムは喘息気味の笑い声をあげた。
その声を聞きつけたのか、「何してんだー?」と、外からコナーズが呼び掛けてきた。ついでに、返事もしないうちに部屋に入ってきた。
ガルムの上にノックスが乗りかかっているのを見て、コナーズは真顔に成り、一度頷いて、無言のまま外に戻ろうとした。
「違う違う違う違う!」と、全力でノックスを払いのけ、ガルムはコナーズに追いすがる。
「いや……。安心しろ」と、コナーズは言う。「うん。お前達の間を邪魔しようって気はない」と。
「それが違うって!」と、ガルムは大慌てで、状況を説明しようと言い募る。
その慌てっぷりを見たノックスは、悪い笑顔で口を押さえながら爆笑していた。




