27.再会の日
町に集まっている者達の耳に、聞きなれない音楽が響いてきた。
音階の違う金属の鐘の音や、鉄のパイプを叩いているような打楽器の音、女神の声のような美しいコーラスと、張りつめた竪琴の音。
町の皆は、その音楽が何処から聞こえるのかを探すように、あちらこちらを見回している。
音の源は、再建された憑依塔からだった。
造られて間もないビルディングの中から、軒を並べる店舗の中から、花壇と噴水に彩られる公園の中から、人々は天頂高くそびえる憑依塔を見る。
其処から発せられる魔力は、青白い光を帯びて、ゆらゆらと立ち昇るように塔の周りを漂っていた。
新しく建てられた映画館の中でも、憑依塔から聞こえる音楽が、トーキーに録音された交響曲の中に混じって聞こえている。
放映されているのは、神話に由来するファンタジー映画で、丁度、主人公の味方達と敵役達が刃を交えている所だった。
クライマックスの合戦のサウンドに、その音色が混じると、不思議な高揚感と、目覚めるような爽快感を起こさせた。
映写室からその異変を観ていたホッド氏も、目の覚めるような感覚を覚えながら、遂にこの時が来たのかと背を正した。
アンさんは、その時、ぼんやりと町を歩き回っていたと言う。
意識がはっきりしなくて、なんで自分が知らない町の中を歩いているのかも分からない。
理由の分からない懐かしさを探すように、色んな路地を観て、色んなお店を覗いて、路面電車に代わる新しいシステムとして鉄道が走っている事を知った。
その鉄道に乗り込む人達も、乗ってくる人達も、ほとんどは身体を失った霊体だ。時々、妖精や精霊などの、特殊な力を持った霊体も混じっている。
運転手さんと車掌さんは、頭の先から足元までもじゃもじゃの毛で覆われた、鳥の足のような手と大きな眼だけが見える、真ん丸い不思議な生き物だった。
恐らく、何処かの誰かが雇った、「魔神」なのだろう。
誰がお給料を払っていて、その魔神達が何処から来たのかは分からなかった。
それは前の町の時も同じだったな。
アンさんはそう思った。それから、前の町ってなんだっけ? と、まだぼんやりしている意識で考えた。
「アン」と、誰かが呼び掛けてきた。女の子の声だ。
前髪をブロンズのカチューシャで止め、臙脂色のベルベットのワンピースを着て、白いタイツと黒い靴を身につけている。その茶色の瞳には、見覚えがあった。
「貴女は……」と言いかけて、アンさんはその子の名前を思い出せなかった。
「無理はしなくて良い」と、アンさんの意識の事が分かるみたいに、ベルベットのワンピースの女の子は言う。「私はね、二つ名前を持ってるの」
「二つ?」と、アンさんは聞き返す。
「うん。あの子の姉としての、『ササヤ』って名前と、貴女の相棒としての、『アンバー』って名前」
そう言って、女の子はワンピースのポケットから、銀のチャームが付いたペンダントを取り出した。
それを差し出しながら、アンさんの片手を握り、女の子は言う。
「私は、貴女の双子には成れない。だけど、友達には成れたよ」
女の子の手から、アンさんの手に、ペンダントの鎖が触れる。
「愛しいって言う気持ちが、どんなものか、分かったよ」
鎖は優しく手を滑り、女の子の手からチャームが離れる。そして、アンさんの手の平に、熱を宿したチャームが落ちる。
「『愛情』をありがとう。私の、『慕わしい人』」
そう言った途端に、女の子の姿はアンさんの目の前から掻き消えた。
アンさんは、辺りを見回して、手の中に受け取った銀のペンダントを握りしめた。遠くから、近くから、音楽が聞こえる。そして、急に何かに気づいたように、町の中を走り出した。
憑依塔の真下。塔を支える構造物がどっしりと脚を下ろす場所。そこで、彼は他の作業員と一緒に、憑依塔から聞こえるようになった音楽を聞いていた。
特に、聴き入ってると言うか、感心している風でもない。音階の中に魔力波が含まれているのが分かって、作業を中断せざる得なかったんだ。
塔を下から見上げならが、何時音が止むだろうと言う話し合いまでしてたくらいだ。
其処に、別の音が聞こえてきた。チェロを高い音で小刻みに鳴らしているような音だ。
それが聞こえてくるのは、憑依塔とは別の方向。
その音に気付いた彼は、音の方を振り返った。
其処に、白い髪と青い目の、黒いロングワンピースを着た女の人が居た。走ってきたようで、息を切らせて。
女の人は、何か言おうとしているようで、唇を少しふわふわさせて、目を瞬いた。
彼は、気まずそうに髪や首筋を搔いて、女の人が――アンさんが――、何を言おうとしているのかを待っていた。
アンさんは、ゆっくり歩いて彼に近づき、片手を伸ばして、「ラム」と、彼の名を呼んだ。その途端、アンさんの体は指先から崩れて、意識の町の外に送り出された。
彼は――ラム・ランスロットは――、胸で息を吸って吐いてから、「ようやく普通に呼んだな」と呟いた。
ベッドの上のアンさんの瞼がぼんやりと開いたとき、フィンさんとノリスはそれが「筋肉の硬直で開いたのではない」事を、ずっと期待していた。
その期待は叶えられ、アンさんは瞬きをして、唇の動きで「此処は?」と呟いた。まだ、声が出せるほど喉が回復していないのだ。それでも何か言おうとして、呼吸がおかしくなってむせていた。
「あわてるな。まず、水を飲め」と言って、フィンさんが飲料水を飲ませる小型の水差しで、アンさんの口に水を含ませた。
それを飲み込んでから、アンさんは苦しそうに息をして、せがむようにフィンさん達を見回した。
フィンさんとノリスは、状況を説明した。アンさんの霊体が砂漠で意識を失ってからの、それまでに分かっていた状況を。
特に、アンさんの体の事について詳しく説明した。
筋肉が痩せているので、今はまだ通常の行動は取れないだろうと言う事と、筋力が戻ったら、アンさんはアプロネア神殿の研究に協力しなければならない事。
「研究の協力には、同意してくれるか?」と、フィンさんが聞いた。
アンさんは、小さな頷きで答え、目を閉じて、両眼から一筋涙を流した。
それを見たフィンさんが、すまなそうに声をかける。
「無断でお前の情報を神殿に売ったことは、詫びる。許さなくても良い。私は……私達は、お前に生きてほしかったんだ。すまない」
アンさんは、首を横に振った。そして、か細い念話で言う。
――違うの。嬉しいの。
二人は、その言葉の意味が分からなくて、お互いの顔を見合わせてから、またアンさんのほうを見た。
アンさんはこう続けた。
――まだ、私、生きてても役に立てるんだって。
その時の話を聞いて、私は、アンさんの言葉に詰まっていた悲しみと感謝が、何となく分かった。それで、「生きてる許可なんて、要らないんだよ?」って、声をかけた。
アンさんは、小さく頷いた。私が言いたかった、それでも言葉に出来なかった部分の意味を、分かってくれたみたいだった。




