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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
エピソード集7
297/433

真夏の夜の怖い夢~マナムの所へ 4~

 くしゃくしゃになった霊符が、緑色の炎を上げながら燃えていきます。マナムの身を侵食していた「(あやかし)」を封じて、焼いているのです。

 一帯に放たれた霊力の火炎は、油が撒かれているように地面を這い、食べるものは無いかと身を揺する、化物のように見えました。

 残っていた「屍者(ししゃ)」を焼き尽くすことに成功したイズモは、マナムを包む結界の中で、弟子を守るように抱きかかえていました。

 煙の上がる向こうから、ベスの姿が見えました。屍者と一緒に焼かれていた彼女の衣服は焦げ、滑らかな岩石質の肌を炎が舐めています。

 彼女は、火炎を避ける事をせずに、フラフラとイズモ達のほうへ歩いてきます。

「マナム……」と呼びかけながら、彼女は笑顔を浮かべようとしました。結界に手を近づけようとして、その手が、人の皮膚を焼くほどの熱を発しているのに気付きました。

 ベスは、考えるように手を引いて、口元だけは笑ませると、「マナム」と、もう一度呼びました。「無い? 怪我」

 マナムは、一度口を結んでから、「大丈夫」と答えました。

「ベス。場所が悪い。移動しよう」と、イズモは、高温の熱を発する女性の姿をした者に声をかけました。

 イズモの発言を、ベスは自分の行動の主軸と葛藤しないと判断し、頷きました。

 イズモは直ちに、自分とマナムを包むものと、ベスを包むものの二つの飛翔用の結界を作ると、人の目の無い河へ向けて飛び立ちました。


 ベスが着水すると、小規模ですが水蒸気の爆発が起こりました。でも、ベスの頑丈な体は傷つきません。ただし、着ていたものは千切り飛ばされて、なめし革を部分的に纏っているだけに成ってしまいました。

 ベスの視界は、マナムの位置を捉えます。彼女より後に、河辺の位置で着地するようです。

 ベスは、自分の体をすっかり冷やす必要があると考えて、頭までずぶりと、ドロドロした水の中に沈みました。

「居なくなっちゃった」と、遠くでマナムの声がします。居なくなってないよ、と答えるために、ベスは片手を水の外に出しました。

「あの位置にいるらしい」と、イズモの声もします。返事が届いたようだと察して、ベスは手を引っ込めました。

 月の明るい空の下で、ぬるい水に浸かっていると、ベスは不思議な感覚を覚えました。

 ずっと昔に知っていた感覚です。


 丸い、何かの液体が入ったボールの中で、ベスは生まれました。

 意識を持つと間もなく、頭の中に誰かが話しかけてきました。その声は、ベス達が「エニーズ」と呼ばれる赤子達を守るために存在するのだと言う事を、何度も何度も言い聞かせてきました。

 小さな子供ほどの姿を得た時、ベスは目を開けました。ベスの周りには、ベスと同じ顔と体をした姉妹達が居ました。

 柔軟性のある岩石質の体と、術を操り個体を識別できる知能と、多大な魔力。それ等を与えられて、ベス達は、大人の女性の姿になるまで水の中で過ごしました。

 そしてエニーズを守る事になったベス達は、何度となく「発狂しそうな意識の葛藤」に遭遇する事に成りました。


 ああ、そうか。と、ベスは思考の中で思いました。だから私は、安心したんだ。

 あの光にあてられてから、命令する声は聞こえなくなって、私と生き残った姉妹達は、本当に守るべきものを得た。

 その存在を消してしまうために行動しなくて良い、守るべき者。声をかけて、手を触れて、幼い姿から少しずつ成長して行く、生命と言う存在。その子の名前は、マナム。

 マナムを守るために戦死して行った姉妹達は、苦痛の表情なんて浮かべてなかった。みんな、穏やかな眠りに就くように、静かに瞳を閉じて居た。

 私は、まだ、存在している。まだ、マナムを守れる。

 マナムは、頭を撫でると、ちょっと嫌がってから、困ったみたいに笑う。苦い野菜が苦手だけど、イズモが美味しいって言って食べてるから、それを真似して野菜をいっぱい食べる。

 服の着方は、気を付けてあげないと後ろ前に成ったり、ボタンが掛け違ったりする。それを直してあげる時も、マナムはちょっと嫌そうな顔をしてから、困ったみたいに笑う。

 マナムが笑うと嬉しい。だから、私も笑うって言う表情を覚えた。だけど、マナムは、泣きべそをかいたり、怒ったりもする。その時の心のもやもやが晴れて、太陽みたいに笑うマナムの笑顔は嬉しい。

 ねぇ、これが、愛しいって言う心なのかな。エリー、貴女くらい頭が良かったら、私にも、すぐに分かったのかも知れない。

 私は、マナムと言う生命を、守るんだ。


 ベスの、誰にも聞こえない心の中の独白は、このとおりです。このような心の変化が起こっている事を、ベスは言葉で説明する事が出来ません。

 体が冷めてから水から上がってきた彼女は、何時ものように覚束なくやり取りをして、イズモの着ていた上着を着せられて、家に帰る事に成りました。

 自分の手で殺めなくても良い――マナムと言う――生命と、手をつないで。


 次の日は日曜日でした。マナムは自分の部屋で、月曜日までにやっておかなければならない宿題を、片づけています。そこにワンピースとエプロンを着たベスが、冷やしたお茶を持ってきました。

「マナム。飲み物。冷たい」と、ベスは声をかけます。

 マナムは「ありがとう」と答えて、椅子の背もたれに寄り掛かりました。「ベスは、掛け算って分かる?」

「かけざん」と、ベスは繰り返しました。どうやら初めて聞く名前のようです。「種類? 勉強」

「そう。勉強の種類。計算って言うんだ。えーっとね、足し算と、引算と、掛け算と、割り算があるの。これを組み合わせて、色んな数字を計算するの」

「面白い?」と、ベスは聞いてきます。

「答えが合えば面白い。問題が、『解けた!』って思う時が、スッキリする」と、マナムは答えます。

「スッキリ。お茶。思う?」

「ん?」

「『とけた!』」

 ベスの言葉を聞いて、マナムは声を出して、はははと笑いました。それから、「うん。お茶も、とけるとスッキリするよね」と言いました。マナム流の謎々です。

 ベスは考える顔をしました。視線が斜め上を向いて、顎先に指をあてます。

 言葉の筋は合っているけど、マナムが言っているのは「計算が解けた」の意味では無いなぁと思っていました。

「お水の中で溶けちゃうものは?」と、マナムは持って来てもらったお茶のボトルを揺すって、からころと言わせて見せます。

「あ」と、ベスは気づきました。「氷」

「スッキリしたでしょ?」と、マナムは笑顔を見せます。「それが、問題が『解けた』時のスッキリ」

 ベスも笑顔を浮かべて、「解けた」と返しました。

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