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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
エピソード集7
291/433

お見舞いいかが~シャニィの所へ 2~

 次のお見舞いの前には、ジークさん本人から連絡が来ました。

「十六夜の月の次の日に遊びに行く」と。

 何とも、あの人らしい感覚です。お見舞いって言うのは、本来、病院で臥せっている人の様子を見たり、臥せっている人が生活に不具合は無いか、伺ったりするために来るはずのものなのに。

 メリュジーヌ様は怪我の具合を聞いたり、病人に会いに行く人に花を持たせると言う気遣いが出来るのに、なんでその側近の人が友達の家に遊びに行く、中学生みたいな感覚なんでしょうか。

 そんな事が頭を掠めましたが、それよりも伝えなければならないのは、私があの屋敷を去る覚悟をしていると言う事です。

 長くかかってぐずぐずしていたら、どんどん言い出しにくくなります。メリュジーヌ様のご厚意は嬉しくても、私はあの屋敷に居るべき人間ではないのです。


 看護師さんから、十六夜の月の次の日を教えてもらってから、「辞職の話をする気満々」で待っていました。

 たぶん、意を決している私の真っ黒な目は、らんらんと輝いていたのでしょう。看護師さん達が、「この頃、何時もよりお元気そうですね」と声をかけてくれました。

 血圧もいつもより少し高くて、何故かとても食欲がありました。ですが、その時の私が食べられるのは、お腹に負担をかけない流動食ばかりでした。

 流動食でもお腹は満ちますが、何かを噛んでもぐもぐ食べたいと言う欲求は、どうしようもなくあります。

 抑え込んでいるその欲求のためか、私は歯ぎしりの癖がついてしまいました。起きている時でも、うっかりすると歯を噛みしめてしまって、歯に負担がかかって顎が痒くなります。

 不思議なもので、その顎が痒い症状が出てくると、痒さを我慢しようとして、なおのこと噛みしめてしまうのです。

 顎だけでなく、首や肩まで痛痒くなってきて、体を起こすことを許可されていない私は、その不具合を看護師さんに訴えました。

 看護師さんは、「歯を噛みしめずに、これを噛んで下さい」と言って、ガーゼを束にして結んだものを歯の間に挟んでくれました。


 そして十六夜の月の次の日の、昼十二時。

 背中に枕を挟んで少しだけ体を起こした私は、流動食の食事を摂っていました。サラサラのオートミールと、ドロドロの肉と野菜のスープと、吞み込めるくらい柔らかいゼリーです。

 そこに、ラッピングもされていないお菓子屋さんのケーキの箱を持った、また奇抜な格好のジークさんが、「腹治ったー?」とか言いながら、ひょっこり現れました。

「そんなに早く治りませんよ」とだけ私は答えました。食事の手伝いをしてくれていた看護師さんも、苦笑いしています。

「これ、買って来たけど、食う?」と言って、ジークさんがケーキの箱を開けると、リキュールの香りが混じった甘いチョコレートケーキの香りが立ち込めました。

「ルーンさんは、まだ固形物は食べられませんよ」と、看護師さんは、分かっていない人に優しく説明してくれました。

 私が()()で負った怪我は、幾つかの内臓を傷つける程深かったので、それ等が全部機能を取り戻すまで、固形物や刺激物の摂取は厳禁だと。

 説明されたら、ジークさんでも理解できたようで、「あんたが食えないなら俺が食おう」と言って、サイドテーブルの椅子にドカッと腰を掛けると、リキュールの香りを振りまくケーキを食べ始めました。

 自分の食事が終わった私は、奇妙な事に気付きました。

 あの、ガムしか口にしない男が、チョコレートケーキを口に入れて噛んでいるんです。

「ジークさんが物食べてる」と指摘すると、ジークさんは私が驚いた顔をしたのに満足した風で、ニヤッと笑って見せました。

「これが、疑似形態(シャドウ)の起こせる不思議な事の一つだよ」

 そう言いながら、口の端についていたチョコレートクリームを、舌先でペロッとなめてみせます。

「って言っても、まだ本体のほうに感覚は読み取れてないんだけどな。出来るのは行動だけだ」

 そう述べて、何故か二つ買って来ていたチョコレートケーキの、もう一方に手を伸ばします。

 私は聞きました。

「じゃぁ、そのシャドウが食べてる物は、何処に消えてるんですか?」

「さぁ? なんかの燃料には成ってんだろうな」と、ジークさんは適当な返事をします。

 そこで、私はようやく辞職の話をせねば、と言う事を思い出しました。

 これだけ砕けた雰囲気なら、ナチュラルに言い出せるはずだ。それいけ私! と、心の中で自分を鼓舞していた時。

「食い物って言えばさぁ」と、ジークさんが言い出したのです。「やっぱ、あんたが帰って来ないと、町の連中も大変らしい。今年の凱旋の時、メリュジーヌが不機嫌だったんだと」

「メリュジーヌ様が?」と言って、私は目を瞬きました。あの穏やかな女主人が、不機嫌になるなんて。ジークさんの表現が大袈裟なんだとしても、町の人達もそう分る何かがあったなんて、と。

 詳しく話を聞くと、今年の凱旋の日に町の人達が作った歓迎のディナーは、メリュジーヌ様に何時もの「満足の笑み」を浮かべさせられなかったらしいのです。

「飯がまずかったのか、飯とワインが合わなかったのかは分からんが、『こんなもんだろうな』みたいな、諦めた表情をしていたそうだ」

 そう言って、ジークさんはケーキの粉が付いた指を、舐めずにケーキの箱の上ですり合わせて綺麗にしていました。衛生面を気遣うと言う事は出来るようです。

 私がそんな事を考えていると、ジークさんはこう言いました。

「やっぱ、味の『完成』を見極めてくれる、シェフが居らんとな」

 その言葉の中に含まれている、「さっさと帰ってこい」の意味を読み取ってしまった私は、思い出したのです。

 私に必要なのは、メリュジーヌ様が愛している町のみんなの、百パーセントを表現させてあげる事が出来るシェフである事。

 凱旋の日から数十日続く屋敷の滞在の間に、女主人が満ち足りた気分で過ごせるよう尽力するメイドである事。

 あの勇ましい女主人が、また戦いの地へ赴く気持ちを持てるように、安らぎと充足を得させられる応援者(サポーター)である事。

 それが私の誇りであり、その仕事は私一人の誇りではなく、あの町のみんなから信頼され、任されている大役なのだと、改めて実感したのです。


 私は、何処かで、あの屋敷から居なくなることが罪滅ぼしに……いいえ、罪から逃げられることだと思っていたんです。大切な仕事を放り出して、何処かに姿を消してしまう事が。

 自分の愚かさを実感した事で、精神年齢が一気に一桁台に後退して、もう何がなんだかわけが分からなくなってしまいました。

 鼻水が滴って来て、目から大量の涙が出てきて、息をするために口が横に引っ張られて、涙を振り絞りたいがために、目がぎゅぅっと閉じました。

 その無様な顔を見て、ジークさんはどう思ったでしょう。

 私は子供が泣く時の様な声で、「ごめんなひゃ~ぃぃいいい」と繰り返しながら、だくだくと鼻水と涙を溢れさせました。

 私本人としては、静かに泣いていたつもりだったのですが、男性と二人で病室にいる重症患者が、子供の様な声で泣いていると言うのは、よっぽど異常だったんでしょう。

 その異常に気付いた看護師さんが、お医者さんを呼んでしまうほどに。

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